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第二十二環 「私が最初」

「ん?」


リリスがグラスを傾けたまま、そちらを見る。


ルシアはテーブルへ両手をつき。


「指導の順番は——私が決めて良いですよね!?」


「……は?」


「だから!」


ルシアが零を指差す。


「他の三人に取られるとか、嫌なんだけど!」


一瞬。


食堂が静まり返った。


「…………」


零が瞬きをする。


シエラも。


クオンも。


そして。


レイラの口元が——ゆっくりと吊り上がった。


「……ルシア」


リリスが呆れたように眉を寄せる。


「取るとか取らないとか、何の話してんのよ」


「だから……!」


そこでようやく。


ルシア自身も、自分が何を口走ったのか気づいたらしい。


「…………っ」


頬が赤くなる。


だが。


もう引き返せない。


「わ、私の教え子なんだから!」


勢いのまま言い切った。


「魔術はまだ初級しか終わってないし、中級も上級も残ってるし! 魔力操作だって教えることは山ほどあるの!」


「…………」


「だから——スケジュールの優先権は私に……!」


「——あらあら」


レイラが頬杖をつく。


緑の瞳が、楽しそうに細められていた。


「独占欲?」


「違うっ!!」


即答。


「私は教師として!」


「ふぅん?」


「何よ!」


「別にぃ?」


「その顔やめなさいよ!!」


シエラが堪えきれず吹き出した。


「あはははっ! ルシア、彼のこと気に入りすぎでしょ!」


「違うって言ってるでしょ!?」


「でも『取られるの嫌』なんでしょ?」


「言葉の綾よ!!」


「先生」


零が呼ぶ。


「何よ!!」


反射的に返事をして。


「…………あ」


ルシアが固まった。


「普通に返事したな」


「〜〜〜〜っ!!」


顔が一気に赤くなる。


「零!! あんた絶対わざとでしょ!!」


「何のことだか」


「こいつぅ……!」


「はははっ!」


零が笑う。


シエラも腹を抱えている。


レイラは面白そうに二人を眺め。


クオンだけが黙々と肉を食べ続けていた。


「……ふっ」


そして。


上座から小さな笑い声が聞こえた。


リリスだった。


グラスを片手に、騒がしい四人と零を眺めている。


「まったく……」


呆れたような言葉とは裏腹に。


その表情は——どこか楽しそうだった。


「——零」


「ん?」


呼ばれて、零がリリスを見る。


リリスがグラスを僅かに掲げる。


「聞いたわね?」


「明日から——四座全員の指導を受けなさい」


「……ああ」


「スケジュールは自分で組んでいいわ。誰から何を学ぶか。どこを伸ばすか」


深紅の瞳が、零を真っ直ぐ捉える。


「自分で考えなさい」


零が僅かに目を細めた。


ただ与えられた鍛錬をこなすのではない。


何が必要なのか。


誰から何を学ぶべきなのか。


それすら——自分で考えろ。


「分かった」


零は頷いた。


その答えを聞いて。


リリスの唇が、満足そうに弧を描く。


「ただし——」


グラスの向こう。


深紅の瞳が細められる。


「期待してるからね」


一拍。


「私を——退屈させないで」


「…………」


零は、その言葉を黙って受け止めた。


リリスはいつもそうだ。


強くなれと言う。


勝てと言う。


面白いものを見せろと言う。


けれど。


その言葉の奥にあるものを。


今の零は——少しだけ理解し始めていた。


期待。


そして。


——信頼。


なら。


応えない理由はない。


零は口元を上げる。


「——後悔するなよ」


「何を?」


「俺が強くなりすぎて、リリスが困っても知らないからな」


一瞬。


リリスが目を丸くした。


そして。


「——ふっ」


楽しそうに笑った。


「言うようになったじゃない」


深紅の瞳が、愉悦に細められる。


「いいわ」


グラスを零へ掲げる。


「その時は——私が相手してあげる」


零も笑う。


「望むところだ」


七日目の夜。


こうして。


零を鍛え上げるための——


四座全員による総合鍛錬が、決まった。


⸻


七日目——深夜。


夕食を終え自室へ戻ってから、しばらく経った頃。


零の部屋には——なぜか、ルシアがいた。


明日から始まる総合鍛錬について。


どの時間帯を魔術に使うのか。


中級魔術は何から始めるのか。


他の三人の鍛錬とどう組み合わせるのか。


そんな話をしていただけ——だったはずなのだが。


気づけば。


二人の距離は、妙に近くなっていた。


月明かりだけが差し込む、静かな部屋。


そして。


零の手には——ルシアの手が触れていた。


「…………」


ルシアは何も言わない。


離せばいい。


いつもの彼女なら。


「な、何触ってんのよ!」


