第十環 「魔王直属の戦士」
——訓練場
朝靄の漂う魔王城の訓練場。
零は夜明けとともに、すでにそこで剣を振っていた。
黒髪が朝風に揺れ、金色の瞳が静かに前を見据える。
手にしているのは、魔王軍から支給された標準的な魔剣。
《神装》は使わない。
明日の闘技場を考えれば、手の内はできるだけ晒さない方がいい。それに何より、今の零に必要なのは力任せの戦いではなく、基礎を固めることだった。
一振り。
また一振り。
人界で他者から見て盗んだ剣術の型——型という程でもないが——もう一度、その身に刻み込むように剣を振るう。
踏み込み、斬り上げ、返す刃で横薙ぎ。
無駄な動きを一つずつ削ぎ落としていく。
——妹が死んだ、あの日から。
誰かを守るための剣ではない。
奪われたものを取り戻すために習得した剣。
そして——奪った者から、すべてを奪い返すための剣。
「——おっ。早いじゃん」
声に振り返ると、訓練場の入口にシエラが立っていた。
水色の髪を朝風に揺らしながら、片手には水筒を持っている。
「付き合ってあげようか。明日の相手、どういうタイプが出て来やすいか教えてあげるよ〜」
零が頷くと、シエラは水筒を壁際に置き、軽く首を回した。
「闘技場の常連は、大きく分けて三タイプかな。力押しの近接型、魔法主体の遠距離型。それと——スピード特化の暗殺型」
三本の指を立てたあと、シエラの視線が零の腕へと落ちる。
「あんたの《神装》——あれ使えば、正直どのタイプが来ても問題ないと思うけど」
そこで一度言葉を切り、ニッと笑った。
「見せすぎると後々面倒になるよ。手の内は隠せるだけ隠しといた方がいい」
「——同感」
短い声が割って入る。
訓練場の入口を見ると、クオンが大斧を担いで立っていた。
いつも通り表情は薄い。
その後ろから、もう一人。
「別に、あんたの鍛錬に付き合いに来たわけじゃないから」
ルシアが頬をわずかに膨らませながら歩いてくる。
「私も自分の鍛錬をしに来ただけ。……そのついでよ、ついで」
そう言いながら訓練場の端まで行き、魔導書を開く。
どう見ても偶然居合わせた者の行動ではない。
零がじっと見ていると、ルシアが睨み返してきた。
「……何よ」
「いや、別に」
「なら見ないで」
クオンが二人のやり取りを一瞥すると、大斧を肩から下ろした。
——ズンッ。
巨大な刃が地面に触れただけで、鈍い音が響く。
「零。組み手をしよう」
クオンが大斧を構える。
金色の瞳が、真っ直ぐ零を捉えた。
先ほどまでの無表情とは違う。
戦いを前にした鬼族の戦士の目だった。
「私が、近接型をやる」
「じゃ、私は遠距離型ね」
シエラが楽しそうに翼を広げる。
そして二人の視線が、同時にルシアへ向いた。
「ルシアは——」
「……はぁ」
ルシアが露骨にため息をつく。
パタン、と魔導書を閉じた。
「分かったわよ。スピード型は私がやってあげる」
立ち上がると、零へ人差し指を向ける。
「感謝しなさいよ。四座が三人も鍛錬に付き合うなんて、あんたくらいなんだから」
「ついでじゃなかったのか?」
「……うるさい!」
シエラが吹き出す。
クオンは無言のまま大斧を構え直した。
ほんの数日前までなら、考えられなかった光景だった。
◇
その日。
零は日が暮れるまで、三人を相手に訓練を続けた。
最初はクオン。
鬼族特有の圧倒的な膂力から放たれる大斧を、真正面から受けることは許されない。
振り下ろされた刃を紙一重で躱す。
——轟ッ!
