第一環 「魔王と元勇者」
黒髪の少年——天津零は魔族たちに捕らえられ、そのまま魔王城、玉座の間へと連行されていた。
その罪は人間の身でありながら、魔界の中心部にたどり着いたこと。
だが、その罪状は奇妙なものであった。
侵入罪。
その大罪を犯した少年は、道中を阻むものを誰も殺さず、何も語らず、ただ一人で魔王城にまで辿り着いたということだった。
重々しい扉がゆっくりと開く。
その最奥、玉座に座るのは、魔界を統べる魔王・リリス。
純白の長髪に赤い瞳。後頭部には2本の漆黒の角が生えており、魔王然たる漆黒の装束に身を包んでいる。
そして、玉座の前に並ぶ、一際強い存在感を放つもの。
特徴的な魔族が四人いた。
魔界において魔王に次ぐ力を持つ四人。正式には――魔王直属四座。
人界では、その存在への畏怖を込めて「四天王」と呼ばれていた。
魔王の傍らにいるのは、炎のような赤髪を持つ四天王・魔導士ルシア。髪をツインテールに結いあげ、魔導士のローブを纏っており、生真面目そうな雰囲気が漂う。
竜の角と翼を持つ四天王・シエラ。空色の長い髪をなびかせており、透き通るような空色の瞳が目を引く。鎧は青と黒の軽装で、その表情は翻弄な雰囲気を纏わせニコリと笑っている。
妖艶な雰囲気を纏う四天王・レイラ。褐色の肌に毛先を揃えられたボブヘアーのくすんだ金髪。耳は長く尖っており、妖しく輝く翠の瞳を持つダークエルフ。黒いローブを羽織り、整った美貌の奥にどこか翳りを宿している。
そして、鬼族の戦士、四天王・クオン。アッシュブロンドのショートボブで、黒と橙を基調とした軽装の鎧に身を包み、鍛え上げられた身体を惜しげもなく晒す。だが、その印象は粗野ではなく、小柄ながらもどこか華やかな色香が漂っていた。
その中心——魔王リリスは零を一瞥すると、小さく息をつく。
「ただの人間が、ねぇ。」
その真紅の瞳には零の姿と右手に掴まれた経緯書が写っているが、そこに映る感情は「退屈」だった。リリスは脇に控える侍女に書物を渡す。
「わざわざここに来た理由もわからないし、どうでもいんじゃない?魔獣の縄張りにでも捨ててきなさいよ。放っとけば勝手に死ぬでしょ。」
リリスの発言に、ルシアが不満そうに声を上げる。
「はぁ? わざわざ捨てに行くとか面倒じゃないですか、魔王様。人間なんてどうせ碌なこと考えてないですよ。ここで始末しちゃった方が——」
レイラはルシアの短慮を手で制する。そして、試すような視線で零を見る。
「まあまあ。人間が魔界に、しかもたった一人で来るなんて聞いたことないし、少しくらい話を聞いてあげても面白いんじゃない?」
零はその三人のやりとりを黙ってみていた。
「……んで、何? その目。」
シエラが天津零の金色の瞳に気づき、僅かに眉を上げた。
「人間にしては変わった色だし、そもそも魔王様を睨みつけるなんて、結構度胸あるね。それとも、今のこの状況が理解できてないだけ?」
クオンが前に出る。
「……人間。」
そして、無表情で零を見つめる。
「お前ら人間は弱い。ここは危険だと分からなかったのか。」
リリスは玉座に肘をつき、退屈そうに天津零を眺める。
「あんたさ、ここがどういう場所か分かってる? 魔界よ? 人間が生きられる場所じゃないの。」
そして、興味なさげに髪をかきあげる。
「で?その目で私たちを見て、何か言いたいことでもあるわけ?」
その時、零は初めて口を開いた。
「俺は、人界の元勇者だ。そして——俺はあなたに聞いて欲しい話がある」
零は勇者の証として、自らの神装を見せる。
人間の中でも一握り、強い魂を持つものが扱える武具。
神装、発動——夢幻抱擁
漆黒の蛇の意匠のブレスレット。口と尾が円環を描いており、発動と同時に蛇の口の意匠が自らの尾に噛み付いた。
その瞬間、ただの人間だった者の——存在の圧が変わる。
玉座の間に漂う空気が一変した。
「……へぇ。」
リリスが初めて、真っ直ぐに零を見据えた。退屈そうだった深紅の瞳に、微かな光が灯る。
