↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/117

第百七環 「採点不能の魔女」


——西の尖塔。


光が迫る。


全てが終わる、その瞬間。


暗闇の中に、もう一人の自分が立っていた。


幼い姿。


まだツインテールさえ結べなかった頃の、小さなルシア。


真紅の瞳が、現在の自分をじっと見つめている。


『本当に?』


幼い声が響いた。


『本当に、あなたは全部、計算で生きてきたの?』


ルシアの心が震える。


全部、計算だった。


毎晩零の部屋を訪ねたことも。


弱った姿を見せたことも。


ほかの女を認めたことも。


『……嘘つき』


幼い自分が笑った。


『あなた、嘘をつくの下手でしょ』


その瞬間。


零の顔が浮かんだ。


初めて、魔術を模倣された時。


悔しかった。


驚いた。


それ以上に、嬉しかった。


自分と同じ場所へ来られる人がいる。


独りで極め続けてきた魔術の世界に、並んで歩けるかもしれない相手が現れた。


だから、追いつかれたくないと思った。


同時に、追いついてきてほしいとも願った。


魔術だけではない。


零の体術へ追いつこうとしたこともある。


体術の才能などなかった。


何度も転び。


何度も打たれ。


構えも、踏み込みも不格好なまま、がむしゃらに拳を振るった。


『ルシア。もう少し力を抜いて——』


『うるさいっ! もう一回!』


可愛くなかった。


格好良くもなかった。


そこに計算などなかった。


ただ、零の隣へ立ちたかった。


零の前では、計算など何度も壊れていた。


褒められれば顔が熱くなった。


ほかの女が傍にいれば、考えるより先に割り込んだ。


心配すれば、素直に言えず怒鳴ってしまった。


認めてほしくて。


見てほしくて。


いつだって、不格好だった。


『ね?』


幼い自分が微笑んだ。


『あなたは、全部が計算だったわけじゃない』


『あの人の前では、ずっと、失敗ばかりだったでしょ?』


——そうだ。


百点の自分など、零の前では一度も保てなかった。



     ◇



ルシアは目を開けた。


《八正天路》の光が迫っている。


あと一瞬で、全てが終わる。


それでも真紅の瞳は、もう揺れていなかった。


「うまくいくかなんて、知らない」


指先を前へ向ける。


いつもの精密な構えではない。


肩に力が入り、指先も僅かに震えている。


不格好な構え。


「正解なんて、分からない」


魔力が溢れ出した。


制御されていない。


荒い。


雑。


だが、膨大。


ルシアの中に眠る全ての魔力が、制御という枷を離れて暴れ始める。


詠唱が壊れた。


言葉にならない音が、唇から漏れる。


魔法陣が描かれ、崩れる。


魔力配列が組まれ、壊れる。


全てが不完全。


全てが間違い。


百点どころか、零点ですらない。


採点不能。


「——《ERROR(エラー)》」


魔法理論上、存在しない魔法。


定義できない。


属性がない。


完成した術式もない。


「魔法である」と「魔法ではない」が同時に成立する、論理の破綻そのもの。


続いて、二つ目の魔力が生まれる。


「——《PARADOX(パラドックス)》」


命中する。


命中しない。


逸れる。


逸れない。


相反する結果が分岐しているのではない。


一つの結果の中で、全てが同時に成立している。


正しい未来を一つへ選び取ろうとすれば、選ばれなかったはずの結果まで同時に現実となる。


ドゥ・マーガの瞳が、初めて揺れた。


「これは……何なのでしょう」


《唯一正道》が、干渉する未来を見失う。


正解の存在しないものに、正道は定められない。


矛盾そのものを、一方の結果へ固定することもできない。


「拙僧にも、正しさを定義できない」


《ERROR》と《PARADOX》が、八つの光輪へ衝突した。


因果の法則そのものが軋みを上げる。


ドゥ・マーガの「正しい未来の固定」が初めて空転した。


だが、まだ足りない。


八つの光輪は揺らいだだけだ。


砕けてはいない。


ドゥ・マーガが、《天命杖(リジェクト)》を握り直す。


「見事です。しかし、矛盾によって拙僧の正道を乱せても、それだけでは決着には至りません」


その通りだった。


《ERROR》と《PARADOX》は、《正道天》を混乱させるための魔法。


それ自体に、敵を倒すほどの攻撃力はない。


ルシアは最初から分かっていた。


だから。


荒れ狂う魔力の中で、詠唱を始めた。


「|二重に、二重に《Double, Double》——|苦しみよ、災いよ《Toil and Trouble》」


崩壊しかけた魔法陣が、赤黒い輝きを放つ。


「炎よ燃えろ(Fire Burn)。|大釜よ——滾れ《Cauldron Bubble》」


ダークレッドの髪が激しく舞い上がった。


真紅の瞳が、さらに深い緋色へ染まっていく。


全身へ赤黒い紋様が浮かび上がり、尖塔を埋め尽くすほどの魔力が噴き上がった。


「原初真名——《冥后(ヘカテー)》」


魔界最強の魔導師が持つ、底知れぬ魔力の器。


その全てが、開かれる。


「——《起源回帰(オリジネーション)》」


紅蓮の魔力が、天を衝いた。


《正道天》が因果を固定しようとする。


だが、《PARADOX》が空間へ残留している。


命中と失敗が同時に成立し続け、正しい未来を一つへ定められない。


そこへ、《冥后》の全魔力が叩き込まれた。


精密ではない。


美しくもない。


ただ全力で。


不格好で。


荒々しく。


計算を越えて溢れ出した、ルシアの本心そのもの。


紅蓮の奔流が、《八正天路》を貫いた。


光輪が一つ砕ける。


二つ。


三つ。


「そのような、不正なる力で……!」


四つ。


五つ。


六つ。


七つ。


最後の光輪が粉砕された。


《正道天》が崩壊する。


紅蓮の炎がドゥ・マーガを呑み込み、西の尖塔を激しく揺らした。



     ◇



やがて、煙が晴れた。


ドゥ・マーガは、崩れた石畳へ倒れている。


《天命杖》は半ばから折れ、黄金と蒼の輝きも完全に失われていた。


四聖剣第四席——道諦剣ドゥ・マーガ。


撃破。


ルシアは立っていた。


肩で息をしている。


マントは半分以上が焼け落ち、全身には無数の傷が残されていた。《冥后》の紋様も、少しずつ薄れている。


膝が震える。


それでも、立っていた。


「……恋も、失敗ばかりだったわ」


息は荒い。


声も震えている。


それでも笑っていた。


「毎晩部屋へ行って……計算して……平気なふりをして。全部、零にはバレてたかもしれない」


頬を、一筋の涙が伝った。


「格好悪くて……不器用で……体術なんて才能もなくて。がむしゃらに突っ込むことしかできなくて」


計算することを捨てたわけではない。


完璧を目指して積み重ねてきた努力も、ルシアの一部だ。


ただ、計算で本心まで縛ることを、やめた。


「でも」


ボロボロのまま、ルシアは笑った。


不格好で。


嘘のない笑顔だった。


「その失敗が、私をここまで連れてきた」


百点でなくてもいい。


正解でなくてもいい。


間違いながら、前へ進めばいい。


折れた天命杖が、最後の光を失って砕け散った。


ルシアは遠く離れた東の空を見上げる。


「……零、見てた?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。