第40話 星詠の書架、目覚める知識
封印解除は、王宮の最深部にある「記憶の間」で行われた。
古代樹の根が四方から這い出し、円形の部屋を抱え込むように囲んでいる。根の表面には細かな刻紋が走り、琥珀色と翡翠色の光が脈拍のように明滅していた。
天井はなく、古代樹の幹の内壁がそのまま上方に伸びて闇に消えている。見上げると、遥か頭上に光の粒子がちらついていた。
部屋の中央に石の寝台がある。ティアがそこに横たわった。翡翠色の髪が石の上に広がり、閉じた瞼の上で睫毛が震えている。
「現状は、こうだ。封印は不安定になり、放置すれば崩壊してティアラの命が危うい。かといって中途半端に維持しても、教会にはもう居場所を知られている。——封印を維持する意味がなくなったんだ」
「だから解除する」
「それだけではない。封印を解かなければならない理由がもう一つある。——ティアラの【星詠の書架】がなければ、オルトスの陰謀の全容を解き明かすことができない。刻銘者の知識データベースにアクセスできるのは、大陸でティアラだけだ」
ティアが静かに口を開いた。
「お姉さま。わたしは——もう隠れて生きるつもりはありません」
「わかっている」
「封印を解いてください。わたしの力が必要なら、使います。——今度は一人じゃない。この人たちがいます」
ティアが俺たちを見た。琥珀色の瞳が、まっすぐだった。
アルセリアが数秒間妹の顔を見つめ、それから小さく頷いた。
アルセリアが頭側に立ち、俺が足側についた。
「手順を確認する」
アルセリアの声には女王の重みがあった。だがその下に、かすかな震えが混じっているのを俺の耳は拾っていた。
「私が第二層と第三層を解除する。同時にお前が第一層を制御しろ。記憶の遮断壁を一気に壊すのではなく、膜のように薄くして、記憶が緩やかに浸透する形に変える。——失敗すれば」
「どうなりますか」
「——記憶の奔流に意識が呑まれ、自分が誰なのかわからなくなる。最悪の場合、二度と目を覚まさない」
ヴァルたちは部屋の外に出た。この術式に立ち会えるのは術者だけだ。余計な魔力が場を乱す。
「ティアラ」アルセリアが妹の額に手を添えた。「怖いか」
「怖くないです。お姉さまとゼクさんが一緒なら」
「強がりは母親譲りだな」
「強がりじゃないです。本心です」
ティアが目を閉じた。アルセリアが古代エルフ語の詠唱を始めた。翡翠色の光が手から溢れ、ティアの全身を覆う封印紋に干渉していく。
俺はティアの右手を握り、刻紋鑑定を発動した。琥珀色の光が指先からティアの肌に流れ込み、封印の第一層に接触する。
蒼白い封印紋が、二つの光に挟まれて揺れ始めた。
◆
第三層——位置隠蔽の紋が解けた瞬間、ティアの魔力が室内に解放された。
空気が重くなった。壁の刻紋が一斉に反応し、翡翠色の光が激しく明滅する。ティアの中に封じられていた魔力量は、俺の予想を遥かに超えていた。この小さな身体のどこにこれだけの魔力が蓄えられていたのか。
続いて第二層——スキル封印が解ける。ティアの身体から蒼白い光が噴き出し、石の寝台が浮き上がりそうなほどの魔力が渦巻いた。
ティアの背中が弓なりに反った。封じられていた力が一気に解放される衝撃が、全身を貫いている。
「第一層の制御を!」
アルセリアの声。俺は琥珀色の光を封印の第一層に集中させた。記憶の遮断壁が崩壊する速度を読み取り、壁の構造を「壊す」のではなく「透過させる」方向に再構成する。
壁の材質を変えるイメージだ。
指先を通じて、ティアの封印紋の構造が刻々と変化していくのが読み取れた。蒼白い線が薄く、薄く、透明に近づいていく。
三十秒。一分。二分。
光が収まっていった。ゆっくりと。嵐の後の波が引くように。
ティアの身体から力が抜け、石の寝台に沈んだ。呼吸が穏やかになっている。封印紋が——全身から消えていた。蒼白い線が一本も残っていない。ティアの白い肌に、紋の痕跡すら見当たらなかった。
「封印解除——完了」
アルセリアが額の汗を拭った。その手が震えていた。女王の手が、こんなふうに震えるのか。
「お姉さま。成功したのか」
「成功した。——あとは、ティアラ次第だ」




