第47話 影の檻、三十四人の救出
三十四人の子供たちの応急処置が終わった。
「ニーナ。深層スキルを使え」
「ああ」
ニーナが目を閉じた。訓練の成果を、本番で試すときが来た。
ニーナの足元の影が広がっていく。壁に映る黒い影が、部屋全体を覆うように拡大した。影の中心に、深い闇色の空間が口を開ける。
前日まで拳大だった空間が、人間数人分の広さにまで拡張されていた。
「怖がるな」
ニーナが子供たちに声をかけた。
「影の中は暗いけど、安全だ。あたしの影だからな。——あたしが守る」
子供たちが一人ずつ、影の中に入っていく。不安そうな顔を見せる子もいたが、ニーナの金色の目を見ると、不思議と足が進むようだった。同じ痛みを知る目だ。子供たちにも、それが伝わっている。
猫族の少女が最後だった。ニーナの手を握って、影の中に入る前に振り返った。
「お姉ちゃん——また会える?」
「会える。約束だ」
全員が、ニーナの影の中に収まった。
「搬出先はエルデのギルド支部前。ガストンが待機してる。中継点は道中の森に三箇所仕込んである。——行くぞ」
ニーナの影ごと、三十四人が消えた。部屋から音が消えた。
数分後、ニーナの声が影を通じて届いた。息が荒い。長距離搬送の負荷が全身にかかっているのだろう。
「搬送完了。子供たちは安全だ。ガストンに引き渡した」
「ニーナ、身体は持つか」
「持つ。——立てる。次に行こう。記録室だ」
◆
第三階——実験区画。
ヴァルとエルフ特殊部隊が上階から教会の警備を制圧しており、第三階にはほぼ抵抗勢力が残っていなかった。ヴァルの仕事は相変わらず早い。
実験記録室は、施設の最奥にあった。鉄の扉を刻紋鑑定で開錠し、中に入る。
壁一面の棚に、帳簿と実験ノートが並んでいた。埃を被ったものもあれば、昨日使われたばかりの新しいものもある。この施設が何年も稼働していたことを示している。
俺は棚の資料に触れ、刻紋鑑定で内容を読み取っていった。一冊ごとに、琥珀色の光が紙の繊維を走り、記録された情報を俺の脳に流し込んでくる。
スキルの人為的書き換え実験の全容。被験者リスト。実験手順書。成功率と失敗率のデータ。失敗した場合の「処理」方法——。
吐き気がした。
「ゼクさん」ティアが横に立った。「わたしの書架にバックアップを取ります。紙は燃やされても、光の書架に保存すれば証拠は消えません」
「頼む。全部保存しろ」
ティアの【星詠の書架】が小さく展開し、資料の文面を次々と光の文字に変換して取り込んでいく。物理的な証拠と、スキルによるデジタルバックアップの二重保全だ。
棚の奥に、金庫があった。教会の紋章入りの鉄の金庫。鍵は刻紋で封じられている。解除に数十秒秒かかった。教会の術式は、管理者権限の前ではこの程度だ。
中に入っていたのは——一枚の書簡だった。
オルトス・テネブリスの直筆。
研究指示書。「スキル書き換え技術の実用段階への移行について」と題された文書。署名と花押が入っている。筆跡鑑定に耐えうるであろう、決定的な物証だった。
「これで——奴を追い詰められる」
◆
資料の確保中、ニーナが一枚のメモに目を留めた。実験日誌の端に、管理者の几帳面な字で書かれた被験者管理メモだ。
「『被験者管理メモ:猫族の被験者(No.17)が毎晩脱走を試みる。原因を調査したところ、隣室の鼠型モンスターの飼育檻に反応している模様。対策として飼育檻を別フロアに移動した。追記:移動後も脱走が止まらない。鼠の匂いが壁に染みついているためと思われる。清掃を指示したが改善せず。再追記:清掃三回実施。依然として毎晩脱走を試みる。諦めた』」
ニーナが読み終えて、黙った。
「……気持ちは、わかるな」
「わかるのか」
「鼠の匂いが残ってたら追う。壁を三回洗ったくらいじゃ消えない。——獣人の鼻を甘く見るなって話だ」
こんな場所で、こんな話題で、ニーナの口元がかすかに緩んだ。笑うべき場面ではないが、笑わなければやっていられないこともある。
◆
記録の中に、一つだけ血の気が引く内容があった。
実験記録の末尾——最新のデータだ。
『被験者No.001——スキル書き換え成功。対象スキル:【聖剣顕現】。表層効果の完全コピーに成功。深層効果の移植は不可。表層効果のみの複製に留まる。移植先:クラウス・ヘルツォーク。備考:コピースキルの出力は原本の約110%。ただし魔力回路との統合が不完全なため、連続使用は三分が限界と推定される』
ヴァルが、俺の肩越しにその記録を読んでいた。碧い瞳が鋭く細まった。
「クラウスが——わたしのスキルを。実験で奪い取った」
「正確にはコピーだ。表層効果のみ。深層はコピーできていない」
「表層だけでも厄介だぞ。聖剣顕現の表層効果は光属性の全力強化——Aランク相当の破壊力が出る。しかも出力が原本の一割増し? 教会の強化技術か」
「だが三分しか持たない。お前の聖剣顕現に時間制限はない」
「ああ。——いつか、あの男と剣を合わせることになるな」
ヴァルの声は静かだった。怒りは深いところに沈んでいる。表面に出さないのは、ここが戦場だからだ。
「そのときは——偽物に本物の重さを教えてやる」




