第66話 それぞれの新しい朝
それから一ヶ月が経った。
聖典教会は大司教ローレンのもとで大規模な改革が進んでいた。オルトス派の聖職者は全員が停職処分を受け、独立調査委員会が教会の資産と活動を洗い直している。
スキルの真実——「神の恩寵ではなく古代文明の遺産である」という事実——が公式に認められ、各地の神殿で「深層効果」の研究が始まっていた。
ヴァルは騎士団の副団長に復帰した。新騎士団長にはドラクが暫定的に就任し、クラウス時代に腐敗した団の体質を根本から叩き直している。
ヴァルは週の半分を騎士団に、残りをパーティーの活動に充てていた。二足の草鞋を涼しい顔で履きこなしているのは、さすが元副団長だった。
ティアはカレンデュラの大使として王都ルクレインに常駐している。姉のアルセリアとは魔導通信で毎週連絡を取り合っていたが、内容の大半は外交ではなく「ゼクとの距離が近すぎないか」という姉の確認だった。
ティアは「お姉さま、もう少し信用してください」と言いつつ、この報告内容に関してはごまかしている節がある。
ニーナは獣人の権利保護機関を立ち上げた。奴隷施設から救出した子供たちの保護活動と、大陸各地に残る奴隷組織の摘発を続けている。ニーナを慕っている猫族の少女——ナルは、エルデの孤児保護施設で暮らし始めていた。ニーナが月に一度会いに行くたびに、ナルはニーナの尻尾にしがみついて離さないらしい。
リーリアは回復術の研究機関を設立した。深層効果を活用した新しい治癒術の開発を進め、実験で魔力回路を傷つけられた元被験者たちの長期治療にあたっている。
彼女の回復術は「ただ治す」のではなく「元の形に戻す」ことに特化しており、他の回復術士にはない唯一無二の新たな価値を持つようになっていた。
◆
そして俺たちは——エルデの円塔に帰ってきた。
部屋割りは、少しだけ変わった。
五つの個室はそのまま残っているが、夜になると誰も自分の部屋で眠らなくなった。始源の刻印庫の夜以来、五人で身を寄せ合って眠るのが当たり前になっている。
一階のリビング横の空間に大きな寝床をこしらえて、そこに全員で潜り込む。最初は「さすがに狭い」とニーナが文句を言っていたが、そのうち誰も文句を言わなくなった。むしろ、誰か一人でも欠けると落ち着かない。
朝市に買い出しに行き、訓練場で汗を流し、ロッコの店に素材を卸し、夜は五人で食卓を囲み、そして五人で眠る。
追放から始まった物語は——帰る場所に、辿り着いた。
◆
朝は、いつも賑やかだった。
目を覚ますと、たいてい誰かが俺に絡みついている。ヴァルが腕を枕にし、ティアが背中に張りつき、ニーナの尻尾が足に巻きつき、リーリアが胸元で丸くなっている。全員を起こさずに抜け出すのは不可能なので、俺は毎朝、先に起きることを諦めていた。
「ゼク。今日は私が朝食を作る」
ある朝、ヴァルがそう宣言した瞬間、残りの三人が同時に飛び起きた。
「「「却下」」」
「なぜだ」
「ヴァルさんの料理は、まだ早いです」ティアが真剣な顔で言った。「昨日の炒め物、炭になってました」
「あれは火加減の実験も兼ねていた」
「実験を朝食でやらないでください」
結局、料理はティアと俺が担当し、ヴァルは食材を運ぶ係、ニーナは魚を焼く係、リーリアは配膳係に落ち着いた。ヴァルだけが調理から外されているのは、もはや暗黙の了解だった。
「……いつか、私も認めさせる」
「その意気は買う。だが今日はやめておけ」と俺は言った。
◆
ある日の午後、ギルドからガストン経由で妙な報告が届いた。大陸各地で、スキルの「暴走事故」が起き始めているという。深層効果に目覚めた者が、力を制御しきれずに周囲を巻き込む。あるいは——目覚めた力を、悪用する。
「先月まではなかった現象だ」ガストンが渋い顔で言った。「世界中のスキル使いが、一斉に深層に目覚めた。その中には、目覚めるべきでなかった連中も混じってる」
俺は黙って報告書を読んだ。
始源の刻印庫で、俺は技晶石に刻紋を刻んだ。全人類のスキルの深層を開放した。善人も、悪人も、区別なく。
