なんだ、こりゃあ
「もう帰ってきたのかい」
ハネが手を止めて、こちらを見た。濡れた皮を岩の上に広げていたところだった。
まだ日は高い。いつものヨリなら、籠がいっぱいになって日が傾くころまで、戻ってこない。ハネは少し意外そうな顔をしたが、怒る様子はなかった。
けれど、その目はすぐにヨリの腕の中へ吸い寄せられた。
ヨリが抱えているのは、真っ白な器だった。水が入って丸くふくらみ、壺のような形をしている。日の光を受けて器そのものがぼんやり明るく、上の口からのぞく水面がきらきらと揺れていた。どこにも継ぎ目がない。傷も汚れも、ひとつもない。
岩壁にもたれていたシロが、跳ねるように立ち上がった。
「なんだ、こりゃあ」
普段は何があっても手を止めないシロが、籠を放り出して寄ってくる。その声を聞きつけて、子どもたちも駆けてきた。
「なにそれ!」
「見せて! 見せて!」
ヨリのまわりで、二人がぴょんぴょん跳ねる。シロは子どもたちには構わず、ヨリの抱えた器を上からのぞき、下からのぞき、横に回りこんで、難しい顔でにらんだ。
「これ、何だい」
ハネが聞くと、シロは低くうなった。
「……壺、か?」
それからヨリを見る。
「中に入ってるのは、水か?」
「水。あそこの川の水」
ヨリは胸を張って答えた。
「ほう。壺に水を入れてきたのか」
シロは顎に手をやり、器から目を離さないまま続けた。
「どこで手に入れた」
ヨリは振り返って、木々のあいだを指さした。少し離れたところに、大きな生き物が突っ立っている。
「あれの」
「あれの?」
「なんで水なんか入れてきた」
「あれが、泥水を飲もうとしてたから。水場に連れてった」
言ってから、ハネの顔つきが変わったのに気づいた。
「水場?」
あ、と思ったときには遅かった。
「あんた、採集に行ったんじゃなかったのかい」
「……採集もした」
ヨリは背中の籠を少し揺すってみせた。中にはリンガルがぎっしり詰まっている。
「そういうことを言ってるんじゃないよ」
さっきまで器に見とれていたハネが、すっかりいつもの顔に戻っていた。何なのかも分からない相手を連れて、一人で水場まで行ったこと。昨日オサに勝手なことはするなと言われたばかりなのに、また勝手なことをしたこと。ハネの小言は止まらない。
けれど、シロと子どもたちは、そんな話をまるで聞いていなかった。シロは相変わらず器をにらみ、子どもたちは「さわっていい?」とヨリの腕を引っぱっている。
やがてシロが、そろそろと指を伸ばした。
ぶよん。
「うおっ!」
シロが声を上げてのけぞった。危うく尻もちをつくところだった。その声に驚いた子どもたちが、わあっと叫んで、ハネの背中の方へ逃げていく。
ハネも一瞬だけ肩を跳ねさせたが、すぐに子どもたちを背中にかばい、何事もなかったような顔に戻った。
ヨリは口を固く結んだ。
だめだ。ここで笑ったら、もっと怒られる。それでも口の端がひくひく動くのは止められなかった。尻尾が勝手に揺れそうになるのを、慌てて片手で押さえる。
壺だと思っていたものが、ぶよん、だ。いつも落ち着き払っているシロが、あんな声を出すなんて。思っていた以上だった。
シロは胸を押さえて息を整えると、もう一度、今度はおそるおそる器に触った。押せば、へこむ。離せば、戻る。中の水が、たぷんと揺れる。
「……壺じゃない。水袋だ」
シロは独り言のようにつぶやいた。
「革でもない。縫い目もない。こんな水袋、見たことがない」
それから、木々のあいだに突っ立っている大きな生き物を見た。
「やっぱり、あれはドワーフなのかもしれんな」
* * *
神様たちが、白ブタの袋を取り囲んでいた。
何をしているのか、さっぱり分からない。袋に入っているのは、ただの川の水だ。それを一人の神様が上から下から眺め回し、小さいのが跳びはね、ほかの神様が何か言い合っている。水がそんなに珍しいわけでもないだろうに。