「勇者……!?」
ルシアが即座に臨戦態勢を取る。赤い魔力が指先に集まり、いつでも魔法を放てる状態だ。
「魔王様、下がってください! こいつ――」
「ルシア、落ち着いて。」
リリスは片手でルシアを制し、玉座から立ち上がることもなく零を見つめ続ける。
リリスの言葉を代弁するかのようにレイラが零に質問する。
「ふぅん……人界に召喚されて、魔王を倒せと命じられたはずの勇者が、今ここにいる、と。」
レイラは顎に手を当て、値踏みするように零を観察する。
「……で、それを証明する手段は? ただの口先だけじゃないって、どう信じればいいの?」
「いやまあ、神装は本物っぽいけどさ。」
シエラが腕を組み、首を傾げる。
「逆に言えば、勇者がここにいるってことは……私たちを殺しに来た可能性もあるわけじゃん?でも、その割には大人しくしてる訳で……うーん?」
「……。」
クオンは無言で零を見据えている。その橙色の瞳には、戦士としての純粋な観察がある。
「こいつ、弱くはない。」
リリスはクオンの意見を聞き、肘をついたままゆっくりと口を開いた。
「面白いじゃない。人界の元勇者が、魔王の前に来て命乞いでもなく、事情説明?」
美しい純白の長髪をかきあげ、人間に問いかける。
「……ねえ、人間。いや、天津零、だっけ? あんた、私に何を言いたいわけ?」
言葉を続ける。
「私に何かしに来たの?もしかして魔界に居場所が欲しい? それとも、捕まっちゃったから、とりあえずは、ただ生き延びたいだけ?」
リリスの声は穏やかだが、その深紅の瞳は一切の嘘を見逃さないと告げている。
零は、リリスの目を静かに見つめ返す。
リリスはその目を見て——ただの、矮小な存在であるはずの人間の目を見て、背筋に悪寒が走った。
「俺は、復讐したい。妹を殺した、人界の王に」
玉座の間に沈黙が落ちた。
金色の瞳に宿る感情――それは怒り、憎悪、そして、静かに燃える決意だった。
「……妹」
リリスが初めて、僅かに表情を変えた。玉座の肘掛けに指を這わせながら、零を見つめる。
「へぇ……復讐。それも人界の王に」
レイラが薄く笑みを浮かべる。
「つまり、私たちと利害が一致するって言いたいわけだ。人界の王を潰したい勇者が、魔王軍に力を貸す――そういう話?」
「……っ」
ルシアは警戒を解かないまま、しかし攻撃の準備の手は止めている。リリスが動かない以上、勝手には動けない。
「妹を殺した、か」
シエラの目が僅かに細まる。その声には、先ほどまでの軽さがない。
「……復讐か」
クオンは武人として、納得したように静かに頷いた。短い言葉だったが、否定の色はなかった。
「ふぅん」
リリスがゆっくりと立ち上がる。玉座から降り、零の前まで歩み寄った。
圧倒的な魔力が空気を揺らす。しかしそれは威圧ではなく、ただ存在しているだけの重さだった。
「いいわ。話は聞いた」
そして、リリスは試すように。その存在の重さを零にぶつける。零の表情が少し震える。
「でもね、天津零。ここは魔界よ。口だけの人間に居場所なんてないのよ」
リリスが深紅の瞳で零を真っ直ぐに見据える。
「あんたがどれだけ本気か――それを見せてもらうわ。そして、使えるなら使ってあげる。使えないなら——その時は分かるでしょ?」
普通の人間であれば、いや、魔族であっても、魔王の威圧に耐えられるものは少なくない。
だが——
「もちろんだ。この命、あなたに捧げよう」
零は平気な顔をして言い切った。そして、その目の奥の炎は暗く揺らいでいる。
リリスは僅かに目を見開き――そして、口元に笑みを浮かべた。
「……あはっ」
小さく、しかし確かに笑った。
「あははっ。命を捧げる、ね。初対面の魔王に向かってそれ言える人間、初めて見たわ」
リリスは玉座を降り、零に歩み寄る。そして、零の顎に指を添え、僅かに持ち上げる。深紅の瞳が金色の瞳を覗き込んだ。その色には強い意志と共に、すぐにでも壊れてしまいそうな危うさも同胞していた。
