第十九環 「限界のその先へ」
魔王城・東棟訓練場。
巨大な扉が開く。
その先には、広大な空間が広がっていた。
床も壁も、全て黒灰色の石造り。
至るところに複雑な魔法陣が刻まれている。
天井も高く。
多少派手な魔法を使った程度では、周囲に被害が出ないよう設計されていた。
「ここなら、少しくらい暴れても大丈夫」
「少しくらい?」
「私が本気で撃ったら壊れる」
「本当に最強なんだな、お前」
「今頃気づいた?」
「自称かと思ってた」
「一回燃やす?」
「遠慮する」
零は訓練場の中央へ進む。
ルシアもその向かいへ立った。
黒いマントを翻す。
先ほどまでのルシアとは——雰囲気が変わった。
食堂で怒鳴っていた少女でも。
昨夜、ドレス姿で顔を赤くしていた少女でもない。
魔王直属四座。
そして——。
魔界最強の魔導師。
その一端が、立っているだけで伝わってくる。
「じゃあ始めるわよ」
「ああ」
「まず確認」
ルシアが零へ右手を向ける。
「——あんた」
一拍。
「魔力を体外へ放出する感覚、分かる?」
「…………」
零は考えた。
そして。
「……なんとなく?」
ルシアの眉間に皺が寄った。
「なんとなくって何よ」
「いや、こう……力入れれば出る感じ?」
「…………」
「違う?」
「今日、一日で終わらないかもしれないわね」
「そんなに酷いのかよ」
「酷い」
即答だった。
ルシアは大きくため息を吐く。
しかし。
その口元は——ほんの少しだけ楽しそうだった。
「まあいいわ」
魔女帽子の鍔を、指先で持ち上げる。
真紅の瞳が、零を捉えた。
「そこから教えてあげる」
そして。
ルシアが笑った。
「覚悟しなさい、天津零」
「魔法っていうのは——あんたが思ってるほど、甘くないわよ」
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「じゃあ、まず今使える魔法を全部見せて」
「全部?」
「基本属性でいいわ。火、氷、風、雷、土。順番に」
「分かった」
零は右手を前へ向けた。
意識を集中する。
すると——。
一つ目。
赤い魔法陣。
「火球」
轟っ——!
掌から放たれた火球が、訓練場の標的へ直撃する。
爆ぜる炎。
標的の表面に、黒い焦げ跡が残った。
続けて。
二つ目。
青白い魔法陣。
空気中の水分が急速に凝結し——鋭い氷の槍へ変わる。
「氷槍」
放たれた氷槍が標的を貫き、砕け散った。
三つ目。
淡い緑の魔法陣。
「風刃」
目には見えない刃が空気を裂く。
標的の表面へ、一直線の切り傷が刻まれた。
四つ目。
紫電。
「雷撃」
バチッ——!
雷光が走り、標的を焼く。
そして。
最後。
茶褐色の魔法陣。
零が足元へ手を向ける。
「土壁」
轟音と共に。
石床から厚い土壁がせり上がった。
「…………」
五つの基本属性。
詠唱はない。
発動までの淀みもない。
零は手を下ろした。
「こんなもんか?」
返事がない。
「ルシア?」
「…………」
ルシアは腕を組んだまま、零を見ていた。
数秒。
「……あんた」
「何だよ」
「本当に魔法習ったことないの?」
「まともにはない」
「…………」
眉間に皺が寄る。
「ムカつく」
「なんでだよ」
「なんでも!」
ルシアは大きく息を吐いた。
「まあ……使えるのは分かったわ」
「そりゃよかった」
「勘違いしないで」
即座に釘を刺される。
ルシアが零へ歩み寄った。
そして。
零の右手を覗き込むように、顔を近づける。
「発動速度は問題なし」
真紅の瞳が、零の手元をじっと観察する。
「詠唱なしで五属性を切り替えられるのも異常なくらい優秀」
「異常?」
「普通は一つか二つ得意属性があって、そこから伸ばすものなの」
「へぇ」
「五属性を同じ感覚で扱える奴なんて、そういないわよ」
「じゃあ俺、結構すごい?」
「腹立つ言い方ね」
「褒めたのお前だろ」
「事実を言っただけ!」
ルシアは零の手を離した。
「でも——」
表情が変わる。
「今のままじゃ、全部二流」
「……二流?」
「あんたの魔法はね」
ルシアが右手を上げる。
「魔力を、そのまま形にして放ってるだけなの」
「それじゃ駄目なのか?」
「駄目」
即答だった。
「見てなさい」
ルシアが掌を上へ向ける。
次の瞬間——。
空気が変わった。
「…………」
零の金色の瞳が細められる。
ルシアの掌。
そこに生まれたのは。
ただの——火球。
先ほど零が使ったものと同じ、最初歩の攻撃魔法。
大きさも。
むしろ零が作ったものより小さい。
だが。
「……なんだ、これ」
違う。
明らかに。
炎の密度が違う。
火球の表面が激しく揺らぐことすらない。
小さな球体の中へ。
膨大な熱と魔力が——異常なまでに圧縮されている。
まるで。
小さな太陽。
ルシアが人差し指を軽く動かした。
「火球」
放たれる。
その速度すら、零のものとは違った。
次の瞬間。
轟ッッッ——!!
