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第十五環 「幻惑のダークエルフ」

しばらく歩いたところで、零はふと気づいた。


「……ところで、レイラは?」


その問いに、三人が顔を見合わせる。


「あー……」


シエラが思い出したように声を漏らす。


「そういえば、今日一回も見てないね」


「あいつは昔から気まぐれなのよ」


ルシアが肩をすくめる。


「興味がなければ来ないし、興味があっても気分次第で来ないし」


「それもう、何なら来るんだよ」


「気分よ」


「全部気分じゃねぇか」


「だからそう言ってるでしょ」


当然のように返され、零は呆れた。


「レイラは自由だ」


クオンが淡々と言う。


「いつもそうだ」


「クオンに言われると説得力あるな」


「……?」


「いや、なんでもない」


ルシアが小さくため息をつく。


「まあ、祝勝会には来るでしょ。あいつ、ああ見えて魔王様の催しにはちゃんと顔を出すから」


そこでルシアは少しだけ眉を寄せる。


「……というか、人の反応を見るのが好きなのよ」


「人の反応?」


「趣味悪いんだ〜、あの人」


シエラが笑いながら割り込んだ。


「零が困ったり怒ったりするところ見たら、絶対喜ぶよ」


「最悪じゃねぇか」


「あはは。でも——今日のことも、多分もう全部知ってると思う」


「来てないのに?」


「レイラ、情報だけは異常に早いからねぇ」


シエラが苦笑する。


「きっと全部知ってるよー。闘技場で三連勝したことも、最後にリリス様の手を握ったことも——」


「ちょっと待て。後半まで伝わってんのか?」


「多分、だけどね」


「なんでだよ」


「さあ?」


楽しそうにシエラが笑った。


「祝勝会で絶対なんか言ってくるよ。覚悟しときな〜?」


「嫌な予告すんなよ……」


「あいつに構いすぎると面倒なことになるわよ」


ルシアが忠告する。


「反応すればするほど喜ぶんだから」


「じゃあ無視すればいいのか?」


「それはそれで、どうにかして反応させようとしてくるわ」


「どうしろってんだよ」


「諦めなさい」


「理不尽すぎるだろ……」


そんな会話を交わしながら、一行は城門をくぐった。


夕陽が魔王城の黒い尖塔を赤く染めている。


祝勝会までは、あと数時間。


「さーて、一回部屋戻って、ドレスに着替えよ」


シエラが大きく伸びをする。


「零も適当に支度しときなね」


「私は厨房を見てくる」


クオンが即答した。


「だから食べ物のことしか——!」


ルシアが怒鳴りかける。


だが途中で諦めたように肩を落とした。


「……もういいわ」


「肉があるか確認してくる」


「報告しなくていい!」


クオンは気にする様子もなく、厨房の方角へ歩いていった。


シエラも笑いながら自室へ向かう。


最後に残ったルシアが、零を指差した。


「零。あんたも変な格好で来ないでよ」


「変な格好ってなんだよ」


「そのままとか」


「これじゃ駄目なのか?」


「祝勝会なのよ!? 魔王様の前なんだから、少しくらいちゃんとしなさい!」


「面倒くさ……」


「いいから!」


それだけ言い残し、ルシアも足早に去っていった。


「……着替えって言われてもな」


一人になった零は頭を掻き、自室へ向かう。


静かな廊下を歩いていると——。


ふと。


足が止まった。


「……?」


何かが、動いた気がした。


壁際。


夕陽の届かない柱の影。


ほんの一瞬だけ——そこに誰かが立っていたような。


零が振り返る。


しかし。


「…………」


誰もいない。


長い廊下が、静かに続いているだけだった。


気のせいか。


そう思い、再び歩き出そうとした時。


「……紅茶?」


甘い香りが鼻を掠めた。


ほんの微かに。


けれど、確かに。


零はもう一度振り返る。


やはり——誰もいない。


「……待て」


零は数秒、誰もいない柱の影を見つめる。


甘い紅茶の香り。


さっきまで、確かにそこに誰かがいた。


「…………」


零は踵を返した。


「逃がすかよ」


香りを辿る。


静かな廊下を進み、角を曲がる。


さらに奥へ。


中央棟と西棟を繋ぐ渡り廊下へ差しかかったところで——零の足が止まった。


夕陽が差し込む、大きな窓。


その窓際に。


影のように、一人の女が佇んでいた。


くすんだ金髪が、夕陽を透かして淡く輝いている。


褐色の肌。


長く尖った耳。


そして——緑色の瞳。


壁に背を預け、片手にティーカップを持ったレイラが、最初から零が来ることを知っていたかのように立っていた。


零の姿を認めると、その瞳が愉快そうに細められる。


「——あら。気づいちゃった?」


「やっぱりお前か」


「ふふっ」


悪びれる様子もなく、レイラが笑う。


「わざと香りを残しておいたんだけど……まさか本当に追ってくるとは思わなかったな」


「わざとかよ」


「もちろん」


レイラはティーカップを唇へ運び、一口。


そして——。


じぃっ。


緑色の瞳が、零を上から下まで舐めるように眺める。


「……なんだよ」


「別に?」


「その目で別には無理あるだろ」


「ふふ。そう?」


楽しそうに笑いながら、レイラは壁から背を離した。


「見てたよ、闘技場」


一歩。


レイラが零へ近づく。


「——全部」


「やっぱりいたのか」


「いたよ?」


「誰も気づいてなかったぞ」


「気づかれたら面白くないじゃない」


当然のように答える。


零は眉を寄せた。


