↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/117

第百十環 「白き仮面の少女」


——人界王城・第三城壁前。


零とリリスが合流したのは、王城を守る最後の城壁の前だった。


リリスは無傷だった。


白銀の長髪が風に揺れ、深紅の瞳が静かに零を見据えている。黒と赤の魔王装束にも乱れはなく、その存在感だけで周囲の空気が重く沈んでいた。


「遅かったじゃない」


軽い口調。


だが零の全身に致命傷がないことを確認した瞬間、その目元が僅かに緩んだ。


「四人は?」


「全員無事だ。クオンが回収部隊へ引き渡した」


「……そ。なら、いいわ」


一瞬だけ安堵を覗かせ、すぐに魔王の顔へ戻る。


リリスが見上げた先には、巨大な白亜の壁が聳えていた。


第三城壁。


人界王城を守る最後の防壁であり、その表面には無数の聖紋が刻まれている。魔族の魔力を拒絶する結界だけではない。城壁へ近づいた者の認識へ干渉し、無意識に遠ざける精神術式まで重ねられていた。


「私が結界を剥がす」


リリスが右手を掲げる。


「零。あんたは、壊しなさい」


「ああ」


深紅の魔力が爆発した。


魔王の力が城壁を覆い、幾重にも重なった聖紋を一枚ずつ引き剥がしていく。精神へ忍び込もうとした命令さえ、リリスの存在圧に触れた瞬間、悲鳴を上げるように砕け散った。


零の右腕で、夢幻抱擁《ウロボロスサーキット》が脈動する。


「硬度」を減少。


「結合」を減少。


対して、己の拳へ「衝撃」と「破壊」を増加させる。


リリスが最後の結界を剥ぎ取った。


「——今よ!」


零の拳が白亜の壁へ叩き込まれた。


轟音。


第三城壁が内側から弾け飛んだ。


巨大な亀裂が壁面を駆け抜け、白い石材が崩れ落ちる。立ち昇った粉塵の向こうに、王城の前庭が現れた。


人影はない。


宮殿へ続く長い石畳と、その先に大きく開かれた正門だけが見える。


まるで、最初から二人を招き入れるつもりだったかのように。


零とリリスは視線を交わし、並んで前庭を進んだ。


開かれた扉を抜け、長い回廊を進む。


その先。


壮麗な玉座の間に二つの人影があった。


一人は玉座に腰掛ける男。


アルトリウス。


零の妹を奪い、一年間にわたる復讐の全てを生み出した人界の王。


その姿を認識しただけで、零の全身に殺意が走った。


だが——王の傍らに、もう一人いた。


白い仮面をつけた、小柄な少女。


純白の衣装に身を包み、その背後では白い光輪が音もなく回転している。


第五席——確か名前は、ŚŪNYA《シューニャ》。


零は足を止めた。


体格。


立ち姿。


僅かに内側へ傾いた肩。首の角度。細い腕の長さ。


「……え?」


仮面の下は見えない。


それでも、体が覚えていた。


何千回と目にしてきた輪郭。


何万回と隣を歩いた影。


「……は?」


掠れた声が漏れた。


あり得ない。


一年前、目の前で殺された。その瞬間を忘れたことなど一度もない。


だが、白い仮面の少女が口を開いた。


「——お兄ちゃん」


零の世界が止まった。


その声。


一年間、夢の中で何度も聞いた声。目を覚ますたびに消え、二度と聞けないと思っていた声。


天津一華。


零の、妹。


「一華——!」


理性より先に、零の足が動いた。


だが、その胸を白い腕が押し留める。


「止まりなさい」


リリスだった。


低く、有無を言わせない魔王の声。


「あれが報告にあった第五席よ」


「何言ってんだ。あれは一華だ。俺の妹だ。死んだはずの——」


「だから罠なのよ」


鋭い声が、零の感情へ切り込んだ。


「考えなさい。殺された妹が、どうして第五席としてあの男の隣に立ってるの? アルトリウスが何の意味もなく生き返らせたと思う?」


分かっている。


頭では、分かっている。


それでも。


「お兄ちゃん」


もう一度、少女が呼んだ。


「久しぶりだね」


抑揚も、呼吸の間も、僅かに上がる語尾も。


間違いなく、一華のものだった。


アルトリウスが玉座から立ち上がる。


「感動の再会だね、零」


その声は老いて掠れていた。


だが話し方だけは、十代の少年のように軽い。


「余の《永劫支配(エターナルレガリア)》は、生物を望む形へ作り変える。一華は一華のまま蘇った。記憶も人格も、お前への想いもね」


「……全部、そのまま……?」


「ああ。ただ、余の命令に逆らえない。それだけだよ」


アルトリウスが両手を広げた。


「零。余に降れ」


「そうすれば、妹を返してあげる」


沈黙が落ちた。


零の全身が凍りつく。


リリスの手に、強い力が込められた。


「零」


深紅の瞳が、零だけを見つめている。


「あいつの言葉を聞くな——私を見なさい」


零の視界に、これまでの記憶が浮かんだ。


自分の才能を誰より先に認めてくれたルシア。


全力で拳を交え、強いと告げてくれたクオン。


同じ空を飛び、自分を番として選んだシエラ。


痛みも孤独も共有し、それでも隣にいてくれたレイラ。


そして。


何もかも失った自分を拾い、ここまで導いてくれたリリス。


『あんたを失うつもりはないの』


一年前。


零は全てを失った。


だが、今は違う。


零は顔を上げた。


「——降らない」


声は、もう震えていなかった。


「一華は取り戻す。お前を殺して、俺が救う」


アルトリウスの笑みが僅かに深まる。


「リリスも、ルシアも、シエラも、レイラも、クオンも、もう俺の大切な存在だ」


夢幻抱擁が脈動する。


「お前に差し出すものなんか、何一つない」


零は、王を真っ直ぐに射抜いた。


「お前を殺して、妹を救ってみせる」


数秒の沈黙。


「くっ、ははは……」


そしてアルトリウスが声を上げて笑った。


「ハハハハハッ! 素晴らしいよ、零!」


その笑顔には、怒りも失望もなかった。


むしろ、待ち望んでいた答えを聞いたような、純粋な歓喜が浮かんでいる。


「その目だ。一年前、余から逃げ出した時の目、消えずに育ってくれたんだね」


永劫支配が光を放つ。


光は他者ではなく、アルトリウス自身の肉体へ流れ込んだ。


筋肉が膨張し、骨格が再構築される。全身へ聖紋が浮かび、右腕が巨大な黒い刃へ変貌した。


《終焉剣(ラストリゾート)》。


左腕から、赤黒い槍が生える。


《魔槍(クレイヴィング)》。


背後に白銀の大鎌が現れ、足元には黄金と蒼の杖が浮かび上がった。


《静寂鎌(ニルヴァーナ)》。


《天命杖(リジェクト)》。


四聖剣の神装を模した、四つの複製。


リリスの深紅の瞳が細められた。


「四聖剣の神装構造を、自分の肉体へ保存していたのね」


「永劫支配は作り変える力。他人だけじゃない。余自身も——好きな形へ変えられる」


四つの神装を纏ったアルトリウスが、楽しそうに両腕を広げた。


「さあ、見せてよ」


掠れた声が、弾む。


「余の望んだところまで——君が本当に辿り着くことが出来たのかを」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。