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第十七環 「復讐だけじゃない」


祝勝会は、深夜まで続いた。


零は杯を片手に、大広間を巡っていた。


「おい、天津!」


「ん?」


振り返った瞬間、背中を勢いよく叩かれる。


話しかけてきたのは大柄の山羊頭の男。後ろには翼の生えた男もいる。


「今日の試合、見てたぞ! やるじゃねぇか!」


「次は俺と手合わせしろよ!」


「お前じゃ一撃で終わるだろ!」


「うるせぇ!」


豪快な笑い声が響く。


昼間までとは——明らかに違っていた。


闘技場で零の戦いを目にした魔族たちは、驚くほど友好的になっている。


背中を叩かれ。


酒を注がれ。


料理を押しつけられ。


挙げ句の果てには「次は俺と戦え」と挑戦状まで叩きつけられる。


「……分かりやすい奴らだな」


零は苦笑しながら、注がれた酒を一口飲む。


人間だから。


ただそれだけの理由で向けられていた敵意が、少しずつ消えている。


もちろん。


全員ではない。


遠巻きに零を睨む者もいる。


未だに人間を信用していない者もいるだろう。


それでも——。


「おい天津! 飲んでんのか!」


「飲んでるよ!」


「足りねぇ!」


「お前ら注ぎすぎなんだよ!」


少なくとも。


ここにいる者たちの一部は——もう零を単なる『人間』として見てはいなかった。


「そこのキミ〜!」


騒がしい声が聞こえた。


嫌な予感がする。


振り返ると——。


「こっちこっち!」


シエラが満面の笑みで手招きしていた。


既に顔が赤い。


「……お前、何杯目だよ」


「知らな〜い!」


「堂々と言うなよ」


「あははっ!」


シエラが手にした瓶を持ち上げる。


「ほらほら、これ飲んでみなよ」


「何だそれ」


「竜族の地酒!」


どん。


テーブルへ置かれる。


「めちゃくちゃ強いやつ」


「最後の一言で飲む気なくしたわ」


「大丈夫だって!」


「何が大丈夫なんだよ」


「死なない死なない」


「判断基準おかしいだろ!」


「あはははっ!」


完全に酔っている。


零が呆れていると、シエラが上機嫌で肩へ腕を回してきた。


「いやー、でも今日の闘技場面白かったなぁ」


「近い近い」


「最後のバルザスの顔見た?」


「戦ってたからな」


「『は?』って顔してたよ」


シエラがバルザスの顔を真似する。


「こんな感じ〜」


「もっと怖い顔だったぞ」


「じゃあ〜、こう?」


「似てねぇよ」


「で、そのまま——」


シエラが片手を振る。


「どーん!」


「雑すぎるだろ」


「あはははっ!」


シエラは腹を抱えて笑った。


そして——。


「あ、そうだ」


「今度は何だよ」


「前に飲み比べしたじゃん」


零の眉が動く。


「……ああ」


「私、負けたよね」


「負けたな」


「まだ根に持ってるから」


「面倒くせぇ……」


シエラがにやりと笑う。


「今日こそリベンジ——」


「駄目に決まってるでしょ!!」


後頭部へ声が飛んできた。


「いたっ!」


ルシアがシエラの頭を叩いた。


「何すんのさ!」


「何すんのさ、じゃないわよ! あんたもう十分飲んだでしょ!」


「まだ飲めるよ〜?」


「これ以上飲んだら、また明日何も覚えてないパターンよ!」


「大丈夫大丈夫」


シエラが胸を張る。


「私、まだ全然酔ってないし」


「その台詞言う奴が一番酔ってんのよ!!」