「……趣味悪いな、お前」


「あら、褒め言葉?」


「褒めてないよ」


「残念」


くすくすと笑いながら、レイラはさらに一歩近づいた。


「ガルドを力で制圧して、ヴェルクの攻撃を捌いて、最後はバルザスを一撃」


緑色の瞳が、零の全身を観察する。


「……ふぅん」


「なんだよ」


「思ってたより、ずっと強いんだなって」


「そりゃどうも」


「でも——」


レイラの笑みが深くなる。


「一番面白かったのは、その後」


「……おい」


「魔王様の手、握ったでしょ?」


「…………」


「ふふっ。その顔」


「なんでそこまで見てんだよ」


「全部見てたって言ったじゃない」


紅茶の甘い香りが、さらに近づく。


レイラは零の目の前まで来ると、顔を覗き込むように首を傾げた。


「しかも——妹に似てたから、だっけ?」


零の表情が変わった。


「……控室の会話まで聞いてたのか」


「うん」


「堂々と言うなよ」


「隠す必要ある?」


「あるだろ普通」


「私、普通じゃないから」


即答だった。


「……面倒くさ」


「あはっ。ルシアと同じこと言ってる」


レイラは楽しそうに笑う。


しかし——。


次の瞬間。


その笑みが、ほんの少しだけ変わった。


ティーカップを窓枠へ置く。


そして。


とん。


細い指先が、零の胸元に触れた。


ちょうど——心臓の位置。


「——ねぇ、天津零」


先ほどまでと同じ、柔らかな声。


なのに。


緑色の瞳だけが、笑っていなかった。


「君さ」


とん。


もう一度。


指先が零の胸を叩く。


「本当に、それだけ?」


「……何がだよ」


「魔王様の手を握った理由」


「だから、妹に——」


「似てたから?」


零の言葉を遮る。


「…………」


「うん。それは本当だと思うよ」


レイラはあっさり肯定した。


「嘘をついてる顔じゃなかったし」


「なら——」


「でも」


レイラの顔が近づく。


緑色の瞳が、まるで零の内側まで覗き込もうとするように細められた。


「それだけなら、なんで今も気にしてるの?」


「……は?」


「さっきから何回、自分の手見た?」


零の言葉が止まった。


「…………」


「三回」


レイラが笑う。


「私が見てた範囲だけでね」


「……数えてたのかよ」


「面白かったから」


「本当に趣味悪いな」


「あはっ。ありがと」


「褒めてねぇ」


「知ってる」


レイラは指を離した。


そして窓枠に置いていたティーカップを再び手に取る。


「妹に似てた」


一口。


紅茶を飲む。


「だから、手を握った」


もう一口。


「そこまでは分かる」


そして。


カップの縁越しに、緑色の瞳が零を見る。


「じゃあ——その後まで気になってるのは、なんでだろうね?」


「…………」


答えられなかった。


いや。


答えが分からなかった。


リリスの手を握ったこと自体に、深い意味なんてない。


妹を思い出した。


ただ、それだけだ。


——そのはずだ。


なのに。


掌に残った感触を、何度も思い出していたのは事実だった。


「……知らねぇよ」


ようやく出た答えは、それだけだった。


「うん」


レイラは満足そうに笑う。


「それでいいんじゃない?」


「は?」


「分からないなら、分からないままで」


レイラが身を引く。


「私、人の嘘を見るの得意なんだ」


「……そうかよ」


「でもね」


緑色の瞳が、妖しく細められる。


「嘘より面白いものがある」


「なんだよ」


「本人もまだ知らないこと」


「…………」


「それを見つけるのが、一番楽しい」


ぞくり。


ほんの一瞬。


零は、この女が四座の一人であることを思い出した。


飄々としている。


戦っているところも、まだ見たことがない。


それでも。


今の一瞬だけは——。


目の前にいる女の底が、まるで見えなかった。


だが。


次の瞬間には、いつもの悪戯っぽい笑顔に戻っていた。


「ま、答えなくていいよ」


レイラがくるりと踵を返す。


「今はまだ、ね」


「……言いたいことだけ言いやがって」


「私、そういう性格だから」


「知ってるよ。今日だけで嫌ってほど分かった」


「あはっ」


レイラは数歩進んだところで、肩越しに振り返る。


「祝勝会、楽しみにしてるよ」


「俺は嫌な予感しかしないけどな」


「ふふっ」


レイラの唇が楽しそうに弧を描く。


「——もっと面白いもの、見せてよ。天津零」


そう言って。


レイラは夕陽の届かない廊下の影へ踏み込んだ。


一歩。


二歩。


そして——。


「……は?」


零が瞬きをした時には。


その姿は、消えていた。


足音すら聞こえない。


残されているのは——甘い紅茶の香りだけ。


「……幻術か?」


返事はない。


零はしばらく、レイラが消えた場所を見つめていた。


やがて、小さく息を吐く。


「……変なやつ」


そう呟き、自室へ向かって歩き出す。


けれど。


頭の片隅には。


先ほどのレイラの問いが、妙にこびりついていた。


——それだけなら、なんで今も気にしてるの?


「…………」


零は無意識に、自分の掌へ視線を落とした。


その瞬間。


どこからか——。


くすっ。


小さな笑い声が聞こえた。


「……見てんじゃねぇよ、たく」


返事の代わりに、楽しそうな笑い声だけが遠ざかっていった。

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