第41話 星詠の書架
ティアの琥珀色の瞳が開いたのは、それから五分後のことだった。
最初に見たのは天井の闇だった。次に、左側に立つアルセリアの顔。右手を握っている俺の顔。
目の色が、変わっていた。
封印に曇らされていた琥珀が、透明な深さを取り戻している。これまでのティアの瞳にはどこか膜がかかったような鈍さがあった。それが消えている。
「全部——思い出しました」
ティアが上体を起こした。アルセリアが支えようとしたが、ティアは自力で起き上がった。
「わたしはカレンデュラ王国第七王女、ティアラ・シルフィード。スキルは【星詠の書架】。刻銘者の知識データベースに接続する力です。——お姉さまが封印を施したのは一年半前の秋。わたしの部屋で。夜中に起こされて——」
声が途切れた。ティアの目から涙がこぼれた。
「お姉さまが泣いていました。わたしの額に手を当てて、ごめんね、と。——そこで記憶が途切れて、気がついたら知らない森の中を一人で歩いていました」
アルセリアが唇を噛んでいた。感情を抑える女王の顔と、泣き出しそうな姉の顔が重なっている。
「目が覚めたとき——わたしは自分の名前しか覚えていませんでした。ティア・シルフィード。それだけ。誰なのかも、どこから来たのかも、なぜ森にいるのかもわからない。ただ歩いて、エルデに流れ着いて、古書店で働かせてもらって——」
ティアがアルセリアの手を握った。
「でも、お姉さまが残してくれた封印のおかげで、教会には見つからなかった。言葉と名前を残してくれたから、人間の社会で生きていけた。——お姉さまは最善の判断をしてくれたんです。わたしにはそれがわかります」
「最善かどうかは——」
「最善です。147年分の記憶が戻った今だから、言い切れます」
アルセリアが妹の手を握り返した。二人の間に流れる沈黙は、言葉よりも重かった。
◆
翌日。王宮の書庫で、ティアが【星詠の書架】を全開放した。
光の書架が空中に展開される——というのは、言葉にするとあっけないが、実際に見ると息が止まった。
ティアを中心に、半径五メートルの球状の空間に光の本棚が出現した。天井まで届く高さの棚が何列も何列も現れ、それぞれの棚に光の書物が並んでいる。棚は重なり、上下左右に無限に伸びているように見える。奥行きの感覚が狂う。
ティアの手が光の中を踊るように動く。書物を引き出し、ページを開き、閉じ、別の棚に移る。動きに迷いがない。百四十七年分の記憶が戻ったティアは、この書架の使い方を完全に把握していた。
「何から調べますか」
「教会の秘密。オルトス・テネブリスの正体。——奴が何者なのか確定させたい」
「了解です。——検索条件は『聖典教会・枢機卿・テネブリス』で」
ティアの指先が光の棚を操作した。書物が一冊、手元に浮かび上がる。
「教会の歴代枢機卿の任命記録です。——ゼクさん、見てください」
光のページが広がった。古代語と現代語が混在する記録表。
「オルトス・テネブリス。現枢機卿。就任は四十二年前。——ですが、同じ名前がもう一箇所あります。二百年前にも同名の枢機卿が就任しています。さらに四百年前にも。六百年前にも。——全部で七人の『テネブリス』が記録されています」
「七人が全員同一人物ということは——」
「容姿の記述を照合します。……全員、『痩身、深い皺、だが瞳だけが若い』と記されています。七人の記述がほぼ一致しています」
ニーナが壁際で腕を組んでいた。
「二百年おきに同じ顔の枢機卿が現れる。同一人物が身体を乗り換えてるってことか、それとも記憶と知識を後継者に丸ごと移してるのか」
「どちらにしても、千四百年以上にわたって教会の最高幹部を務め続けていることになります」
ティアが別の書物を引き出した。
「教会の特別研究部門の記録がありました。『スキルの人為的書き換え技術——人格と知識の転写実験』。……これです。オルトスは自分の人格と記憶を別の肉体に転写する技術を開発していた。獣人実験は——」
ティアの声が硬くなった。
「この技術を完成させるための試行でした。獣人の子供にスキルを書き換える実験を繰り返して、人格転写の精度を上げていた。成功率を上げるために——何十人もの獣人が犠牲になっています」
ニーナが壁を殴った。音は控えめだったが、拳の皮が裂けていた。
「あの野郎が永遠に生きるために、あたしたちが実験台にされたってことか」
ヴァルが静かにニーナの拳を取り、リーリアが回復魔法をかけた。ニーナは振り払わなかった。
◆
「もう一つ。これを調べてくれ」
俺はティアに、王宮の壁で発見した「管理者の系譜」のことを伝えた。刻紋鑑定の第五段階の覚醒条件。
ティアの書架が該当する記録を引き出した。
「管理者の系譜。——第五段階、刻銘の完全覚醒条件」
光のページに文字が浮かぶ。ティアが声に出して読んだ。
「『第五段階の完全覚醒には、管理者が五つ以上の異なるスキルの深層を完全に理解する必要がある。一つのスキルの深層を読解するごとに、刻銘の精度が上昇する。五つの深層を完全に読み解いたとき、管理者は「読む者」から「刻む者」へと至る』——だそうです」
「五つのスキルの深層」
「ゼクさんがこれまでに深層を読んだスキルは……」ティアが指を折った。「ヴァルさんの【聖剣顕現】が一つ目。わたしの【星詠の書架】が二つ目。あと三つ必要ですね」
「ニーナの【影渡り】とリーリアの【慈愛の泉】はこれからだとして——もう一つ」
「五つ目は何でしょう」
「たぶん、俺自身のスキルだ。刻紋鑑定の深層を、自分で読む」
ヴァルが眉を上げた。「自分のスキルを自分で鑑定できるのか。鏡に映った鏡を読むようなものじゃないか」
「だからこそ難しい。他の四つを先に理解しておく必要がある。四つの深層の構造を把握した上で自分の内面に潜れば——見えるはずだ。たぶん」
「たぶん、が多いな」
「確信が持てたら、もう覚醒してるだろう。わからないから、まだ足りないんだ」




