第九環 「魔王の名を背負って」
零は少し考えてから、ルシアの隣へ歩み寄る。
「ルシア。一つ聞いてもいいか」
「何よ」
「さっきみたいな反応だ」
ルシアが横目を向ける。
「人間が魔界にいる。それだけで警戒されるのは当然だと思う」
零は淡々と続けた。
「俺がここにいる限り、お前やリリスに余計な負担をかけ続けることになる」
「……それで?」
「この状況を少しでもマシにする方法はあるか?」
ルシアの足が止まった。
「魔界のやり方で構わない。何か——俺自身が認められるための手段があるなら教えてほしい」
振り返ったルシアは、少し意外そうな顔をしていた。
「……あんた、そういうこと考えるのね」
腕を組み、しばらく考える。
そして——。
「簡単よ」
1本、指を立てた。
「この世界は、実力がものを言う。特に、魔族は力ある者に憧れ、従う性質がある。だから、とにかく強くなること」
2本目。
「次、公の場で実力を示すこと。昨日の模擬戦は私たち四天王しか見てない。城下の連中は、あんたがどれだけやれるか知らないのよ」
さらに指を立てる。
「それから、あんたが魔王軍の正式な一員だって周知させること。今のあんたは魔王城にいる謎の人間でしかないもの」
そして4本目。
「最後は——魔王軍に貢献すること」
その声が少しだけ真剣になる。
「任務をこなして結果を出す。結局、それが一番確実よ。魔族は結果で黙るから」
ルシアは4本の指を下ろした。
それから零を真っ直ぐに見上げる。
「——まあ、焦らなくてもいいけど」
「?」
「あんたの実力は、私が知ってる」
昨日。互いに刃を交えたからこそ言える言葉。
「時間の問題よ」
そこには、確かな信頼があった。
零が何か答えようとした——その時。
「——へえ。朝から二人でデート?」
頭上から声が降ってきた。
「——デートじゃないわよ!」
ルシアが反射的に叫ぶ。
零が見上げると、近くの建物の屋根に一人の少女が腰掛けていた。
シエラだ。
風に揺れる髪。
その瞳は楽しそうに細められ、ルシアと零を交互に眺めている。
「案内よ、案内! 魔王様に任されたの!」
「はいはい」
シエラは軽く笑うと、屋根を蹴った。
ふわりと宙を舞い、そのまま二人の前へ着地する。
人間とは明らかに異なる身体能力。
竜族——その血が成せる業なのだろう。
「で、君。城下町はどう?」
「興味深いな」
「へえ?」
シエラが零の顔を覗き込む。
「怖いとかじゃなくて?」
「今のところは」
「ふーん……やっぱ変わってるね、君」
「ちょっとシエラ。急に割り込んでこないでよ」
「いいじゃん。それより——」
シエラの表情が、一瞬だけ変わった。
「さっきの連中の話、聞こえてたよ」
先ほどまでの軽さが消える。
竜族の戦士としての鋭い眼差し。
「認めさせたいんでしょ?」
「……まあな」
「だったら、いい方法があるよ」
シエラの口元が、にやりと吊り上がった。
「——闘技場」
「……あぁ」
ルシアが納得したように頷く。
そして、シエラは続ける。
「城下町の南端に、魔王軍の公開闘技場があるの。定期的に武闘会が開かれてて、参加資格は基本的に魔族なら誰でも。観客も多いよ」
「待ちなさい。零は人間でしょ。出場なんて——」
「だから魔王様に許可を貰うんじゃん」
シエラは当然のように言った。
「そこで勝てば一発だよ。城下の連中が見てる前で実力を示せる。しかも——」
指を二本立てる。
「次の開催、明後日」
「随分と都合がいいな」
「でしょ?」
シエラが楽しそうに笑った。
ルシアも顎に手を当て、考え込む。
「……確かに、あそこなら効果は大きいわね。城下だけじゃない。周辺の魔族にまで噂が広がる」
「ただし」
ルシアの瞳が鋭くなる。
「参加者は本気で来るわよ。殺し合いは禁止されてるけど、重傷なんて珍しくない。名を上げたい連中が集まるから、手加減なんて期待しないことね」
「昨日ルシアとやり合えたなら、問題ないと思うけど」
「ちょっと! それじゃまるで、私が弱いみたいじゃない!」
「言ってないって。二人とも褒めてるの」
シエラが笑う。
「それに、武闘会に出るならちょうどいい。優勝のタイミングでリリス様に零の所属を正式に布告してもらえばいいんだよ」
「布告?」
「天津零は魔王軍の正式な戦士だ——ってね」
シエラが指を鳴らす。
「闘技場で勝つ。しかも魔王直属だと知れ渡る。そこまでやれば、少なくとも正面切って文句を言う奴は激減すると思う」
「……なるほどな」
「魔王様への進言なら、私からしてあげてもいいわ」
ルシアが口を挟んだ。
「いいのか?」
「……別に。ここまで案内したんだから、最後まで面倒見るだけよ」
わずかに視線を逸らす。
それを見たシエラが、楽しそうに笑った。
「優しいじゃん」
「うるさい!」
「はいはい」
シエラは満足そうに肩をすくめる。
「じゃあ明日は一日、鍛錬に使った方がいいね。出てくるのは中級から上級の魔族が中心。四天王には遠く及ばないけど、それなりに場数を踏んだ連中ばかりだから」
