第54話 消えた騎士団長
翌朝、クラウスが消えた。
拘束命令が出ていたにもかかわらず、騎士団本部の牢から姿を消している。看守二名が昏倒させられ、牢の鍵が内側から開けられていた。脱走を手引きした者がいる。
ドラクが歯噛みしながら報告した。
「クラウスに忠誠を誓った直轄部隊の残党だ。確認できる限りで三十名が脱走に同行している。方角は南——教会の戦闘聖職者の駐屯地がある方向だ」
「合流して武力蜂起するつもりか」
「そうだろう。公聴会で政治的に追い詰められた以上、残された手段は武力しかない。——クラウスは追い詰められると博打を打つ男だ。任期中もそうだった。勝算があるかどうかより、座して待つことが耐えられない性格だ」
マルクスが地図を広げた。王都南方の街道に赤い印がつけられている。
「教会のオルトス派が残存兵力を提供すれば、騎士団の反乱分子と合わせて百人規模の戦力になる。王都の治安部隊だけでは——」
ヴァルが立ち上がった。オーリエルの柄を握る手には力が入っていた。
「クラウスはわたしの仇だ。公聴会で政治的には決着がついた。——残るは、剣の決着だ」
◆
王都南方。丘陵地帯の開けた野原。
クラウスは逃げていなかった。
丘の上に陣を敷いていた。騎士団の反乱分子三十名と、教会の戦闘聖職者四十名が整然と隊列を組んでいる。総勢七十名。クラウスはその先頭に立っていた。
黒い全身鎧。高位の軍服ではなく、戦場の鎧だ。腰に携えた剣が——白い光を放っている。
聖剣の光。ヴァルのスキルと同じ光。
「来たか、ヴァルハイト」
クラウスの灰色の目が、ヴァルを捉えた。公聴会で晒された映像の記憶が、あの冷たい目の奥に沈んでいる。
「公聴会ではやってくれたな。映像を議場に投影するとは——だが、あの場は言葉の戦場だ。そして本当の勝敗は、こちらで決まる」
クラウスが剣を抜いた。刀身から白い光が溢れる。【聖剣顕現】——ヴァルと同じスキルだ。教会の実験でコピーされたもの。
「驚いたか。お前と同じスキルだ。——いや、教会の強化技術で出力を上乗せしてある。純粋な出力なら、お前の聖剣顕現を一割上回る」
ヴァルがオーリエルを抜いた。白銀と琥珀の光が刀身を走る。完全覚醒した古代兵器の輝きが、丘の斜面を照らした。
「出力の数字を比べたいなら、帳簿でも読んでいればいい。——剣の決着は、振った者にしかわからない」
◆
両軍が激突した。
エルフ特殊部隊とギルドの冒険者部隊が反乱軍の主力と交戦を開始する。ニーナが影渡りで敵の指揮系統を背後から崩し、ティアが書架でリアルタイムの戦況を全軍に共有し、リーリアが慈愛の泉で味方の回復を飛ばし続ける。
だが戦場の中心は——二人の騎士だった。
ヴァルとクラウス。同じスキルを持つ二人が、丘の頂上で一対一の剣戟を繰り広げている。
クラウスの剣技は確かに高かった。騎士団長の地位は実力で勝ち取ったものだ。実戦経験も豊富で、ヴァルの攻撃を正面から受け止める腕力がある。さらにコピースキルの出力は教会の強化によって一割増し——表層の威力だけなら、ヴァルの上だった。
白い光と白い光がぶつかるたびに、衝撃波が周囲に広がる。丘の草が薙ぎ倒され、足元の土が抉れていく。
「どうした、ヴァルハイト。これが騎士団最強と呼ばれた女の剣か」
クラウスの上段斬りが、ヴァルのオーリエルに叩きつけられた。出力差で押し込まれる。ヴァルの膝が軋んだ。
「ゼク」
ヴァルが叫んだ。助けを求める声ではない。情報を求める声だ。
「クラウスのスキルの構造を読んでる。——弱点は持続時間だ。コピースキルは本来の魔力回路と完全には統合されていない。全力運用は三分が限界だ。三分を過ぎると出力が急落する」
「三分——」
「守れ。三分守りきれば、あとはお前が上だ」
ヴァルの目が変わった。攻撃の姿勢から、防御に切り替える。クラウスの猛攻を受け流し、いなし、距離を取って時間を稼ぐ。騎士団時代に鍛え上げた防御技術が、ここで活きている。
一分。クラウスの連撃が途切れない。上段、横薙ぎ、突き、切り上げ——すべてに聖剣の光が乗っている。だがヴァルは一撃も直撃を許さない。受ける。逸らす。半歩ずらして回避する。
二分。クラウスの呼吸が微かに乱れ始めた。剣速が数パーセント落ちている。コピースキルの出力が限界に近づいている証拠だ。
二分半。クラウスの聖剣の光が——揺らいだ。
明滅するように、光が瞬いた。安定した出力が乱れている。
「今だ、ヴァル」
ヴァルが防御から攻撃に転じた。
踏み込みの速度が跳ね上がる。守り一辺倒だった身体が、一歩目で加速し、二歩目で最高速に達した。オーリエルが白銀に輝き、琥珀色の刻紋が刀身全体に展開される。深層効果の発動が近い。
その瞬間、オーリエルが声を発した。
『左からの横薙ぎ。回避。美しいカウンター。我が主の動きは三千年で最も優れて——おっと、胸の揺れが激しい。戦闘中の胸部安定性について提言があるのだが——』
「今言うな!」
ヴァルが叫んだ。だが声に怒りが乗った分、踏み込みに力が増した。怒りが出力に変換されている。
クラウスが一瞬、面食らった。敵の剣が喋っている。しかも胸の揺れについて解説している。戦場の常識にない事態に、思考が一瞬だけ空白になった。
それで充分だった。
『クラウスの剣筋が乱れた。胸の話題が効いたようだ。心理戦としては有効——』
「黙れ!」
ヴァルの怒りが最大出力に達した。オーリエルが太陽のように輝き、白銀と琥珀の光が融合した。三千年前の刻銘者の騎士が打った、本来の輝き。
——渾身の上段斬り。
クラウスの聖剣と正面から激突する。光と光がぶつかり、金属音とは違った異質な轟音が丘全体に響いた。
クラウスの聖剣に亀裂が走り、崩壊が始まった。コピースキルが生成した偽りの聖剣が、本物の一撃に耐えきれず、ガラスのように砕け散る。光の破片が宙に舞い、丘の上を金色の雨のように降り注いだ。
クラウスの手の中に、何も残っていなかった。スキルごと粉砕されていた。
膝から崩れ落ちるクラウスの前に、ヴァルが立った。オーリエルの切っ先が、喉元に突きつけられている。
ゼクが言った。
「借り物の力に、深層は宿らない。お前のスキルは表面だけの張りぼてだった。——ヴァルのオーリエルには、三千年の重さがある」
クラウスが俺を見上げた。敗北の虚脱が、灰色の瞳を空っぽにしていた。
「馬鹿な——実験で、Sランク相当のスキルを——」
「Sランクだろうが関係ない。中身のない高ランクは、中身のある低ランクに勝てない」
ヴァルがオーリエルを引いた。
「お前を殺しはしない。わたしは騎士だ。——裁きは、法の下で受けてもらう」