「ルシアうるさーい」


「誰のせいよ!」


「仲いいな、お前ら」


零が笑う。


「どこがよ!!」


「仲良しだよ〜」


「シエラは黙ってなさい!」


「はいはい」


全く反省していない。


零はそんな二人を見ながら、杯の酒を飲んだ。


「……ほんと騒がしいな」


だが。


口元には、自然と笑みが浮かんでいた。


 ◆


しばらくして。


零は料理が並ぶ長テーブルの端で、一人の少女を見つけた。


「…………」


クオンだった。


黙々と肉を食べ続けている。


その横には——。


「……何枚食ったんだよ」


空になった皿が、既に五枚ほど積み上がっていた。


クオンが顔を上げる。


「零」


「よく入るな、お前」


「入る」


「そうかよ」


「座れ」


クオンが隣の椅子を顎で示した。


「ん?」


「座れ」


「分かったよ」


零が腰を下ろす。


すると。


クオンは自分の皿に乗っていた大きな肉の塊を掴み——。


どん。


零の皿へ置いた。


「……何だこれ」


「肉」


「それは見れば分かる」


クオンは気にすることなく、次の肉へ手を伸ばす。


「勝った奴は食え」


「…………」


「体が資本だ」


それだけ言うと、再び黙々と食べ始めた。


「お前なりの祝いか?」


クオンの手が一瞬止まる。


「…………」


「違うのか?」


「……食え」


「はいはい」


答えにはなっていない。


だが。


横を向いたクオンの表情が——ほんの少しだけ満足そうに見えた。


零は小さく笑い、皿に置かれた肉を口へ運ぶ。


「……うまいな」


「そうだろ」


即答だった。


「そこは嬉しそうなんだな」


「肉は裏切らない」


「名言みたいに言うなよ」


「……?」


「なんでもない」


二人はしばらく、無言で料理を食べた。


会話はほとんどない。


だが——。


不思議と、居心地は悪くなかった。


 ◆


「楽しんでる?」


今度は、静かな声だった。


零が振り返る。


大広間の壁際。


ソファへ深く腰掛けたレイラが、ワイングラス越しにこちらを眺めている。


「こんばんは、主役さん」


「……また見てたのか」


「ずっと見てるよ」


「怖いわ」


「あはっ」


レイラは楽しそうに笑い、ワイングラスをくるりと回す。


「どう?」


「何が」


「祝勝会」


零は大広間を見渡す。


酔っ払って騒いでいる魔族。


料理を奪い合う者。


腕相撲を始めた者。


シエラとルシアは、まだ何やら言い争っている。


「……まあ」


零は杯を傾ける。


「悪くない」


「へぇ」


レイラの緑色の瞳が細くなる。


「五日前だったら、絶対言わなかっただろうね」


「……そうかもな」


「ふふ」


レイラはそれ以上追及しなかった。


代わりに。


「でも」


グラス越しに、零を見る。


「みんな君のこと見てるよ」


「?」


「今日の主役だからね」


一拍。


「——特に、あの人」


レイラの視線が、零の背後へ向けられる。


「…………」


嫌な予感がして。


零も、その視線を追った。


大広間の向こう側。


何人もの幹部たちに囲まれている——白銀の魔王。


リリス。


ちょうど。


こちらを見ていた。


「…………」


深紅と金色の瞳が、遠く離れた場所で交わる。


すると。


リリスが小さく笑った。


手にした杯を——ほんの少しだけ掲げる。


そして。


唇が動いた。


——楽しんでる?