オルトスの最期の言葉が蘇る。
「スキルの真実が広まれば世界は混乱する」
あの男は、そう言った。——警告そのものは、間違っていなかったのかもしれない。
「ゼクくん、考え過ぎない方がいいですよ」
リーリアが隣に座った。
「——責任を感じてる。俺が刻んだ結果だ。深層を開放したのは、俺の判断だった。——だから、起きたことに向き合うしかない。刻んだ者の責任として」
窓の外を見た。エルデの空は青い。だがその青の下で、世界が少しずつ変わり始めている。俺が変えた世界が。
◆
そしてもう一つ、俺だけが知っている違和感があった。
始源の刻印庫で技晶石に刻紋を刻んだ、あの瞬間。世界中のスキル使いに光を届けたとき——遠い場所に、一つだけ、俺と同じ色の光を感じた。
琥珀色。管理者の光。
管理者は世代に一人しか生まれない。オルトスは失敗作で、権限を持てなかった。俺が、この世代の唯一の管理者のはずだ。
だが、あの光は——確かに俺と同じ色だった。大陸の、遥か遠く。方角は、北。
気のせいかもしれない。技晶石の共鳴が見せた幻かもしれない。
だが——オルトスが最期に言った言葉が、蘇る。
「兄が管理者だった」
オルトスの兄。管理者だった男。その血筋は、本当に絶えたのか。
俺は手帳を閉じ、窓の外の北の空を見上げた。
◆
ガストンがギルドから知らせを持ってきた。
「ゼク。新しい記憶迷宮が三つ見つかった。北方山脈の裏側だ」
「規模は」
「始源の刻印庫に匹敵するかもしれない。——それと、入口にお前の家名が刻まれていたそうだ。『ベルンマルク』と」
食卓が静まった。全員が俺を見ている。
両親が、何かを残していた可能性がある。二十年前にカレンデュラを離れた後、北方山脈に向かっていたのかもしれない。
「行くか」
ヴァルがオーリエルの柄に手を置いた。碧い瞳が穏やかに光っている。
「当然だろう。——お前の両親の手がかりがあるなら、全員で行く」
ティアが星詠の書架を小さく展開し、北方の地図を引き出した。「新しい迷宮の座標を確認します。ルートの選定は——」
「あたしの情報網で先行偵察は済ませてある」ニーナが黒い耳をぴんと立てた。「山越えのルートが二本あるが、安全なのは西回りだ」
「回復薬の追加を用意します。山の上は気温が低いので、防寒具も必要ですね」リーリアが早くもメモ帳を開いていた。
誰も号令をかけていない。全員が自然に動き出していた。
◆
出発の朝。
円塔の玄関前に五人が立った。空間収納鞄には旅の装備がすべて詰め込まれている。エルデの空は青く、遠くの山脈が朝日に輝いていた。
「行くか」
四人を見渡した。
ヴァルがオーリエルの柄に手を置いた。
ティアが書架を小さく展開し、地図を確認している。
ニーナが影の中に半身を沈めた。黒い耳がぴんと立ち、尻尾が楽しそうに揺れている。
リーリアが白いローブの裾を整えた。
「了解」
四つの声が重なった。
◆
琥珀の刻印。
それは過去を読む鍵であり、未来を刻む筆であり、仲間との絆の証だった。
俺の名はゼク・ベルンマルク。
かつてEランクの鑑定士だった男。追放された男。そして——刻印の管理者。
指先に、琥珀色の光が灯った。
まだ読むべき刻紋がある。まだ刻むべき真実がある。開放した力の責任を、取らなければならない。北には両親の遺した謎が待ち、更なる古代兵器が眠り、遠くにはもう一つの琥珀色の光がある。
俺たちの物語は、まだ終わらない。
むしろ——本当の意味では、ここから始まるのかもしれなかった。
本作はこれにて完結となります。
ここまでのゼクの旅路にお付き合いくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
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今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




