引っ越し
荷物はほかにもあった。草で編んだ草履が一足と、何本かの紐、それに槍が一本。草履は左右で大きさが違い、紐は太さがばらばらだった。
食べ物はありがたい。けれど、こんなボロい草履や紐をもらっても仕方がない。白ブタは草履と紐をうろの外に放り出し、使い道の分からない槍は、入口に立てかけておいた。
それからは、毎日の食事も神様が運んでくるようになった。干し肉に木の実、干した根。神様たちが食べているのと、同じものらしい。量もたっぷりあって、白ブタの腹でもちゃんと膨れる。
白ブタは干し肉をかじりながら、うろの奥で足を投げ出した。
あんな袋一つで、これだけのものが手に入った。食べるものにも困らないし、神様は毎日来てくれる。学校には居場所なんてなかったし、家でもずっと部屋にこもっていた。それに比べたら、ここはずいぶんましだ。
オレ、わりかしここでやっていけるんじゃね。
* * *
何日か経ったある夕方、焚き火のそばで食べ物が分けられると、リキが自分の分を見下ろして顔をしかめた。
「また減ってねえか、これ。リンガルばっかじゃねえか」
誰も答えなかった。答えなくても、みんな分かっている。このところ狩りに出ても獲物は少なく、採集の籠に入るのはリンガルばかりだ。そのうえ毎日、大きな生き物の分を取り分けている。あの身体に合わせて群れの一人分の倍近くを持たせているのだから、減らないわけがなかった。
「なんで、あいつの分まで俺らが削られなきゃならねえんだ」
ヨリはリンガルを持つ手を止めた。言い返したかったが、言葉が出てこない。毎日食事を運んでいるのはヨリで、そもそも最初に勝手をしたのもヨリだった。
「釣り合わん取り換えをしたのは、こっちだ」
オサが低く言った。
「あの水袋一つに、うちの持ち物を全部並べても足りん。今さら打ち切るわけにはいかん」
「だからってよ……」
リキは助けを求めるように、隣のサトを見た。
「サトだって、そう思うだろ」
「さあねえ」
サトは干した根をかじったまま、目も上げなかった。リキが口を開けたまま固まり、ランが小さく吹き出す。
オサは焚き火に枝を一本くべてから、話を変えた。
「どのみち、ここはもう潮時だ。近くにはリンガルしか残っとらんし、トタスも遠くまで行かんと草が食えん」
ハネが黙ってうなずいた。群れは、ひとつの場所に長くは留まらない。まわりの食べ物が減ってくれば、知っている別の寝場所へ移る。それを何度も繰り返しながら、この辺りの森をぐるりと巡って暮らしてきた。持ち物も、みんなで背負える分とトタスに積める分しかない。
「明日、東の岩棚へ移る」
「あれは、どうすんだ」
リキが顎で森の方をしゃくった。暗がりの向こうに、大きな生き物のいるうろがある。
「置いていく」
オサは短く答えた。
「まさか、ついては来んだろう」
ヨリはうろの方を見た。嫌だ、と思った。けれど、群れで決めたことに口を挟めるほど、ヨリは群れの役に立ってきたわけではなかった。
* * *
翌朝は、まだ薄暗いうちから支度が始まった。
割れ目の中の籠や槍、弓、革の水袋、火起こしの道具が次々に運び出され、寝床に敷いていた草は外へ掻き出される。誰に言われなくても、それぞれ自分の受け持ちが分かっていた。子どもたちでさえ、もう自分の小さな籠を背負って待っている。
入口を塞いで眠っていたトタスが、サトの短い声でのそりと動いた。ランが首筋を撫でてやると、トタスは目を細めて首を伸ばす。サトは甲羅の縁に並んだトゲへ、籠や束ねた荷物を手際よく引っかけていった。
ヨリは自分の籠を背負い、森の方を振り返った。いつもなら、そろそろ朝の分を持っていくころだった。今日は、その分が取り分けられていない。
* * *
神様が来ない。
いつもなら、とっくに朝飯を持ってきてくれる時間だった。腹を鳴らしながらうろから這い出して岩場の方を見た白ブタは、そこでぽかんと口を開けた。
神様たちが、荷物をまとめていた。籠を背負い、槍を担ぎ、岩の割れ目の中を空っぽにしている。
引っ越し?