爆音。
標的へ着弾した火球が炸裂する。
熱波が訓練場を駆け抜けた。
零の髪が大きく揺れる。
そして。
「…………」
標的のあった場所。
そこだけが——大きく抉れていた。
黒煙が上がる。
「……初級魔法だよな?」
「そうよ」
ルシアは涼しい顔で答えた。
「さっきあんたが使ったのと、まったく同じ」
「嘘だろ」
「嘘じゃない」
ルシアが振り返る。
その表情は。
もう完全に——教師のものだった。
「違い、分かる?」
「……威力?」
「見れば分かるでしょ」
「じゃあ密度」
「正解」
ルシアが指を一本立てた。
「あんたの魔法は、魔力をそのまま放出してる」
「…………」
「仮に十の魔力を使ったとする」
ルシアが空中へ指を滑らせる。
魔力の光で『10』という数字が描かれた。
「でも、形を作る時点で漏れる」
数字が『9』へ。
「飛ばしてる途中でも散る」
『8』。
「標的へ届く頃には——」
『7』。
「良くても六か七」
「そんな減ってんのか」
「今のあんたはね」
ルシアが鼻を鳴らす。
「魔力量に余裕があるから、それでも力押しできてるだけ」
「……なるほど」
「でも」
ルシアが再び掌へ小さな火球を作る。
「私の場合」
先ほどと同じ。
小さく。
だが、異様な密度。
「使う魔力そのものは十」
「増やしてない?」
「増やしてない」
ルシアが頷く。
「十を十のまま使う」
「…………」
「漏らさない」
炎が圧縮される。
「散らさない」
さらに小さく。
「形を崩さない」
ルシアの掌で、火球が一点へ凝縮されていく。
「その十全部を——標的へ叩き込む」
「…………」
「しかも密度が高ければ、同じ十でも結果として十二や十五相当の破壊力を出せる」
ルシアが火球を消した。
「これが——魔力圧縮」
「魔力量じゃなくて、使い方か」
「そういうこと」
ルシアは少し満足そうに頷いた。
「やっと話が早くなってきたわね」
「分かりやすく説明したからだろ」
「私の教え方がいいってこと?」
「自分で言うな」
「事実よ」
本当に自信満々だ。
だが。
先ほどの一撃を見た後では、零も否定できなかった。
「で」
ルシアが零の正面へ立つ。
「ここから実践」
「もう?」
「当たり前でしょ」
「もうちょい休憩とか」
「始まったばっかりよ!」
「俺、昨日酒飲んでるんだけど」
「知らない!」
ルシアが零の右手を取った。
「ほら」
「……何してる?」
「魔力の流れを見るの」
ルシアの指先が、零の掌へ触れる。
「まず、ここに集中」
「…………」
「火でも氷でも何でもいい」
真紅の瞳が、零の手を見つめる。
「ただし——発動させない」
「形にするなってことか?」
「正確には、形になる直前で止める」
ルシアが零の掌を指先で軽く叩く。
「魔力を集める」
「……ああ」
「集めたら逃がさない」
「…………」
「そのまま、押し込む」
零は目を閉じた。
意識を右手へ向ける。
体内を巡る魔力。
それを。
掌へ。
少しずつ。
集める。
「そう」
ルシアの声。
「そのまま」
魔力が集まっていく。
掌が熱を帯びる。
「まだ発動させない」
「……分かってる」
「漏れてる」
「どこ」
「指先」
零が意識を向ける。
確かに。
集めた魔力の一部が、指先から外へ流れようとしていた。
「……これか」
「そう」
「普段気にしてなかった」
「でしょうね」
ルシアが呆れる。
「だから垂れ流しなのよ」
「言い方」
「事実」
「はいはい」
零は再び集中する。
指先から漏れる魔力を止める。
掌へ。
一点。
さらに。
圧縮する。
「……っ」
抵抗。
押し返される感覚。
魔力そのものが。
これ以上狭い場所へ押し込まれることを拒絶している。
