3話
代わりに、そこには化け物が佇んでいた。全長は2mを優に超え、身体は黒く、大量の眼玉が全身を覆っている。それはさながら闇の中に眼球が浮かんでいるようだった。そして、巨大な両腕の肘には巨大な針の様なものが突き刺さっている。それはまさに鬼の様な化け物だった。
「なっ……!?」
「待ッテイタ。貴様ノ血ヲ頂カセテモラウ。悪ク思ウナ」
巨大な化け物はその長く巨大な左腕を鞭のように振るい、浩一を捕まえようとする。浩一はそのスピードに全く反応することが出来ず、人間の頭程度ならば容易に掴むことが出来るほどの巨大な掌で頭を捕らえられた。
「がぁああ!!」
「死ネ」
化け物は浩一の身体を易々と持ち上げると右手の10本もある指のうちの1つを浩一の心臓へと突き刺す。その瞬間、浩一は自分の血が一瞬で抜け始めるのを感じた。
(あ……なんか訳分からないけど……俺、死ぬんだ)
そう、浩一が感じた瞬間だった。頭の中に真白い空間が広がっていく。その空間にはいつしか聞いた、どす黒い感情の声が響く。
(よう、久しぶりだな)
「お前は……?」
聞いたことがある声だった。だが、思い出すことが出来なかった。だが何か、大事な記憶と繋がるような声だった。
(俺のことはどうでもいい。今の問題はお前がこのままいけば、死ぬってことだけだ)
その声は自分と同じ声だった。だが、悪意がこもるだけでここまで言葉というものが違ってくるのかということを実感するのと同時に、その言葉の中に感じた違和感を黒いソレに問いかける。
「変な言い方だな。それじゃ、まるで頑張ればどうにか出来るような言いかたじゃないか」
(当然だ。俺はソレを教えるために、ここに来たのだからな)
その言葉を聞いた瞬間、浩一は眼の前のソレに掴みかかろうとした。だが、黒いソレの肉体はまるで幽霊であるかのように浩一の身体をすり抜ける。
「ほ……本当か!?」
(俺は下手な嘘はつかないからな。本当だ。だが、当然リスクもある。お前はもしかしたら、この先死ぬよりも辛い選択を選び続けるはめになるかもしれないぞ?)
その言葉は妙に迫真に迫るものがあった。嘘を言っているようには聞こえない。
(1つだけ聞こう。お前はあの世と地獄、どちらに行きたい?)
「……今、このまま何も分からないで死ぬより良い。それに、タダで得られる命が無いのも分かっている。どうすればいい?」
それが浩一の答えだった。浩一は、地獄への片道切符を得る道を選んだのだ。
(分かった。良い答えだ、覚悟はあるみたいだな)
そういうと黒いソレの右手にはいつの間にか大ぶりのナイフを手にしていた。黒いソレは躊躇無く自らの左腕に当たる部分を切る。するとそこからは人間の血とは思えない、ドロドロとしたどす黒い血が流れ出した。
「お前……何を!?」
(さあ。俺を、受け入れろ!!)
そういうと黒いソレは瞬時に浩一の首を切り裂く。浩一が痛みに悲鳴を上げる前に、黒いソレはどす黒い血が流れ出している左腕の傷口を浩一の首の傷に当てる。するとどす黒い血は行き場を見つけた魚のように、浩一の傷口の中へと流れ出す。異常な勢いのどす黒い血は浩一の身体の中を流れ始め、いつしか黒いソレの形も崩れ始めていた。
「う……ウワアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
(ようこそ、闇の世界へ)
絶叫する浩一の中でその言葉だけが重く響いた。
化け物が突き刺した指で浩一の血を吸い始めた瞬間だった。頭を掴まれたままの浩一は自分の身体に刺さっている化け物の指を両手で掴むと、無理矢理へし折る。
「グォオオオ!?」
化け物が浩一の急な動きに怯んだ隙に、浩一は自分の頭を掴んでいる化け物の巨大な手の中に強引に両手を突っ込むと中から強引に開く。あまりにも急激な力が掛かったせいか、化け物の手は中から破裂するような勢いでどす黒い血をその場にまき散らした。浩一は地面に着地すると化け物の腹を殴りつけ、後方に跳び距離を取る。
「貴様……マサカ!?」
化け物は驚愕していた。自分が狙いをつけた獲物が、まさか極上の獲物であり、それでいて最悪の敵であるということを。
「ククククククククク……ふ、フッフッフッ……フフフフフフフフフフフ……アハハハ、ハハハハハハハハハハハハ!!」
浩一は力の限り、笑っていた。それは理性を持った人間の笑いというよりも、新たな生を受けた獣の咆哮という言葉の方が合っていた。その眼はギラギラとして鋭く、刃のような禍々しい光を見せていた。
「ハハハハハハハハハハハ!! ……さぁ、て。俺に喧嘩売ったんだぜ。どうなるか位は、分かってるんだろうなぁ?」
浩一は右手に拳を作ると化け物の腹にある眼球に狙いをつける。
「ウォオオオァアアアアアア!!」
対する化け物は巨大な右手を大きく開くと、浩一の頭を上から叩きつける。浩一はその一撃を左目で確認すると、自らの左腕を上げ、化け物の右手を受け止める。しかし質量と重量の差がありすぎた。化け物の右手を受け止めた浩一の左腕は脆くも骨が折れ、更に行き場を失った血が手首から噴水のように勢いよく噴き出す。化け物が一瞬だけ安堵した直後だった。大きな音を立てて、何かがその場に落ちた。
「ナッ!?」
驚愕するのも無理はなかった。化け物の巨大な右手が手首の部分から滑り落ちるように切り裂かれ、その場に落ちたのだから。大きな手首であったために、落ちた時は地響きとともにドシンという大きな音がその場に響いた。その直後化け物の全身の眼は浩一の右手に集中した。そこにはいつの間に握られていたのか、黒い柄のナイフが握られていた。
「ソ、ソレハ……」
「……」
化け物の問いには答えず、浩一は落ちた化け物の手首を少し眺める。すると浩一は持っていたナイフを先ほど斬り落とした化け物の左手の手首に突き刺した。まだ斬られた直後の化け物の右手からは大量のどす黒い血がどろりと流れ出ていた。
「フッ、フフ……」
浩一は流れ出た血に口をつける。その瞬間、浩一はニッ、という笑みを作りだすと化け物を見る。浩一の隙を突いたつもりか、化け物は距離を取っていた。
「フッ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 逃がすかアァァッァァァァァァ!!」
浩一は両足に力を込めると一気に跳躍する。その高度、飛距離は最早人間の尺度では測ることの出来ない距離でありそのジャンプで化け物の正面に回る。
「グッ……グォオオオオオァァァァァァァァァォオオオ!!」
「フッ……ハハハハハハハッハアハッハハアッハハハハ!!」
恐怖からの咆哮と勝利を確信した心からの笑い。2つの声が重なり、交差した瞬間、化け物の頭がズルリと滑り台から落ちるように倒れる。それと同時に全身にあった目は、その生涯が閉じる事を意味するかのように全てが閉じた。
「クッ、ククククク……アハハハハハハハハハ、ハーッハッハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
人外の力を得た浩一は吸血鬼、ブラッドハンターとなった。だが、浩一がこの名を知ることはもう少し先のこととなる……。