そこでシエラの目が、零の腕へ向けられた。
神装《無限抱擁》。
「その神装があれば、そう簡単に負けるとは思わない。でも——」
青い瞳が、一瞬だけ鋭くなる。
「手の内を全部見せる必要もないよ」
竜族の——戦士としての目だった。
「どこまで見せるかは、自分で決めなね?」
「分かった」
零が頷く。
「でも——」
と、零が口を開く、
「リリスへは、俺から話すよ。自分のために戦うんだ。そこまでルシアに迷惑はかけられないからな」
するとルシアの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……あんた、そういうところはちゃんとしてるわよね」
「どういうところだ?」
「なんでもない!」
「じゃ、私は先に戻るねー」
シエラが二人から離れる。
「午後の謁見、頑張んなよー?」
その背から、竜族特有の翼が大きく展開された。
地面を蹴る。
巻き起こった風にルシアが帽子を押さえた次の瞬間、シエラの身体は一気に上空へと舞い上がった。
「あいつ……飛ぶ必要ないでしょ。歩けばいいのに」
ルシアが呆れたように呟く。
その声に、もう棘はなかった。
◇ ◇ ◇
午後。
魔王城——謁見の間。
巨大な黒い扉が、重々しい音を立てて開かれた。
その奥。
長い階段の先に置かれた玉座に、一人の女が腰掛けている。
魔王——リリス。
白銀の髪。
深紅の瞳。
頭部から伸びる黒い魔角。
黒と赤を基調とした魔王装束に身を包んだその姿は、ただそこに座っているだけで周囲の空気を支配していた。
「——来たの」
深紅の瞳が、ゆっくりと零を捉える。
そして隣のルシアへ。
「ルシア。話があるって?」
「はい、魔王様」
先ほどまでの態度とは打って変わり、ルシアが背筋を伸ばす。
「零から、直接、魔王様にお伝えしたいことがあります」
一歩退き、零に場を譲った。
リリスの視線が零へ戻る。
「ふーん」
頬杖をついたまま、口元に笑みを浮かべる。
「——言ってみなさい」
零は真っ直ぐにリリスを見返した。
「明後日の武闘会に、俺を出してほしい」
リリスの眉が、わずかに動いた。
「理由は?」
「今日、城下町を見た」
零は淡々と答える。
「人間である俺が魔王城にいることを快く思っていない者も多い。それ自体は当然だと思う」
「へえ?」
「だが、そのたびにルシアやお前の名を使って黙らせるわけにはいかない」
ルシアが僅かに目を見開いた。
「俺がここにいるなら、俺自身の力で認めさせる必要がある」
謁見の間に静寂が落ちる。
「だから武闘会に出る」
数秒。
リリスは何も言わなかった。
やがて頬杖を外し、ゆっくりと身体を起こす。
「——武闘会ね」
唇が、ゆるりと弧を描いた。
「城下の連中に、舐められてる自覚はあるんだ」
玉座から立ち上がる。
「それで——自分の力で黙らせたい、と」
階段を、一段ずつ降りてくる。
黒と赤の装束が、歩みに合わせて揺れる。
やがてリリスは零の目の前で足を止めた。
深紅と金。
二つの瞳が交わる。
「あはっ。いいじゃない」
リリスが笑った。
「気に入ったわ、その考え方。私の部下が、誰かに庇われてばかりじゃ格好つかないもんね」
そう言って、リリスはルシアへ視線を送る。
「ルシア」
「は、はい!」
「よく連れてきたわね」
「……魔王様のご命令ですから」
「そう」
リリスは小さく笑い、再び零へ向き直った。
「いいわよ。許可する」
その言葉に迷いはなかった。
「——明後日の武闘会、出なさい」
「ありがとう」
「それと」
リリスが一歩、零へ近づく。
「布告も出してあげる」
零の金色の瞳を、真っ直ぐに見据える。
「天津零——魔王直属の戦士として、正式に魔王軍へ迎え入れたことを城下全域へ通達する」
これで、零はただ魔王城に置かれている人間ではなくなる。
魔王リリスが、その名の下に認めた戦士となる。
だが——。
「ただし」
リリスの声が、一段低くなった。
指先が伸び、零の顎へ軽く触れる。
零は動かなかった。
リリスにとっても、それは特別な意味を持つ行為ではない。
ただ、自らの配下となる男の目を確かめるように。
至近距離から、その金色の瞳を覗き込む。
「負けたら許さないから」
深紅の瞳が細められる。
「私の名を背負って出る以上——無様な姿は見せないでよね」
「分かった」
即答だった。
リリスの口元が、僅かに吊り上がる。
その言葉は脅しではない。
——信頼だった。
お前なら勝てるだろう。
そう言われているような気がした。
やがて指先が離れる。
リリスは零に背を向け、再び玉座へと戻っていく。
「明日は好きに使いなさい。鍛えるなり、休むなり、好きにすればいい」
階段を上りながら、最後に一度だけ振り返った。
深紅の瞳が、楽しげに細められる。
「楽しみにしてるわ——零」
明後日。
魔界に来てから五日目。
天津零は初めて——。
魔王の庇護ではなく、自らの力で魔族たちの前に立つ。
魔王リリスの名を背負う、一人の戦士として。