「止まった?」
ルシアが尋ねる。
「ああ」
「限界だと思う?」
「多分」
「じゃあ——」
ルシアが笑った。
嫌な予感がした。
「そこから、もう一回押し込む」
「……は?」
「聞こえなかった?」
「いや聞こえたけど」
「限界だと思ってからが本番」
「無茶言ってないか?」
「言ってない」
「絶対言ってるだろ」
「魔力圧縮ってそういうものよ」
ルシアは腕を組む。
「最初の限界なんて、身体が勝手に決めてるだけ」
「…………」
「そこを越えて初めて、自分の本当の許容量が分かる」
真紅の瞳が真っ直ぐ零を捉えた。
「ただし」
「?」
「暴発しそうになったら、すぐ離しなさい」
「危ないのかよ」
「失敗したら腕くらい吹き飛ぶわね」
「先に言えよ!!」
「あははっ」
ルシアが笑う。
「大丈夫よ」
「何が!」
「私がいるから」
「…………」
一瞬。
零は言葉を止めた。
ルシアは当然のように続ける。
「暴発する前に止めてあげる」
「……自信あるんだな」
「誰に教わってると思ってるの?」
魔女帽子の鍔を持ち上げる。
「魔界最強の魔導師よ」
「はーいはい」
「その返事やめなさい!」
だが。
零は小さく笑った。
そして——。
再び右手へ意識を集中する。
魔力。
圧縮。
限界。
そこから——さらに。
「……っ」
掌の中。
目には見えない何かが。
僅かに——軋んだ。
ルシアの表情が変わる。
「……そう」
先ほどまでの冗談めいた声ではない。
「その感覚」
「…………」
「忘れないで」
零は歯を食いしばる。
魔力を。
さらに。
一点へ。
押し込む。
本来なら外へ溢れるはずの力を。
逃がさない。
潰す。
重ねる。
凝縮する。
そして——。
零の掌の中心に。
ほんの僅か。
金色の光が灯った。
「…………!」
ルシアの真紅の瞳が見開かれる。
「……へぇ」
その口元が。
ゆっくりと——楽しそうに吊り上がった。
「やっぱり」
「……何だよ」
「面白いじゃない、あんた」
だが。
次の瞬間。
ルシアはすぐに表情を引き締めた。
「……でも、まだ駄目」
「は?」
「喜ぶの早いわよ」
ルシアが零の右手へ歩み寄る。
「圧縮自体はできてる。でも——」
そのまま。
零の右手に、自分の手を重ねた。
「ここ」
「……?」
「魔力の流れが逸れてる」
小さな手が、零の手首を掴む。
「もっと中心に集めなさい」
「中心?」
「そう。今のあんた、圧縮しようとする力が外側へ逃げてるの」
ルシアは零の手首の角度を僅かに変えた。
そして——。
「力抜いて」
「抜いたら散らないか?」
「私が支えるから」
「…………」
零は言われた通り、僅かに力を緩める。
次の瞬間。
ルシアの指先から、魔力が流れ込んできた。
「……!」
熱い。
だが。
炎のような熱ではない。
自分の魔力とは明らかに違う、濃密で研ぎ澄まされた魔力。
それが零の腕を伝い——体内の魔力の流れへ触れてくる。
「これ……」
「私の魔力」
ルシアは真剣な表情のまま答える。
「抵抗しないで」
「分かった」
「今、あんたの流れに沿わせてる」
ルシアの魔力が。
まるで細い糸のように。
零の体内を巡る魔力へ絡みつく。
散ろうとする力を集め。
逸れようとする流れを中央へ戻していく。
「感じる?」
「……ああ」
「ここ」
ルシアの指が、零の掌の中心へ触れる。
「全部ここに集める」
魔力。
圧縮。
一点。
「外側へ逃げようとする力を、内側へ押し返す」
「…………」
「そのまま」
零は目を閉じる。
ルシアの魔力を辿る。
自分だけでは分からなかった道筋。
それが——はっきりと見える。
「そう」
ルシアの声が、近くから聞こえる。
