第二十四環 「魔界最強の教え方」
午前。
魔王城・訓練場。
空気には、まだ魔力の残滓が漂っていた。
地面にはいくつもの焦げ跡。
その中心で零が、ゆっくりと右手を下ろす。
つい先ほど放った——中級火炎魔術。
炎そのものは確かに成立していた。
だが。
「——止め」
ルシアが片手を上げた。
朝食の席で見せていた照れは——もうない。
零の前に立つ彼女は。
完全に——指導者の顔をしていた。
鋭い真紅の瞳が、地面に残された焦げ跡から、空気中に漂う魔力の残滓までを観察していく。
「……今のは六割ね」
「六割か」
「不満?」
「昨日より厳しくなってないか?」
「当たり前でしょ」
ルシアが腕を組む。
「初級をあの速度で習得したあんたにしては——六割って意味よ」
そして。
僅かに口元を緩める。
「普通なら、中級魔術を一日で六割まで持ってくる奴なんていないわ」
「じゃあ褒めてくれてもいいだろ」
「調子に乗るから嫌」
「ひどい先生だな」
「先生って呼ぶな!」
反射的に怒鳴ってから。
「……こほん」
ルシアが咳払いをする。
すぐに表情を戻した。
「問題は——魔力の圧縮」
零の隣へ移動する。
「初級と中級を隔てる一番大きな壁は、そこよ」
右手を掲げた。
次の瞬間。
——ボッ。
掌の上に、小さな炎が灯る。
大きさだけなら。
零が初級魔術で作ったものと大差ない。
だが。
「……熱っ」
零が僅かに目を細める。
離れているにもかかわらず。
肌を焼くような熱が伝わってきた。
炎の周囲では、空気そのものが歪んでいる。
「分かる?」
「ああ」
「大きくないでしょ?」
「なのに、さっき俺が出した炎より熱い」
「正解」
ルシアが微笑む。
「初級魔術は——魔力を現象として形にする」
掌の炎が、一度大きくなる。
「炎なら炎。氷なら氷。雷なら雷」
そして。
大きくなった炎が——急速に縮んだ。
同時に。
熱量が跳ね上がる。
「中級は、その先」
炎が。
拳よりも小さな球体へと凝縮される。
「同じ量の魔力を——より小さな器へ押し込む」
零が炎を見る。
小さい。
なのに。
明らかに——危険だ。
「魔力量だけを増やしたところで、ただ大きな炎になるだけ」
ルシアの真紅の瞳が、炎を映す。
「圧縮して密度を上げることで——初めて威力になる」
——フッ。
炎が消えた。
「で」
ルシアが零を見る。
「今のあんたは——」
そのまま。
零の右手を取った。
「…………」
「…………」
一瞬。
二人とも止まった。
ルシアが。
自分から零の手を握った。
昨夜なら。
それだけで顔を真っ赤にしていたはずなのに。
今は——。
「……手、出して」
僅かに耳を赤くしながらも。
離さなかった。
「魔力の流れを直接見るから」
「……ああ」
零の掌へ。
ルシアが自分の掌を重ねる。
そして。
目を閉じた。
「力抜いて」
「こうか?」
「そう。そのまま」
次の瞬間。
零は、不思議な感覚を覚えた。
ルシアの魔力が。
触れ合った掌から——自分の中へ流れ込んでくる。
温かい。
しかし。
炎とは違う。
細い糸のような魔力が。
零の魔力回路をなぞるように——身体の中を巡っていく。
繊細に。
丁寧に。
少しでも流れを乱さないように。
「…………」
ルシアの表情は真剣そのものだった。
やがて。
「——見つけた」
目を開く。
「ここ」
「どこだよ」
「感覚で説明するの難しいのよ。……ちょっと自分で魔力流してみて」
「分かった」
零が掌へ魔力を集める。
ルシアの魔力が、それを追う。
「そのまま……」
魔力を圧縮。
さらに。
圧縮。
そして——。
「——そこ!」
「!」
