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第百十三環 「王が遺した資格」


玉座の間の天井が崩れた。


壁が砕け、床を走った亀裂が玉座まで到達する。


アルトリウスの肉体が内側から崩壊していた。


零の拳から流し込まれた「破壊」の概念が、細胞の一つ一つへ浸透している。


永劫支配による再生が始まる。


だが、遅い。


破壊される速度へ、再構築が追いつかない。


「——ッ、は……」


アルトリウスが膝をついた。


四つの神装が消える。


全身を覆っていた聖紋が薄れ、異形化した肉体が人間の姿へ戻っていく。


それでも破壊は止まらない。


零は荒い呼吸を繰り返していた。


《無窮蛇装(ウロボロスアペイロン)》が解除され、砕けた黒い鱗が光となって右腕の神装へ戻っていく。


勝った。


一年間、殺すことだけを考え続けた相手を倒した。


だが零の瞳は、既にアルトリウスを見ていなかった。


白い仮面の少女へ向けられている。


「……一華」


一歩、踏み出す。


リリスの声が背中へ飛んだ。


「待ちなさい、零」


それでも、止まれなかった。


「もう終わった」


血に濡れた手を、少女へ差し伸べる。


「帰ろう」


白い仮面の少女が、僅かに顔を上げた。


仮面の奥から覗く瞳。


記憶の中にある妹と、同じ目。


これで全てが終わる。


妹を取り戻し、四座のもとへ帰る。


そう思った。


「——終わった?」


背後から、掠れた声が響いた。


零が振り返る。


膝をついたアルトリウスが、崩壊する体で笑っていた。


血を吐きながら。


それでも、満足そうに。


「違うよ」


「……何?」


王が顔を上げる。


狂気も、嘲笑もない。


ただ、長い計画の成就を見届けた者の目。


「ここからだ」


その瞬間。


白い光が、王城から天へ伸びた。


空を貫き、雲を裂き、世界そのものへ亀裂を走らせるような光。


遠く離れた魔王軍本陣で、四座が同時に王城を振り返った。


「何よ……あれ」


ルシアが立ち上がろうとする。


シエラの青い瞳が見開かれた。


「嘘でしょ。あの気配——」


クオンが黒い大戦斧を掴む。


魔王の卵として目覚めた本能が、警鐘を鳴らしている。


「……」


レイラの緑色の瞳が、白い光を見据えた。


「第五席が、動いた?」


     ◆


リリスは、見ていた。


零とアルトリウスの戦いが始まってから、一瞬たりとも白い仮面の少女から目を離していない。


だからこそ、理解できなかった。


少女が消えたわけではない。


動いた瞬間を見落としたわけでもない。


そもそも、何かが起きる過程など存在しなかった。


気づいた時には、白い仮面の少女が握る白銀の刀が、アルトリウスの胸を背中まで貫いていた。


「——え?」


リリスの思考が止まる。


零も、妹へ差し伸べた手を宙に残したまま凍りついていた。


少女が口を開く。


「ああ、なるほど」


温かくも、冷たくもない。


目の前にある事実を確認しただけの、空白の声。


「そういうこと」


白銀の刀が引き抜かれる。


血が噴き出し、アルトリウスの体が前へ崩れかけた。


だが、王は笑っていた。


零の破壊に蝕まれ、心臓を貫かれた体で。


それでも穏やかに。


アルトリウスの瞳が、零へ向けられた。


「これで——資格を得たね、零」


「……何を言ってる」


「四つの試練を越えた。痛みも、欲望も、消失も、定められた道さえ——君は否定せず、自分の力へ変えた」


「試練……?」


「君なら、届くかもしれない」


初めて、王の声に懇願が混じった。


「頼む」


血が唇から溢れる。


「彼女を——」


途切れかけた息を振り絞る。


「一華を……救ってやってくれ……」


「待て。お前は何を——」


答えは返らなかった。


永劫支配の光が消える。


人界を統べた王の体が崩れ落ち、二度と動かなくなった。


沈黙。


零は立ち尽くしていた。


復讐の相手が、最後に妹を救えと言った。


一華を利用し、傷つけ、自分から全てを奪ったはずの男が。


「……救う?」


何から。


誰から。


零の視線が、白い仮面の少女へ戻る。


少女は白銀の刀を下ろし、王の血を無感情に見下ろしていた。


リリスの背筋に、冷たいものが走る。


アルトリウスは少女を支配していたのではない。


少なくとも、完全には。


むしろ王自身が、この空白の少女を繋ぎ止めるため、《永劫支配》へ縋りついていたのではないか。


白い少女が呟いた。


「なるほどね。よく考えたものだわ、アルトリウス」


王の名を、道具の品定めでもするように呼び捨てる。


「四諦を模した試練を用意し、零を悟りへ導く」


白い指が、刀を伝う血を拭った。


「苦諦——痛みの理解」


「集諦——欲望の超克」


「滅諦——消失への抵抗」


「道諦——定められた運命の否定」


仮面の奥の瞳が、零を見た。


「四つの試練を越えさせ、概念操作を極限まで高める。そうすれば、ワタシや彼を抑えられると思ったのか」


零には、その“彼”が誰を指すのか分からなかった。


少女が首を傾げる。


答え合わせを終えた子供のように。


「でも、無駄だったね」


「一華……何を言ってるんだ」


白い仮面の左半分が、ゆっくりとずり落ちた。


黒い髪。


一年前と変わらない、あどけなさの残る頬。


間違いなく、天津一華の顔だった。


だが、その瞳は何も映していない。


一華が微笑む。


妹と同じ顔で。


妹ではない何かの笑みを浮かべて。


「待っててね、お兄ちゃん?」

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