「そこに集中して——」
そこで。
声が途切れた。
「……?」
零が目を開ける。
「…………」
近い。
思っていた以上に。
魔力の流れを見るために身を寄せていたルシアの顔が——零のすぐ横にあった。
吐息さえ届きそうな距離。
真紅の髪から、僅かに甘い香りがする。
そして。
ルシアも。
今になって、その距離に気づいたらしい。
真紅の瞳と。
金色の瞳。
至近距離で交わる。
「…………」
「…………」
数秒。
「——っ」
ルシアの頬が、一気に赤くなった。
「ちょ……!」
ばっ。
弾かれたように半歩下がる。
「な、何でそんな近いのよ!」
「いや、それは、お前から近づいてきたんだろ」
「そ、それは!」
ルシアが言葉に詰まる。
「魔力の流れを見るためよ!」
「分かってるよ」
「なら、そんな顔!すんな!」
「どんな顔だよ」
「知らない!」
「り、理不尽……」
零は呆れたように言いながら、自分の右手を見る。
そこにはまだ。
先ほどまで触れていたルシアの手の感触が、僅かに残っているような気がした。
「…………」
ただ。
それ以上考える前に。
「べ、別に!」
ルシアの声が飛んできた。
「変な意味じゃないんだから!」
「誰もそんなこと言ってないけど」
「——っ!」
「あんた本当に腹立つ!」
「なんでだよ!」
ルシアは魔女帽子の鍔をぐっと引き下げる。
顔を隠すように。
だが。
隠しきれていない耳まで、しっかり赤かった。
「と、とにかく!」
咳払い。
「今の感覚、覚えてなさいよ!」
「おう」
「もう一回!」
「また触るのか?」
「——っ!」
沈黙。
「…………」
ルシアの手が。
一瞬だけ、零の方へ伸びかける。
だが。
途中で止まった。
そして。
すっと引っ込む。
「……今度は」
「?」
「自分でやりなさい」
「急だな」
「一回教えたでしょ!」
「さっきまで直接教える気満々だったじゃん」
「気が変わったの!」
「分かりやすいな」
「何がよ!」
「なんでもない」
「絶対なんかあるでしょ!」
「はははっ!」
零が笑う。
ルシアはますます顔を赤くした。
「私は横で見てるから!」
そう言って。
先ほどより——明らかに一歩分遠い位置へ移動する。
腕を組む。
そして。
そっぽを向いた。
「……ほら」
「何?」
「やりなさい」
「こっち見てないじゃん」
「見てる!」
「どこを」
「魔力をよ!」
「便利な目だな」
「うるさい!」
零は小さく笑い。
再び右手を前へ出した。
「…………」
目を閉じる。
先ほどの感覚を思い出す。
ルシアの魔力が示した——道。
右手へ集中。
外へ逃がさない。
中心へ。
一点へ。
押し込む。
「……っ」
魔力が抵抗する。
だが。
今度は分かる。
どこへ逃げようとしているのか。
どこへ戻せばいいのか。
さらに。
圧縮。
もう一段。
押し込む。
零の掌の中心へ——。
再び。
金色の光が生まれた。
先ほどより。
僅かに小さい。
だが——。
明らかに、密度が高い。
「…………!」
横目で見ていたルシアの表情が変わった。
「……できた」
零が呟く。
「まだよ」
即座に返ってくる。
「これを無意識でできるまで繰り返すの」
「厳しいな」
「基礎だから」
「これが?」
「これが」
ルシアが腕を組んだまま頷く。
だが。
真紅の瞳は。
先ほどまでより、少しだけ嬉しそうだった。
「……まあ」
「?」
「一回教えただけでここまでできるなら」
僅かに口元が緩む。
「悪くないわ」
「それ褒めてる?」
「調子乗らない!」
「はいはい」
「その返事やめなさい!」
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