第38話 獣道〜カレンデュラの領域へ〜
三日目の午後、教会の追手と遭遇した。
森の中の細い獣道を進んでいたとき、ニーナの耳がぴくりと動いた。
「止まれ。前方百メートルに八人。待ち伏せだ」
ニーナの索敵能力は森の中では群を抜いている。風の匂い、枝の揺れ、地面に伝わる足音の振動——獣人の五感がすべてを捕捉する。
「白い服。聖職者六人に護衛騎士が二人。——やるか」
「やる。ヴァル、正面。ニーナ、左翼から通信役を潰せ。ティア、リーリアは後方待機」
足元の地面に手を当てた。古代樹の根が地中に網目状に広がっており、根に宿る刻紋を通じて敵の配置が正確に読み取れた。
「六人は二列横隊。後方に騎士二人。右翼に一人だけ離れている——通信役だ。逃げられると増援が来る」
「了解」
ニーナが影に溶けた。三秒後、右翼で小さな悲鳴。通信役が沈黙した。
ヴァルが正面から突入する。オーリエルが白銀に輝き、聖職者たちの防御術式を一太刀で斬り裂いた。呪いが完全に解けた今、ヴァルの剣は容赦がない。
一分で制圧完了。倒れた聖職者のリーダーの懐から命令書が出てきた。
「『ティア・シルフィードの身柄を確保。ゼク・ベルンマルクは可能であれば拘束。抵抗する場合は排除も辞さない』。署名は枢機卿代理——」
「排除、か」ニーナが命令書を睨んだ。「殺す気だな」
ティアが青ざめている。リーリアがティアの肩を抱いた。
「大丈夫です。わたしたちがいますから」
「……ありがとうございます、リーリアさん」
◆
四日目の夕方、森が変わった。
木々の幹が一段と太くなり、梢の間から差す光が翡翠色を帯びている。空気の魔力密度が明らかに上がっていた。
そして木の幹に、古い刻紋が見えた。刻銘者のものか、あるいはそれよりも古いエルフ独自の紋様。俺の刻紋鑑定が自動的に反応し、指先が琥珀色に灯る。
「ここから先が、カレンデュラの領域です」
ティアが静かに言った。視線が遠い。記憶の断片が、目の前の風景と重なっているのだろう。
「この木——覚えています。子供の頃、姉と手を繋いで歩いた道です」
その瞬間、木の影から弓を構えた人影が現れた。十人。エルフの国境警備隊。翡翠色の軽装鎧、長弓。矢尻がこちらに向いている。
「止まれ。人間の立ち入りは禁止されている」
隊長格のエルフが前に出た。鋭い琥珀色の瞳——エルフに多い色だ。
ティアが一歩踏み出した。フードを下ろし、翡翠色の長い髪を風に晒す。尖った耳が露わになった。
「わたしは——ティアラ・シルフィード。カレンデュラ王国第七王女です。姉に——女王陛下にお取り次ぎ願えますか」
隊長の弓が下がった。膝がついた。
「——ティアラ殿下? お亡くなりになったと……生きておいでだったのですか」
「はい。——帰ってきました」
ティアの声は震えていなかった。だが、握りしめた拳の甲が白かった。
記憶を失い、名前だけを持って放浪した少女が、故郷の森に足を踏み入れた瞬間だった。




