第九十八環 「王の観劇」
——人界・王城中枢、玉座の間。
静寂が満ちていた。
王城の中枢に位置する、壮麗な玉座の間。
天井は遥か高く、両側の壁には巨大なステンドグラスが並んでいる。色鮮やかな光が差し込み、磨き抜かれた白い床へ幾何学模様を描いていた。
その美しさとは裏腹に、室内の空気は、冷たく重い。
人の気配は、ほとんどない。
王を守る近衛兵も。
身の回りの世話をする侍従も。
この広大な空間には、ただ二人の存在だけがいた。
最奥に設けられた黄金の玉座。
そこに人界の王、アルトリウスが腰掛けていた。
王の周囲には、無数の黄金の環が浮かんでいる。
神装・永劫支配。
王都全域を支配領域へ変え、他者の精神や認識、空間そのものへ干渉する神の装。
その力が淡い光を放ち、アルトリウスの前へ四つの半透明な映像を映し出していた。
四方へ転送された四座と、四聖剣の戦い。
まるで用意された舞台を特等席から眺める観客のように、アルトリウスは四つの戦場を見渡していた。
南方——静寂院尖塔。
クオンが巨大な黒い大戦斧を振り下ろし、メツ・ニローダの白銀の大鎌と激突する。
黒と白の刃がぶつかるたびに衝撃波が巻き起こり、頑強な尖塔が少しずつ崩壊していた。
北方——刑罰塔。
レイラはダッカの『万苦転写』によって過去の傷を再現され、血に染まった身体で膝をついている。
その頭上では、《終焉剣》が今まさに振り下ろされようとしていた。
東方——歓楽宮尖塔。
シエラは理性を失い、全長十五メートルを超える漆黒竜へ変貌している。
番を求める咆哮が塔を崩壊させ、その正面には零が立っていた。
西方——天命塔。
起源回帰を果たしたルシアが、数百の魔法を同時に放つ。
しかし、そのすべてがドゥ・マーガの『唯一正道』によって逸らされ、ただの一撃すら届かない。
アルトリウスはそれらすべてを穏やかに眺めていた。
四座が傷つくたびに。
絶望へ追い込まれるたびに。
老齢のしわがれた喉から、少年のように無邪気な笑い声が漏れる。
「面白いよね」
玉座の肘掛けに頬杖をつき、細い指先で映像の一つをなぞる。
「敵と戦ってるつもりなのに、結局みんな、自分自身に苦しめられてる」
アルトリウスの指が、東方の映像へ向けられる。
漆黒竜となったシエラが、番である零を求めて荒れ狂う姿。
「竜は、自分の執着に負けた」
次に、南方の映像。
存在を消す白銀の鎌へ向かい、怒りのまま正面から踏み込むクオン。
「鬼は、仲間を傷つけられた怒りを捨てられない」
北方の映像。
レイラの傷口から血が噴き出し、封じ込めていた過去が精神を蝕んでいる。
「幻術師は、どれだけ偽物を作れても、自分の過去からは逃げられない」
最後に、西方。
起源の力さえ通用せず、愕然と立ち尽くすルシア。
「魔導師は、積み上げてきた力が届かないことを認められない」
アルトリウスは、心底楽しそうに微笑んだ。
「四聖剣は、ただ切り裂くだけの剣じゃない。相手が隠してる一番醜いものを、引っ張り出すための剣なんだよ」
少年のように軽い言葉。
しかし、その声だけは長い年月を生きてきた老人のように、深くしわがれている。
無邪気さと老獪さ。
決して重なるはずのない二つが同居する声が、誰もいない玉座の間へ響き渡った。
「さあ、ここからだ」
アルトリウスは玉座に座り直す。
四つの映像が、その周囲をゆっくりと回転した。
「自分を乗り越えて、余のところまで来られるかな魔王リリス」
その言葉は、リリスには届かない。
返事を求めているわけでもなかった。
これはアルトリウスにとって、戦争ですらない。
自分が用意した舞台の上で、魔族たちがどこまで足掻けるのかを確かめるただの遊戯だった。
そして。
黄金の玉座の傍らには、一つの人影が控えていた。
四聖剣——第五席。
純白の仮面で顔を隠し、同色の外套に華奢な身体を包んでいる。
背後には淡い黄金の光輪が浮かび、一定の速度で静かに回転していた。
呼吸に伴う僅かな動きすら見えない。
命令を与えられる時を待つ、精巧な人形のように佇んでいる。
アルトリウスが、第五席へ視線を向けた。
「ねえ。君はどう思う?」
返事はない。
純白の仮面は、四つの映像へ向けられたまま動かなかった。
「四座は、このまま負けると思う?」
やはり、声は返ってこない。
それでもアルトリウスは気を悪くすることなく、楽しげに問いかけを続ける。
「余はね、少しだけ期待してるんだ」
北方の映像では、ダッカの大剣が振り下ろされる。
南方では、クオンの大戦斧とメツの大鎌が再び衝突した。
西方では、ルシアがドゥ・マーガを睨みながら、必死に突破口を探している。
そして東方では零が漆黒竜となったシエラへ近づいていた。
「簡単に壊れたら、つまらないだろ?」
アルトリウスの口元が歪む。
「苦しんで、足掻いて、自分の限界を越えたと思った瞬間に、もっと大きな絶望を見せてあげたい」
幼い子供が、新しい遊びを思いついたような笑みだった。
やがてアルトリウスは、第五席を見上げる。
「もし彼らが四聖剣を越えられたなら、次は君の出番だ」
純白の仮面は、動かない。
しかし。
背後に浮かんでいた光輪が、一瞬だけ強く輝いた。
それが返事だったのか。
命令を理解した証なのか。
あるいは、仮面の下に残された何かが、四つの映像の中にいる誰かへ反応したのか。
アルトリウスは確かめようとしなかった。
再び玉座へ深く腰掛け、東方の映像を正面へ移動させる。
漆黒竜の前に立つ、黒髪の青年。
その右手首では、ブレスレットが漆黒の光を放っている。
アルトリウスは目を細めた。
「あの日、余の前で泣き叫ぶことしかできなかった子供が、随分と強くなったね」
しわがれた声が、少年のように弾む。
「ねえ、天津零」
映像の中にいる零の頬へ触れるように、指先を伸ばす。
「君は、どこまで壊れずにいられる?」
静かな笑みが黄金の玉座に浮かんだ。