その真ん中で、とんでもなく大きなものが動いていた。あの日、こちらへ寄ってきた巨大な亀だ。昼間に姿を見ることはなかったが、夜になると岩場の方で何か大きなものが動く気配はしていた。
改めて見ると、でかい。高さは白ブタの背丈くらいだが、前後にも横にも長く、乗用車がそのまま甲羅をかぶって歩いているようだった。甲羅はこんもりと丸く盛り上がり、そこから象みたいな太い脚が四本、柱のように突き出ている。皺だらけの首をゆっくり伸ばして、のし、のし、と地面を踏むたびに、こっちまで足の裏に響いてきそうだった。
よく見ると、甲羅の上には背もたれのついた座椅子みたいなものが一つ、太い紐で甲羅ごとぐるりと巻いて据えつけてあった。甲羅の縁には太いトゲがずらりと突き出していて、そこに籠や荷物の束がいくつも引っかけてある。
亀っていうか、トラックじゃん。
神様の一人が甲羅によじ登り、座椅子に腰を下ろした。何か短く声をかけると、亀は首を一振りして歩き出す。神様たちもその後に続いて、ぞろぞろと岩場を離れていった。
いつもの神様は、一度もこちらを振り返らなかった。
置いていかれる。
そう分かった瞬間、腹の底が冷たくなった。食べ物を運んでくれる神様がいなくなる。リンガルのなる斜面の場所だって、白ブタ一人ではちゃんと覚えていない。せっかく、ここでやっていけると思ったのに。
白ブタは慌ててうろへ戻り、もらった革の水袋をかき集めた。全部は手に持ちきれない。入口に立てかけてあった槍が目に入り、白ブタは水袋の紐を槍の柄に通して、まとめて肩に担いだ。
うろの外には、放り出した草履と紐が転がったままだった。白ブタはそれをまたいで、神様たちの背中を追いかけた。
* * *
しばらく歩いたところで、ランが後ろを振り返った。
「……ついてきてるっす」
みんなが一斉に振り返る。木々のあいだを、大きな生き物がのしのしと歩いてきていた。肩に槍を担いで、その先に水袋をいくつもぶら下げている。
「嘘だろ」
リキが天を仰いだ。オサは何も言わずに、大きく息を吐いた。
ヨリは前を向いたまま歩き続けた。振り返らなくても、後ろからついてくる足音は聞こえている。尻尾が勝手に揺れそうになって、ヨリは籠の紐をぎゅっと握りしめた。
日が傾くころ、群れは東の岩棚に着いた。張り出した岩の下は前の割れ目より少し広いが、それでも九人と荷物でいっぱいになる。サトの合図でトタスが腰を落とし、みんなが荷物を下ろし始める。大きな生き物は少し離れた木の下で足を止め、担いできた水袋をそっと地面に置いて座り込んだ。
「で」
リキが大きな生き物を指さした。
「あれ、どうすんだよ」
誰もすぐには答えなかった。オサは腕を組んだまま黙っている。ハネがオサを見て、ランがサトを見て、サトは知らん顔で荷物の紐をほどいている。
ヨリは、自分の籠の重さを確かめるように、背負い紐を握り直した。
群れに拾われてから、ヨリはずっとそうしてきた。採集に出て、籠をいっぱいにして帰ってくる。それで、ここにいていいことになっている。何もしないで置いてもらえるなんて、思ったことはない。
だったら、あれも同じだ。
「……働いてもらう」
みんなの目が、一斉にヨリへ向いた。群れの話し合いで、ヨリが自分から口を開くことはめったにない。
ヨリは木の下の大きな生き物を見たまま、もう一度言った。
「働いてもらえばいい」
オサは腕を組んだまま、木の下の大きな生き物をちらりと見た。それから、ふっと短く息を吐く。
「……いいだろう」
リキが何か言いかけたが、オサはそれより先にヨリへ向き直った。
「ただし、ヨリ。お前が責任を持って働かせろ」
ヨリは目を見開き、それから小さくうなずいた。
* * *
木の下に座り込んで一息ついていると、神様たちの真ん中にいる、一番偉そうなのと目が合った。腕を組んだまま、こちらをじっと見ている。その横では、神様まで白ブタを見ていた。
なんか、嫌な予感がする。
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