ぼんやり眺めていると、いきなり、眺め回していた神様が大声を上げてのけぞった。子どもたちがわあっと叫んで逃げていく。
白ブタは身を固くした。
何かまずいことになったのか。あの袋に、何かあったのか。逃げた方がいいのか。そう思っても、足は地面に貼りついたように動かなかった。
* * *
オサたちが狩りから戻ってきたのは、それからしばらくしてのことだった。
子どもたちが一斉に駆け寄って、口々に何か言う。リキは木々のあいだの大きな生き物に気づくなり、槍を握り直した。ランはヨリの抱えた器を見て、目を丸くしている。
「落ち着け」
オサの一言で、ざわめきが少し引いた。
ハネが手短に事情を話した。ヨリが嘘をついて大きな生き物を水場へ連れていったこと。この妙な器は、あれの持ち物だということ。オサはちらりとヨリを見たが、何も言わなかった。それからシロに目を向ける。
「なぜ、あれがこんなものを持っている」
「分からん。ただ、こんな細工は見たことがない。故郷の群れにいたころ、ドワーフの品はいくつも見たが、そのどれとも違う」
シロは器を見下ろしたまま続けた。
「最初に見たときも、オークにしては妙だと思った。顔は人間に近いし、背は低くて、横にばかり太い。ドワーフにしては少し大きいが……こんなものを持っているなら、やはりドワーフなんじゃないか」
オサはしばらく黙って、木々のあいだの大きな生き物を見ていた。
「ドワーフか」
「ドワーフなら、そう危ない相手でもないだろう。故郷の群れは、ドワーフと物を換えている。針も刃物も、もとはドワーフのものだ。ドワーフが、わざわざコボルトを襲いに来ることはない」
ヨリは、腰に下げた小さな刃物に目をやった。これも、そうやって手に入れたものだと聞いたことがある。
「……かもしれんな」
オサが小さくうなずいた。
「ドワーフって、あんな顔してんのかよ」
リキが不満そうに言ったが、槍の先は下がっていた。
「でかいドワーフっすね」
ランが言うと、子どもたちがくすくす笑った。
オサはヨリに向き直った。
「ヨリ。勝手をした話は、あとで聞く」
ヨリは首をすくめた。それでも、腕の中の器を放す気にはなれなかった。
* * *
神様が袋を抱えて戻ってきたのは、日が傾き始めたころだった。
白ブタの前まで来ると、神様は袋をぐいと差し出した。何だったんだろう、と思いながら受け取る。中の水は、少しも減っていなかった。
それから数日、神様は毎朝のように、白ブタをリンガルのなる斜面へ連れていってくれた。白ブタは毎日、腹いっぱい食べられるようになった。
そのあいだも、神様はやたらと袋を気にしていた。白ブタが水を汲むたびにじっと見ているし、置いておけば、そばにしゃがみ込んでつついている。
お礼がしたかった。けれど、白ブタには差し出せるものが何もない。あるのは、この袋くらいだ。
こんなゴミみたいなもんでよければ。
ある朝、白ブタは水を空けた袋を、神様の前に差し出した。神様は目をまん丸にすると、自分の革の水袋を白ブタの手に押しつけ、袋を抱えて岩場の方へ駆けていった。尻尾が、ちぎれそうなほど揺れていた。
その次の日、神様は両腕いっぱいに荷物を抱えてやって来た。
革の水袋がいくつもあって、開けてみると、木の実や干した根がぎっしり詰まっていた。その中に、干し肉が入っていた。
肉だ。
白ブタはその場でかじりついた。固くて、しょっぱくて、噛むほどに味が出てくる。この森に来てから、初めての肉だった。
山ほどの袋を前に、白ブタは夢中で肉をかじり続けた。
読んでいただき、ありがとうございます。
続きを追いかけてもらえるなら、ブックマークをしていただけると嬉しいです。
面白いと思っていただけたら、下の★で評価をお願いします。とても励みになります。