そう言って、すぐに振り払うはずだった。


なのに。


今夜は——離さない。


零は、そんなルシアを見つめた。


夕食の席で。


他の三人も零の指導をすると決まった瞬間。


『他の三人に取られるとか、嫌なんだけど!』


そう叫んだ彼女。


もちろん。


本人は教師として、と言っていた。


だが。


「……なあ、ルシア」


「何よ」


「ずっと部屋に帰らないけどもしかして——寂しいのか?」


「——っ!!」


ルシアの全身が——びくりと震えた。


少しだけ、からかうような声。


触れていた指先が。


——ぎゅっ。


零の手を握りしめる。


離そうとしたのか。


それとも。


逆に——掴もうとしたのか。


おそらく。


ルシア自身にも、分かっていない。


「さ、寂しいわけないでしょ……!!」


顔が一気に赤く染まる。


頬だけではない。


耳の先まで。


首筋まで。


薄暗い月明かりの中でも分かるほどに。


「バカじゃないの!?」


声が裏返る。


振り返った真紅の瞳は、僅かに潤んでいた。


怒りなのか。


羞恥なのか。


それとも——。


「そっか」


「何よ、その顔!」


「いや」


「笑うな!!」


「笑ってないって」


「笑ってるでしょ!!」


ルシアが零を睨みつける。


だが。


握った手は——離さない。


「だいたい、あんたが……!」


「俺が?」


「あんたが調子に乗るから……!」


一瞬。


ルシアの勢いが弱まる。


それでも。


止められなかった。


「明日から他の奴らに囲まれて——浮かれるんじゃないかって……!」


「…………」


零が黙る。


そして。


ルシアも——黙った。


「…………」


自分が今。


何を言ったのか。


ようやく理解したらしい。


真紅の瞳が泳ぐ。


口を開く。


閉じる。


また開いて。


結局——何も言えない。


「……違う」


ようやく出た声は。


先ほどまでとは別人のように小さかった。


「そうじゃなくて……」


俯く。


赤い髪がさらりと落ち、火照った顔を隠していく。


「…………寂しいとか」


ぽつり。


「そんなんじゃないわよ」


零は何も言わなかった。


いつもなら。


またからかっていたかもしれない。


けれど。


今のルシアを見て。


それは違う気がした。


だから。


ただ——待った。


「…………」


握られたままの手。


そこへ。


ほんの少しだけ——力が込められた。


「ただ——」


ルシアが顔を上げる。


赤い髪の隙間から。


真紅の瞳が、零を見る。


潤んだ目尻。


赤い頬。


震える唇。


それでも。


今度は——逸らさなかった。


金色と。


真紅。


二つの瞳が、月明かりの中で重なる。


そして。


「……私が最初だって」


零の目が僅かに見開かれる。


ルシアは続けた。


「それだけ——覚えてて」


「…………」


その言葉が。


何を意味しているのか。


おそらく。


ルシア自身も、まだ完全には分かっていない。


最初に魔術を教えたのは自分。


最初に零の教師になったのも自分。


だから。


自分が——最初。


そういう意味なのかもしれない。


けれど。


それだけではない何かが。


その言葉には確かに混ざっていた。


本人ですら。


まだ名前をつけられない——何か。


零は。


そんなルシアを、ただ見つめていた。


数秒。


沈黙が続く。


やがて。


「——っ」


先に耐えられなくなったのは——ルシアだった。


「も、もう帰る!!」


「え?」


「帰るったら帰るの!!」


弾かれたように手を離す。


そして。


逃げるように扉へ向かった。


「おい、ルシア——」


「知らない!!」


ドアノブを掴む。


勢いよく開けようとして。


「…………」


止まった。


ほんの一瞬。


背中を向けたまま。


「…………おやすみ」


小さな声。


先ほどまでの勢いが嘘のような。


優しい声だった。


「……ああ」


零も。


静かに返す。


「おやすみ、ルシア」


——バタン。


扉が閉まった。


直後。


廊下から足音。


——タッタッタッタッ。


速い。


というか。


完全に走っている。


「…………」


零は閉じられた扉を見つめる。


そして。


ゆっくりと。


自分の手へ視線を落とした。


ついさっきまで。


ルシアが握っていた手。


そこにはまだ。


彼女の指先の温もりが——残っていた。


「……私が最初、か」


ぽつりと呟く。


その意味を。


零もまだ——深く考えなかった。


ただ。


なぜか。


その言葉だけが。


いつまでも——耳に残っていた。


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