追憶と感傷の日々
ルアリシアの婚約が決まってから数日が過ぎた。帝国で結婚式が開かれるのは1ヶ月後。ルアリシアは、王城で過ごす残された日々を一日一日大切にしようと心に決めていた。
何もかも見慣れた王城の風景も、今となっては全てが懐かしく、愛おしいものに感じる。今朝も、シェフの作った朝食を食べている時に涙ぐんでしまいメイド達に心配された。
(ルドルフ料理長の作るパンプキン・スープはどうしていつもこんなに美味しいのかしら?これを飲むことができるのもあと数回だなんて...。こんなことならもっと日頃から味わっておけばよかったわ。)
ポロポロ...あっ、また涙が。
「姫様、食べるか泣くかどちらかにしてください!」
器用に、白いハンカチでルアリシアの頬を拭っているのはメイドのリジーだ。
年はほぼルアリシアと変わらないほどの若いメイドだが、彼女とは幼い頃からの付き合いで専属メイドである。
「ありがとう、リジー。」
リジーとももうすぐお別れ。できることなら彼女も一緒に連れていきたいけど、それはできない。これはルアリシア自身の運命であり、決して他人の人生を巻き込むことは許されないのだ。この王国で素敵な人を見つけて幸せになって欲しい。
「私、離れ離れになっても姫様のことが大好きです。手紙もたくさん書きます。...だから泣かないでください!」
茶色いツインテールを揺らしながらこちらの顔を覗き込むリジー。なんて可愛らしいのかしら。
「あら本当?じゃあ、いつか帝国に遊びに来てくれる?」
「絶対行きます!!」
鼻息を荒くしながら答えるリジーに思わず吹き出してしまった。
リジーも、ルアリシアの表情が和らいだのを見て少し安心したようだ。
果たして本当にそんな日が訪れるのかは分からないが、訪れると願いたい。ルアリシアの不安な胸のうちに、一筋の希望が宿ったように感じられた。
_______________________
午後、ルアリシアは宮殿をでて庭園で過ごすことにした。ベテランの庭師によって管理された庭園には、季節ごとにさまざまな花が咲き乱れている。ルアリシアにとって、庭園はたくさんの思い出が詰まった場所だ。幼少期には3人の皇子達と追いかけっこをして遊んだ。少し大きくなってからは姉たちとお茶会。そして、リリアネやバーデン公爵と過ごしたのもこの庭園だった。
今、帝国は降り積もった雪が解け、春を迎えようとしている。
(そうだわ、サクーラの花が咲いているんじゃないかしら?)
"サクーラ"はルアリシアが好きな春の花である。元々は海の向こうの異国に咲く花らしいが、昔気に入った国王が高い値を出して商人から苗を買ったらしい。ルアリシアは毎年春になるとその花が咲くのを心待ちにするようになった。
(やっぱり...!)
ヒラヒラと、風に乗って桃色の花びらが舞う。
それはルアリシアの輝く金髪に何枚も降り積もり、まるで可憐な髪飾りのようであった。
ルアリシアは、次から次へと視界を通り過ぎる桃色の破片を捕まえようとしてみたが、なかなか上手くいかない。途中から捕まえるのをあきらめて、ただ風に身を任せてクルクルと舞ってみる。子どもじみたことをしていると自分でも分かっていたけれど、これがなかなか楽しい。
その時、後ろから視線を感じた。
(__誰?)
振り返ると、そこにはルアリシアのよく知る人物が立っていた。口をポカンと開けた間抜けな表情で。黒髪の騎士。
「ジルベール。」
「...ゴホン、失礼、声をかけるタイミングを失ってしまい...ダンスの練習中でしたか?」
(見られた…!)
「そういうのじゃないわ。」
ルアリシアは自分の行動を振り返って、少し羞恥心を感じた。王女らしい振る舞いではなかったはずだ。
「ええと、忘れて下さる?恥ずかしいから。」
「どうしてですか?とても可愛らしかったのに。」
その言葉にルアリシアの顔はますます赤くなる。きっと本心からの言葉なのだろうが、どうしてここまで人を気恥ずかしくさせることができるのだろう。まったく、この天然騎士は昔からこうなのだ。
ジルベール・フレモンはアルジュナ王国の騎士である。ルアリシアが7歳の頃、18歳で護衛騎士として配属されて以来、彼女の身の安全を守り続けてきた。ルアリシアにとっては兄のような存在であるとともに、実は初恋の相手でもある。もちろん誰にも言ったことはないし、身分違いの恋だとしてとっくの昔にあきらめているが。
(そういえば、ジルに会うのも久しぶりだわ。)
きっと、ルアリシアの婚約の話も知っているはずだ。
それなのに、何も言ってこないのはなぜ?
「...」
さっきからジルベールは考え込むような表情を見せている。彼はさっきのような恥ずかしいことはサラっと言えるくせに案外口下手なのだ。何を話したいのかは何となく分かる。きっと、話の切り出し方が分からないのだろう。困った人だわ、本当に。
「お父様から聞いたでしょう?私が結婚するって。」
「...はい、聞きました。」
「今まで、私のことを守ってくれてありがとう。本当に感謝しているわ。」
ルアリシアが微笑むと、彼は寂しそうな瞳を向けた。
「私は...。これから先もずっと王女様をお守りしていきたいと願っておりました。それが叶わなくなった今、どのように生きていけばよいのか分かりません。」
(どのように生きていけば、ですって?)
ルアリシアは自分の耳を疑った。王国の騎士として逞しく自分の道を切り開いてきたとばかり思っていたジルベールが、そのような弱音を吐くなど到底信じられなかったのである。それほど、彼にとって自分の存在は大きなものだったのだろうか?もちろん嬉しい、が彼には他の生きる意味を見つけてもらわねば困る。
「これからは...お父様やリリアネお姉様のお傍にいてあげて欲しいわ。寂しい思いをなさるといけないから...。」
ジルベールは頷いた。
「姫様も、どうかお元気で。...私は姫様の幸せを願っていますから。」
「ありがとう、ジル。」
その後、彼は照れくさそうな顔を浮かべたあと再び何かを言おうとしたが、結局口を噤んでしまった。
気づけば、時刻は夕方に近づいていた。
刻一刻と残された時間はすり減っていく。
(つづく)