20話
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……ふう」
浩一は改めて瞳を見る。彼女はまるで無呼吸で活動した後かのように肩で息をする。黒いライダースーツは瞳自身の返り血で赤くなっていた。だが、そのスーツの下に見える彼女の身体に点在するのは血ではなかった。紅い、鉄のように黒光りした瘡蓋の様な痕だった。
「吸血鬼は、あんなことが出来るのか……?」
「それはない」
浩一は思った疑問をそのまま口にし、それに対して鳴滝が答えた。彼女は額から汗をぬぐっている。
「川島瞳は普通の吸血鬼ではない。両親の血液の相互作用により、体内の血液の比率を自由自在に変え、操作することも出来る。純血種と言われる特殊な吸血鬼」
「血液を操作……?」
浩一は知る由もなかったが人間には骨髄に造血幹細胞と呼ばれる血液を作る細胞が存在する。一般的に人間は赤血球、白血球、血小板の3つが血液の45%を占めている。赤血球は体の活動に必要な酸素と二酸化炭素の運搬、白血球は病原体から体を守り、血小板は止血作用をもたらす。
彼女はその比率を自由自在に変えられる者だと鳴滝は言った。つまり先ほど彼女は体内の血液のうち、血小板の比率を上げることで傷を無理矢理塞ぎながら刃を引き千切ったわけである。
「化け物と同じよ」
ふう、と瞳は息を吐く。先ほど血小板を上げたことで細胞が酸素不足になったために、赤血球の比率を上げたことで落ち着いたところのだろう。そして、今は恐らく白血球の比率を上げて先ほどの出血の際に入り込んだ可能性のある病原菌を取り除いている。
「おかげで余計に死ににくくなったわ。私は組織で生きていくしかないの」
「川島……?」
「……!!」
浩一が問いかけようとした時、鳴滝は再び動き出した。彼女は口に叢雲を口に銜え、一度煙を吐き出すと、瞳に接近した。
「もう終わりにしましょう。鳴滝」
鳴滝が接近してきたとき、瞳は左足と左腕を前に出し剣を持った右手を下げる。彼女の剣の鍔元から流れ出た血が矛先で垂れた瞬間、右足を踏み込み右手の剣を鳴滝目掛けて突き出した。
ズボリという音がした時だった。その瞬間に眼を背けてしまっていた浩一が恐る恐る見てみると、鳴滝の胸の左中央部分、心臓の位置に瞳の剣が突き刺さっていた。正確には、刃の中ほどまで。片刃と両刃の境界線位の位置まで突き刺さっている。
「なっ……!?」
「……」
瞳は何も言わずにそのまま刃を更に突き刺す。ズブズブという思い音がすると、両刃の重さで刃が沈みそうになりながらも瞳は剣を両手で支え、剣が沈むのを防ぐ。
「……」
瞳は両手に力を込め、後ろを振り向きながら引き抜く。その瞬間、それまで刃によってせき止められていた鳴滝の血が一気に噴き出す。それと同時に、血が抜けて真っ赤になって抜け殻になった肉体が地面へと倒れこんだ。
「か、川島……」
人の死を見たことがないわけではない。自分の両親が死んだ時、死体は見た。当然病院で処置が終わった後ではあったが。だが、今の光景は本当の死体。そして事故でも何でもない、殺人の末の死体。
「次は貴方よ」
瞳が振り返って言う。黒いライダースーツには点々とした血の痕がまるで模様のように着いていた。そして彼女の白い肌にも、蒼い髪にも。鳴滝の返り血が点々と付いたソレは浩一にとって死の匂い。それでしかなかった。
「やめてくれ……川島……」
「私が生きていくためにはしょうがないのよ」
瞳は手にしていた剣を片手で持つと矛先を浩一に向ける。そのままの姿勢で一歩ずつ浩一に近づいてきた。
「嫌だ……こんなのは……」
「……」
瞳は答えない。浩一は一歩一歩近づいてくる瞳と距離をとるように後ずさりする。ふと、横にあった椅子を見ると、片手で持ち上げ、そのまま瞳に投げつけた。
「グッ……ウワアアァアアアアアアアアアアア!!」
だが、瞳は飛んできた椅子を大して見ることもせずに剣を斜め上に切り上げて椅子を真っ二つにした。
「無駄よ」
「ハァアッ、ハッ、ハァッ、ハァッ……」
浩一が後退りしていくが、背中にドスッ、という音と衝撃を感じた時。もうそこが既に壁だということを浩一は思い知らされた。一方の瞳は着々と浩一と距離を詰めていた。最早2人の距離は3mもない。
「もう逃げられないわよ、麻生君」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」
全身の穴という穴から汗が吹き出している浩一は全身が汗でびっしょりと濡れていた。どうすれば生き残れるか、話し合いはできないのか。ただ、殺されるしかないのか。
「死にたくない。死にたくは……ない!!」
「そうはいかないのよ」
瞳が剣を両手で握り直した時だった。浩一は咄嗟に自らの左手の親指に噛みつく。
「そうは!!」
「チィッ!!」
瞳が握った剣を浩一の居る地点に突き刺す瞬間、浩一は親指を噛んだまま右に跳ぶ。左手を口に近付けており、跳んだ後のことをろくに考えていなかった浩一は受け身を取ることも出来ず顔から床にダイビングする羽目になった。
「ブッ! だが!!」
浩一は左手の親指を口から離すと親指の血を右手で覆う。その右手には血鬼斬が握られていた。
「戦闘の意思があるのね」
「戦うつもりはない。御前を止めたいだけなんだ。川島!」
浩一は作った血鬼斬を正手に持つ。だが、持ち方も力の入れ方もわからず、無駄な力の入れすぎで身体はガチガチに固く、刃も小刻みに震えていた。とても戦う者の姿ではない。
「本当に戦い方も何も知らない、出鱈目な構え……」
そのあまりの素人さに瞳はつい苦笑いすら出てしまった。戦いの中でそれが不謹慎なことだとはわかるが、どうも浩一と一緒にいると調子が狂ってしまう。
「フフ……アハハハ!」
ついに瞳は耐えられず、剣を地面に突き立てて吹き出してしまった。浩一も急な彼女の笑いに驚く。それは偽りがない、彼女の本当の笑顔に見えた。
「かっ、川島……?」
「あっ……ごめんなさい。このような環境に貴方が不自然すぎたの」
一通り笑うと、彼女は笑顔を浩一に向ける。それは浩一にとって久しぶりに見たかのような笑顔だった。
「貴方は眩しい。自分の思った通りに行動し、誰にでも優しい。高校で見た貴方はとても眩しかったわ。私にはすごく」
「何言っているんだよ、川島。御前にだって、これからだって!」
「貴方に何がわかるのよ!!」
その瞬間、瞳は地面に突き立てていた剣を引き抜くと両手で剣を握る。その矛先は浩一の胸を狙っていた。
「かわし、」
ま、と浩一が言い切る寸前だった。3mほどしか無かったとはいえ、一瞬で縮む距離ではないはずだった。そして、それは刹那の出来ごとだった。瞳はまさに一瞬で浩一との距離をゼロにまで縮めると浩一の左肩から袈裟がけに刃を振り下ろそうとしていた。
「か、川島!!」
それはただ単に偶然だった。浩一は右手に正手に血鬼斬を握っていた。おかげで浩一の左肩をすぐに護ることが出来、偶々血鬼斬の刃が瞳の剣を受け止めたのである。もし、下手に逆手にでも血鬼斬を握っていれば、今頃浩一の左腕は床に落ちているところだ。




