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第46話 地下への二つの道

 王都ルクレイン。旧城区。


 深夜の街は死んだように静かだった。月は雲に隠れ、街路の魔導灯も旧城区では半数が消えている。予算が回らないのだ。この区画は王都の南端に位置し、百年前に放棄された城壁跡と、取り壊す金もない廃墟が折り重なっている。


 その暗がりの中を、二つの部隊が同時に動いた。


 正面——ヴァルとエルフ特殊部隊二十名が、施設の地上入口に向かって展開している。廃墟に偽装された入口は、一見するとただの崩れかけた倉庫だ。だが倉庫の地下に、三層構造の奴隷実験施設が広がっている。


 裏手——ニーナが下水道の暗渠に単独で潜入した。影渡りの深層を使えば、下水道の影から施設内部の影へ直接跳べる。ただし、施設の防衛刻紋が生きている間は影の経路が遮断される。


 俺はティアとリーリアを連れて、ニーナの後を追った。下水道の壁は苔に覆われ、足元には黒い水が流れている。靴が濡れる。空気が重い。百年分の汚水と石灰の匂いが鼻を突いた。


「ゼク、防衛刻紋は」


「七つ。壁の内部に仕込まれている。——全部読めた」


 壁に手を当てた。琥珀色の光が指先から広がり、石壁の内部を走る刻紋のネットワークを照らし出す。防衛機構の構造は記憶迷宮のものと似ているが、粗い。教会が刻銘者の技術を不完全にコピーした代物だ。管理者権限で干渉すれば、一つずつ沈黙させられる。


 一つ目の紋を消した。壁の奥で、赤い警告灯がふっと消える。


 二つ目。三つ目。四つ目——。


 七つすべてを沈黙させるのに、二分かかった。記憶迷宮なら数秒で済む作業だが、教会製の劣化コピーは紋の接続が歪んでおり、読み解くのに余計な手間がかかる。


「防衛機構、沈黙。——ニーナ、道が開いた」


 下水道の闇の中で、ニーナの声が返った。影を通じた伝達だ。


「了解。先行する」


 ニーナの姿が影に溶けた。下水道の水面に映った影が揺れ、消えた。


   ◆


施設の第二階——居住区。


 ニーナが先に到着していた。影渡りの表層効果で、下水道の影から施設内部の影へ一瞬で跳んでいる。


 俺たちが階段を降りて追いついたとき、ニーナは鉄格子の前に立っていた。動かなかった。


 居住区と呼ぶには、あまりに凄惨な空間だった。


 錆びた鉄格子の檻が二列に並んでいる。左右六つずつ、計十二の檻。天井が低く、大人なら腰を曲げなければ入れない高さだ。照明は壁際の魔導灯が二つだけ。薄暗い光の中に、小さな影達がうずくまっている。


 獣人の子供たちだった。


 犬族、猫族、鳥族、兎族、狐族——五歳から十歳くらいの子供が、薄汚れた布切れを身に纏い、膝を抱えて座っている。全員の目が虚ろだった。俺たちが現れても、怯えもしなければ期待もしない。感情そのものが摩耗した目をしていた。


 何人かの子供の腕に、不自然な紋様が刻まれていた。焼印ではない。魔力で皮膚に直接刻み込まれた実験紋だ。ニーナの背中の焼印よりもさらに複雑で、禍々しい。


 ニーナが檻の前に膝をついた。


 金色の瞳が、檻の中の子供と同じ高さになった。


「大丈夫だ。あたしが来た」


 声が柔らかかった。これまで聞いたことのない声だった。皮肉も、強がりも、牙も隠している。ただ——同じ痛みを知る者だけが出せる声だった。


 猫族の少女が、檻の隅から顔を上げた。黒い耳。金色の目。ニーナと同じ色の瞳をしている。


「……お姉ちゃん。だれ」


「ニーナっていうんだ。お前たちと同じ——元奴隷だ」


 少女の目が変わった。虚ろさの奥に、かすかな光が灯った。


「ここから出してやる。全員。今すぐ」


   ◆


檻の鍵は刻紋で封じられていた。教会の術式が組み込まれた錠前を、俺が管理者権限で一つずつ解除していく。琥珀色の光が錠前に触れると、赤い封印紋が消え、鉄格子が開く。


 十二の檻。三十四人の子供たちだった。


 解放された子供の中には、立ち上がれない者もいた。長期の拘束と栄養不足で筋肉が衰えている。最年少と思われる兎族の男の子は、抱き上げるとあばらの骨が指に当たるほど痩せていた。


「リーリア」


「はい——わかっています」


 リーリアが【慈愛の泉】を展開した。柔らかな白金色の光が子供たちを包む。打撲と擦り傷、栄養失調による体力低下——通常の回復魔法で対処できる範囲の怪我は、みるみる癒えていった。


 だが、全員ではなかった。


 六人の子供は、通常の回復では治らない状態にあった。身体に刻まれた実験紋が魔力回路を侵食し、回路そのものが変形している。リーリアの回復魔法が拒絶反応のように弾かれる。


「この子たちの魔力回路が——壊れかけている。紋が回路に食い込んでいて、通常の回復では修復できません」


「リーリア。お前のスキルの深層を使う。——今から読む」


 リーリアの手を握った。刻紋鑑定を発動する。琥珀色の光がリーリアの体内に流れ、スキルの構造を照らし出した。


 【慈愛のフォンス・ピエタ】の表層は「高速回復魔法」だ。傷を癒し、体力を回復する。Aランクの回復術。


 その奥に、深層がある。


「見えた。お前のスキルの深層は——傷を治だけじゃない。魔力回路そのものを修復する力だ」


「魔力回路を?」


「回路の構造を元の形に戻す。書き換えられた紋を剥がし、本来の回路を再生させる。——さらに、修復した回路を強化して、対象のスキルの覚醒を促進する効果もある」


 リーリアの蜂蜜色の瞳が見開かれた。


「わたしに——そんな力が」


「ある。今まで表層しか使っていなかっただけだ。——やれるか」


「やります」


 リーリアが深呼吸をして、両手を最も重症の子供——鳥族の女の子——の胸に当てた。


 光が変わった。通常の白い回復光ではなく、深みのある白金色。琥珀色の輝きを帯びた、温かい光。深層効果の発動だ。


 子供の身体に刻まれた実験紋が、光に触れてゆっくりと薄れていく。紋の下にあった本来の魔力回路が、糸を紡ぐように再構成されていく。


 鳥族の女の子が目を開けた。


「……あったかい」


 リーリアの頬を涙が伝っていた。手は止めない。次の子供へ。その次へ。六人全員の魔力回路を修復するのに、二十分かかった。リーリアの額には大粒の汗が浮いていたが、顔は笑っていた。

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