「いい目してるじゃない。嘘の色はない――少なくとも今はね。」
指を離し、踵を返す。
「いいわ。受け取ってあげる、その命。ただし――私に捧げた以上、勝手に死ぬことは許さない。分かってるわね?」
それまで黙っていたルシアが講義の目をリリスに向ける。
「ま、魔王様!? 本気ですか!? こいつ人間ですよ!? しかも元勇者――」
「ルシア」
「……っ」
一言で黙らせた。ルシアは唇を噛みながらも、それ以上は口を開かない。
「ふふっ。面白くなってきた」
レイラは唇に手を当てて妖しく笑う。
「まあ、魔王様がそう言うなら。――よろしくね、天津零」
シエラはにいっと笑顔を向ける。
「……お前。面白いな。今度、手合わせしろ」
クオンは静かに言い放つ。
リリスは肩にかけた外套をはためかせ、玉座に戻り、肩越しに振り返った。
「今日からあんたは魔王軍の一員よ。あとー、そうね。部屋はルシアに案内させるから。」
「は、はぁ!? なんで私が――」
「ルシア。」
「……分かりましたよ! ほら、さっさと来なさい!」
ルシアが苛立たしげに踵を返し、謁見の間の出口へ向かう。
◆
謁見の間を出た後、
「すまない」
零はルシアの後を負う。ルシアの気持ちを慮り、謝罪するが、それを聞いてルシアは足を止める。
「……は? 何で謝んのよ」
振り返ったルシアの表情は、怒りというより困惑に近い。
「別に、あんたに謝られる筋合いないし」
再び歩き出す。黒いマントが揺れ、ツインテールの赤髪が背中で跳ねた。
「……私は魔王様の判断に従うだけ。魔王様がそう決めたなら、それが正しいのよ」
「……そうか、信頼、してるんだな」
「まあね」
少し間を置いて、小さな声が続く。
「ただ――」
振り返り、真紅の瞳で天津零を射抜く。
「魔王様を裏切ったら、その時は私が殺すから。人界の王より先に、あたしがあんたを焼き尽くす。それだけは覚えておきなさい」
その言葉には嘘も誇張もない。殺気もあるが、それは純粋な忠誠心から出た、偽りのない宣言だった。
ルシアは再び前を向き、長い廊下を歩いていく。
「……ほら、早く来なさい。置いてくわよ」
ルシアの言葉に、零は久しぶりに自身の顔に笑みが浮かぶのを感じた。
「安心してくれ。奴を、人界の王を殺すまでは、少なくともあんたらの敵に回るつもりはない」
ルシアの足が再び止まる。
「……『少なくとも』?」
振り返った真紅の瞳が鋭く細められる。
「あんた今、『少なくとも』って言ったわよね」
ルシアが一歩、零に近づいた。
「つまり何? 復讐が終わったら、その後は分からないって意味?」
苛立ちを隠そうともしない声。しかしその奥には、魔王を案じる感情が透けて見える。
「……ふん。まあいいわ。正直なのは嫌いじゃない」
ルシアは視線を逸らし、再び歩き出す。
「綺麗事並べて『永遠に忠誠を誓います』とか言われるより、よっぽどマシよ」
ルシアは息を吐く。
「でもね――」
廊下の突き当たり、一つの扉の前で立ち止まる。
「魔王様の傍にいれば、あんたもそのうち分かるわ。あの方がどれだけ――」
言いかけて、ルシアは口を閉じた。少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
「……ここがあんたの部屋よ。何か必要なら自分で探しなさい。私は案内係じゃないんだから」
そう言い残し、ルシアは足早に去っていった。
「ありがとう、ルシア。助かったよ」
零は、なんとなしに礼をいう。ルシアの足が一瞬だけ止まった。そして、背中越しに、赤い髪が僅かに揺れる。
「……別に。魔王様に言われたからやっただけだし」
振り返りはしない。しかしその声は、先ほどまでの棘が少しだけ抜けていた。
「あんたに感謝されてもべつに嬉しくなんてないわよ」
呟くようにそう言い残して、ルシアは廊下の角を曲がり、姿を消した。
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