直後、背後で地面が砕けた。
反撃しようと踏み込めば、クオンは巨大な斧からは想像もつかない速度で次撃へ繋げてくる。
次はシエラ。
翼を広げて空へ舞い上がり、上空から次々と魔力弾を放つ。
一発を避ければ、その着地点へ次弾。
さらに逃げ道を塞ぐように三発目が飛んでくる。
「ほらほら! 足止まってるよ!」
楽しそうな声とは裏腹に、攻撃は容赦がない。
そして——ルシア。
「遅い!」
魔法陣が展開されたと思った瞬間には、すでに魔法が飛んでくる。
一発。
二発。
三発。
詠唱らしい詠唱すらない高速連射。
回避した先に次の魔法陣が展開され、零の逃げ道を正確に潰していく。
「ちょっ……ルシア、お前だけ本気じゃないか!?」
「実戦なら待ってくれないわよ!」
「それ絶対楽しんでるだろ!」
「絶対気のせいよ!」
そんなやり取りを繰り返しながら——
零は受けた。
躱した。
捌いた。
そして、反撃した。
《神装》には頼らない。
純粋な剣技と身体能力だけで、三者三様の攻撃へ対応する感覚を身体に叩き込んでいく。
何度も吹き飛ばされた。
何度も地面を転がった。
それでも、そのたびに立ち上がった。
夕陽が訓練場を赤く染める頃。
零は肩で息をしながら、それでも剣を握っていた。
「……悪くない」
クオンが大斧を肩へ担ぐ。
「朝より速くなった」
「今日の今日でかよ……」
「うん」
「化け物じゃん」
シエラが呆れ半分、感心半分といった顔で笑う。
「勘がいいんだよ、君は。相手の動き、覚えるのが早い。これなら明日は楽勝じゃない?」
ルシアも腕を組みながら零を眺める。
「……まあ」
少しだけ間を置いて、視線を逸らした。
「負ける姿は、想像できないわね」
零は三人を見る。
出会ったばかりの頃は、自分を警戒していた者たち。
人間だからと敵意を向けてきた者もいる。
それが今では——こうして自分のために一日を使ってくれている。
「……ありがとな」
ルシアの肩がぴくりと揺れた。
「——っ」
一瞬だけ目を見開く。
だが、すぐに零から視線を逸らし、帽子のつばを深く被り直した。
「……当然でしょ。四座が三人も付きっきりで鍛えて、それで負けるようなら——それこそ魔王様に顔向けできないわ」
強気な言葉とは裏腹に、声はいつもより小さい。
帽子の隙間から覗く頬も、ほんのりと赤く染まっていた。
零はそれに気づいたが——何も言わなかった。
言えば面倒なことになるのは、ここ数日で十分に学んでいる。
「うん。零なら、勝つ」
クオンが大斧を肩に担ぎ直し、短く断言した。
薄橙色の瞳には、微塵の迷いもない。
「——勝ったら、ご飯奢って」
「なんでだよ」
「肉がいい」
「聞けよ」
「あははっ! クオンらしいね〜」
シエラが腹を抱えて笑う。
「じゃあ私も便乗しよっかな。明日は観客席からちゃんと見届けてあげるんだから、勝ったら私にも何か奢ってよ〜」
「勝っても俺に何も残らないじゃないか」
「名誉が残るじゃん」
「一番腹の足しにならないやつだな……」
頭を掻く零を見て、シエラは笑いながら、壁際に置いていた水筒を拾い上げる。
「魔王様も来るんじゃない? あの人、面白いものは見逃さないし」
「——当たり前でしょ」
ルシアがすぐさま答えた。
「魔王様が自ら布告まで出したのよ。来ないわけないじゃない」
そして腕を組み、改めて零を見上げる。
真紅の瞳が、真っ直ぐ金色の瞳を捉えた。
「……明日」
先ほどまでの照れは消えていた。
その声は静かで——真剣だった。
「ちゃんと見届けてあげるから」
ほんの一瞬。
風だけが、四人の間を通り抜ける。
「——だから、勝ちなさいよ」
零はルシアを見つめ——小さく笑った。
「……ああ」
その返事に、ルシアもわずかに口元を緩めた。




