第65話 勝利の夜、四つの想いが灯る
オルトスを倒し、スキルの真実を世界に刻んだ夜。
始源の刻印庫の近くに設営した野営地で、連合軍のエルフ兵とギルドの冒険者たちは勝利の宴を開いていた。焚き火が方々で焚かれ、酒と歌が夜空に昇っていく。
俺たち五人は、少し離れた丘の上の一張りのテントに引き上げていた。宴の喧騒が遠くに聞こえる。世界を救った当事者たちは、騒ぐより先に、静かに互いの無事を噛みしめたかった。
テントの中に、五人分の毛布を敷き詰めてある。空間収納鞄のおかげで、装備も寝床も充分にあった。ランタンの淡い光が、五人の顔を柔らかく照らしている。
「……終わったんですね」
ティアが、ぽつりと言った。
「三千年の嘘も、教会の陰謀も、全部。——本当に、終わったんですね」
「終わった」と俺は答えた。「全員、生きて帰れる」
その一言で、張り詰めていた何かが、全員の中でほどけた。
◆
最初に口を開いたのは、ヴァルだった。
「ゼク」
ヴァルの瞳が、ランタンの光の中で俺を見ている。決戦前夜から、幾度も言いかけては中断してきた言葉。その続きを、今度こそ言う時だった。
「決戦の前に、何度も言いかけて——そのたびに邪魔が入った。だが今夜は、最後まで言う。誰に聞かれてもいい」
ヴァルが姿勢を正した。騎士が誓いを立てるときの、まっすぐな背筋で。
「私は——お前が好きだ。追放された鑑定士でも、Eランクでも、何でもいい。ゼク・ベルンマルクという男が好きだ。半年前、私の剣の呪いを読んでくれたあの日から、ずっと」
言い切った。耳まで真っ赤になっている。だが目を逸らさなかった。
「返事は——今すぐでなくていい。ただ、言いたかった。言わないままになるのは——嫌だった」
「ずるいです、ヴァルさん」
ティアだった。頬を膨らませている。
「先に言うなんて。——わたしだって、ずっと言いたかったのに」
ティアが俺の手を取った。あの夜、指切りをした手だ。
「ゼクさん。わたし、記憶を失っていた一年半、空っぽでした。でもあなたと出会って、毎日が宝物になりました。——新しい記憶を作りたいって言いましたよね。その記憶の全部に、ゼクさんがいてほしいんです。これからも、ずっと」
ティアの瞳が潤んでいる。だが、逃げなかった。記憶を取り戻した姫は、自分の想いを、はっきりと言葉にした。
「あたしも言っておくか」
ニーナが、ふっと笑った。牙が光る。
「明日が終わったら、誰を一番に思ってるか聞くって言った。——だが、聞くのはやめだ。あたしが先に言う」
ニーナが俺の隣に身を寄せた。黒い耳が頬に触れる。
「あたしは五年間、誰も信じなかった。触れさせもしなかった。——でもお前の匂いだけは、落ち着くんだ。獣人にとって、匂いは嘘をつかない。お前を信じてるってことだ。信じている——たぶん、それ以上だ」
金色の瞳が、まっすぐ俺を見た。
「あたしを、あたしのまま受け入れてくれた最初の男が、お前だった。——だから、お前がいい」
最後に、リーリアが俺の服の裾を——そっと握った。
「ゼクくん。約束、覚えていますか。戦いが終わったら、ゼクくんの方から手を——」
俺は、リーリアの手をしっかりと握った。彼女が望んだ通り、俺の方から。
リーリアの瞳から、涙がこぼれた。
「ゼクくんは、わたしにくれるんです。居場所も、自信も、こうして手を握ってくれることも。——わたしは注ぐだけじゃなくて、あなたには、注がれたい」
◆
四つの想いが、ランタンの光の中で灯っていた。
ヴァルの、まっすぐな誓いのような愛。
ティアの、新しい記憶を求める瑞々しい愛。
ニーナの、五年の孤独を溶かした信頼の愛。
リーリアの、与え続けた者が求めた愛。
全員が、俺を見ている。逃げ場はなかった。逃げる気も、なかった。
「俺は——」
言葉を選んだ。四人の誰か一人を選ぶことは、できなかった。全員が、俺にとってかけがえのない存在だった。それぞれ違う形で、それぞれ全部、大切だった。
「四人とも、選べない。——全員が、大切だ。こんな答えは、ずるいってわかってる。でも、嘘はつきたくない」
沈黙——。
最初に笑ったのは、ニーナだった。
「知ってた。——お前はそういう男だ。全員に等しく優しくて、誰も見捨てない。最初からわかってたよ」
「わたしも、わかっていた」ヴァルが微笑んだ。「お前が誰か一人を選ぶ男なら、そもそも好きになっていない。——全員を背負おうとするお前だから、惹かれたんだ」
「わたしは、独り占めしたい気持ちもあります」
ティアが正直に言った。「でも、それ以上に——みんなでいる今が、好きです。この五人の時間が」
「わたしも、同じです」リーリアが頷いた。「一人だけ選ばれるより——みんなで、ゼクくんの隣にいたいです」
四人が、顔を見合わせた。何かを確かめ合うように。そして、小さく頷き合った。
女同士の、言葉にならない合意があったらしい。
「ゼク」
ヴァルが代表するように言った。
「今夜だけは——全部、忘れていい。世界を救ったんだ。それくらいの褒美は、受け取れ」
「ヴァル——」
「わたしたちが、そう望んでいる。——今夜は、五人で一緒にいたい」
ランタンの灯りが、そっと消された。
誰の手だったかは、わからない。
◆
テントの中に、五人分の体温と、静かな衣擦れと、途切れがちな吐息が満ちていた。
言葉は、もういらなかった。
ヴァルの手が頬をくすぐり、ティアの髪が肩に流れ、ニーナの尻尾が腕に巻きつき、リーリアの柔らかな温もりが胸に寄り添う。
四つの想いに包まれて、俺は世界で一番幸福な夜を過ごした。
外では、宴の歌が続いている。世界が救われたことを祝う歌が。
だが、テントの中の五人は、もっと小さな、もっと確かな幸福を分かち合っていた。
◆
朝が来た。
テントの隙間から差し込む光で、目が覚めた。
四人が、俺に寄り添って眠っている。全員の寝顔が、穏やかだった。
最初に目を覚ましたヴァルが、俺と目が合って——珍しく、照れた。
「……おはよう」
「おはよう」
「昨夜のことは」
「忘れない」
「ああ、……忘れるなと言おうとしたんだ、今日は」
ヴァルが微笑んだ。
一人、また一人と目を覚まし、五人で朝日を見た。
世界を救った翌朝。
俺たちの絆は、家族のように深いものになっていた。