「最後の段階で逃げてる」
ルシアが零を見る。
気づけば。
二人の距離は——かなり近かった。
真紅の瞳が。
至近距離から金色の瞳を見上げている。
「……あんた、元々の魔力量が多すぎるのよ」
「多いと駄目なのか?」
「普通なら長所よ。でも——制御できないなら話は別」
ルシアが重ねた手に、僅かに力を込める。
「今のあんたは、大量の水を無理やり小さな器に流し込んでるようなもの」
「……溢れる」
「そう」
ルシアが頷く。
「だから——力を抑えるんじゃない」
零の掌へ集まる魔力。
その流れを。
ルシアの魔力が——細く整えていく。
「——出口を絞るの」
「出口?」
「水を細いホースに通すみたいに」
零が目を閉じる。
感覚を覚える。
大量の魔力を。
そのまま押し込むのではない。
流れる場所を。
細く。
狭く。
一点へ。
「…………」
「そう」
ルシアの声が。
少しだけ柔らかくなった。
「それ」
零が目を開ける。
同時に。
ルシアが手を離した。
一歩。
後ろへ下がる。
「もう一回」
指を立てる。
「今度は魔力量を増やさないこと」
「出口を絞る」
「そう」
ルシアが笑う。
「それだけ意識して」
零が右手を掲げる。
魔力を集める。
先ほどと同じ量。
だが。
今度は——。
(狭く……)
ルシアに教えられた感覚を思い出す。
魔力の出口を。
一点へ。
そして。
「——燃えろ」
——ボッ。
炎が生まれる。
先ほどより——小さい。
だが。
「…………!」
熱量が。
明らかに違った。
周囲の空気が歪む。
地面の砂が。
熱だけで僅かに焦げていく。
「…………」
ルシアが黙って炎を見る。
零も。
掌の炎を見る。
そして。
「どうだ?」
「…………七割」
「一割しか上がってないじゃねえか」
「一回で一割上がる方がおかしいのよ!!」
ルシアが怒鳴る。
だが。
その口元は。
——笑っていた。
「ほんっと……」
小さく呟く。
「教え甲斐あるわね、あんた」
「何か言ったか?」
「何も言ってない!」
ぷいっと顔を逸らす。
だが。
すぐに。
また教師の顔へ戻った。
「あんたの才能は——本物よ」
真紅の瞳が。
零を真っ直ぐ見据える。
「それは私が保証する」
「…………」
「でも」
一歩。
零へ近づく。
「才能だけじゃ——中級より先には行けない」
「……ああ」
「ここからは技術の領域」
魔力量。
《夢幻抱擁》。
剣術。
零には。
確かに——力がある。
けれど。
力を持っていることと。
使いこなせることは——違う。
「だから」
ルシアが。
胸を張る。
「ちゃんと私の言うこと聞きなさい」
そして。
笑った。
自信に満ちた。
魔界最強の魔導師として。
零の——教師として。
「——私が、あんたを最強にしてあげるから」
「…………」
零は。
そんなルシアを見つめる。
出会ったばかりの頃は。
ただ騒がしくて。
すぐ怒って。
面倒な魔女だと思っていた。
けれど。
今は。
自分の才能を認め。
弱点を見抜き。
その先へ連れて行こうとしてくれている。
最初に。
自分の可能性を——真正面から信じてくれた者。
「……頼りにしてるよ」
零が言う。
「——先生」
「…………」
ルシアの笑顔が固まった。
「……今、いいところだったのに」
「ん?」
「先生って呼ぶなぁぁぁ!!」
——ドォン!!
次の瞬間。
訓練場に巨大な火柱が立ち昇った。
「おい! 今の中級だろ!?」
「うるさい!! 避けなさい!!」
「指導中に生徒殺す気か!?」
「誰が生徒よ!!」
「そこ否定すんのかよ!!」
午前の魔術鍛錬は——
まだ始まったばかりだった。