声は聞こえない。


けれど。


不思議と、何を言ったのか分かった。


「…………」


零も小さく杯を掲げる。


それを見たリリスが、満足そうに笑った。


そして再び、周囲の幹部との会話へ戻っていく。


その一部始終を。


レイラは当然——見逃していなかった。


「ね?」


「……何が」


「言ったでしょ」


「何をだよ」


「ふふっ」


レイラは答えず、ワインを一口飲んだ。


「気持ち悪い笑い方すんな」


「ひど、失礼だなぁ」


「絶対なんか考えてるだろ」


「もちろん」


「否定しろよ」


「あはっ」


レイラの楽しそうな笑い声が響いた。


 ◆


そして。


夜は更けていった。


一人。


また一人と。


酒に負けた者たちが、大広間から脱落していく。


「…………すぅ」


シエラはソファを一つ占領し、完全に眠っていた。


先ほどまでの騒がしさが嘘のような寝顔。


「だから言ったのよ……」


ルシアが呆れながら、どこからか持ってきたブランケットをシエラへ掛ける。


「明日になったら絶対『何も覚えてな〜い』とか言うんだから……」


ぶつぶつ文句を言いながらも。


ブランケットが落ちないよう、きちんと肩まで掛け直していた。


その少し離れた場所では——。


「…………」


クオンが壁にもたれて眠っている。


近くには、積み上げられた大量の皿。


どうやら満腹になったらしい。


レイラはいつの間にか姿を消していた。


そして。


宴の熱気が、少しずつ静けさへ変わり始めた頃。


零は一人、大広間の窓際に立っていた。


手には、酒の入った杯。


窓の向こう。


魔界の夜空には——人界では見たこともない星々が輝いている。


「…………」


零は静かに酒を口へ運んだ。


一年前。


この世界へ召喚された。


突然だった。


何も知らないまま連れてこられ。


妹を殺され。


何もできなかった。


ただ。


目の前で奪われるのを——見ていることしかできなかった。


あの日から。


零の中に残ったものは、一つだけだった。


——復讐。


人界の王を殺す。


そのためだけに生きる。


そのためなら。


人間を捨てても構わないと思った。


だから——魔王の手を取った。


それだけだった……はずなのに。


「…………」


零は振り返る。


まだ僅かに残る、祝勝会の喧騒。


酔い潰れたシエラ。


その世話を焼くルシア。


満腹になって眠るクオン。


いつの間にか消えたレイラ。


そして。


大広間の奥。


白銀の髪。


深紅の瞳。


魔王——リリス。


五日前には。


想像すらしていなかった光景だった。


復讐のために来た場所。


人類の敵になるために選んだ場所。


それなのに——


「……悪くはないな」


零は小さく呟いた。


復讐する。


その気持ちは何一つ変わっていない。


人界の王を殺す。


妹の仇を討つ。


そのために強くなる。


それは——これからも変わらない。


けれど。


それだけではなくなり始めていた。


この城で過ごす時間。


ここで出会った奴ら。


自分を認め始めた魔族たち。


最初は復讐のために利用するつもりだった。


人界の王を殺すための力を手に入れる。


そのために——魔王の側についた。


なのに。


もし。


いつか。


こいつらが危険に晒されたら。


俺は——。


「…………」


考える。


だが。


答えは、もう分かっていた。


きっと。


見捨てられない。


「……俺も随分変わったな」


まだ五日しか経っていない。


なのに。


復讐のためだけに選んだはずの場所を。


少しずつ——


守りたいと。


そう思い始めている自分がいた。


零は残っていた酒を、一息に飲み干した。


喉を焼くような熱。


空になった杯を窓枠へ置き、再び夜空を見上げる。


魔界の夜空。


人界とは違う星々。


五日前には、名前すら知らなかった世界。


今はまだ——


ここを自分の居場所だと言うつもりはない。


そんな簡単に。


過去を捨てられるわけでもない。


それでも。


いつか。


本当にそう思える日が来るのかもしれない。


そんなことを考えていた時だった。


「——零」


背後から声がした。


振り返る。


「…………」


ルシアが立っていた。


黒いドレス。


真紅のツインテール。


そして——。


いつもより、少しだけ赤い頬。


「何だ?」


「……帰るわよ」


「もう終わりか?」


「もう深夜よ」


ルシアが呆れたようにため息を吐く。


「明日も鍛錬あるんだから」


「明日もやるのかよ」


「当たり前でしょ」


「今日、あんだけ戦ったんだけど?」


「だから何?」


「いや鬼かよ」


「まさか、魔女よ!」


「そこ訂正するのか」


「うるさい!」


いつもの調子。


「くっ、あはははっ」


零は思わず笑った。


「何笑ってんのよ」


「いや」


「何よ」


「なんでもない」


「絶対なんかあるでしょ」


ルシアがむっとする。


だが。


すぐに小さく息を吐いた。


「……ほら」


「?」


ルシアが、手を差し出した。


「帰るわよ」


「…………」


零はその手を見る。


昼間。


無意識に握った——リリスの手。


あの時とは違う。


今度は。


目の前に差し出された手を見て。


自分の意思で。


「……ああ」


零は手を伸ばした。


ルシアの手を取る。


「——っ」


その瞬間。


ルシアの肩が僅かに跳ねた。


「……何だよ」


「な、なんでもない!」


「お前から出したんだろ」


「そうだけど!」


「じゃあ行くぞ」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


零が歩き出す。


その手に引かれるように、ルシアも後を追った。


「零!」


「何だよ」


「歩くの速い!」


「お前が遅いんだろ」


「誰のせいよ!」


静かになり始めた大広間に、二人の声が響く。


そして。


誰もいなくなった窓の向こうでは——。


人界とは違う星々が、静かに輝いていた。


復讐だけを胸に始まった五日間。


その終わりに。


零の中には——


まだ名前のない、もう一つの想いが芽生え始めていた。


五日目の夜が、静かに更けていった。

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