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大きな背中

東の岩棚に着いた翌朝、ヨリは大きな生き物の手を引いて、岩場の端を歩いていた。


張り出した岩の下は、九人と荷物でもういっぱいだった。あの大きな身体が入る隙間はないし、オサもそこまでは許さない。それでも、いつまでも木の下に置いておくわけにはいかなかった。働かせろと言われたのはヨリなのだから、寝る場所くらいは決めてやらなければならない。


岩棚から声が届くくらい離れたところに、岩が縦に割れてできた隙間があった。前の場所でうろを見つけたときと同じように、ヨリは大きな生き物をそこまで連れていき、中を指さした。大きな生き物は身体をかがめてのぞき込み、それから、のそのそと中へ入っていった。雨の日と違って、今度はすぐに分かったらしい。


大きな生き物は割れ目の奥に、木の下から抱えてきた槍と水袋を下ろした。ここが自分の場所だと分かったらしく、水袋を一つずつ壁際に並べている。


ヨリは入口から手招きして、大きな生き物を外へ呼び戻した。それから、シロが出してくれた古い籠をその背中に背負わせた。紐を目いっぱい伸ばしても、太い腕がやっと通るくらいだった。並べたばかりの水袋も一つ取って水を入れ、肩から提げさせる。


籠を背負い、水袋を提げた大きな生き物を、ヨリは一歩下がって眺めた。籠も水袋も、ちゃんと様になっている。これで、どこへ連れていっても大丈夫だ。ヨリは満足してうなずき、尻尾の先を小さく揺らしながら、森の方を指さして歩き出した。大きな生き物は背中の籠をがさがさ鳴らしながら、後ろからついてきた。


最初の何日かは、正直に言えば楽しかった。


ヨリはずっと一人で採集に出てきた。誰かと並んで森を歩くことも、後ろから足音がついてくることもなかった。それが今は、振り返ればいつでも大きな生き物がいる。斜面を登れば登ってくるし、立ち止まれば立ち止まる。リンガルの木を見つけて指さすと、うれしそうな顔をする。


ヨリは木の前に立ち、リンガルをもいで籠に入れてみせた。もう一つもいで、また入れる。こうやるのだと、何度も繰り返した。大きな生き物は、それをじっと見ていた。


見ていれば分かるはずだった。ヨリだって、誰かに手を取って教わったわけではない。群れに拾われてから、みんながやるのを見て、自分で覚えてきた。


けれど、大きな生き物はいつまで経っても見ているだけだった。


* * *


神様は、今日も働き者だった。


斜面にリンガルの木を見つけるたびに、神様は背伸びをして実をもぎ、背中の籠へ入れていく。小さな身体で、よくあんなに動けるものだと思う。籠がいっぱいになるころには、神様の足どりはずいぶん重そうになっていた。


大変そうだ。


白ブタはその後ろを歩きながら、手近な枝からリンガルをもいでかじった。背中には神様にもらった籠を背負っているが、何に使うのかはよく分からない。神様とお揃いなので、なんとなく背負っている。


ただ、少し気になることもあった。ここへ来てから、神様が運んでくる飯が、だんだん少なくなっている。最初は両手からこぼれそうなほどあった干し肉や木の実が、いつの間にか半分くらいになっていた。


この辺りは、食べ物が少ないのかもしれない。そういえば、飯を置いていく神様の顔も、日ごとに曇っていく気がした。


* * *


「慣れてないんだから、仕方ないさ」


最初のうちは、ハネもそう言ってくれた。オサも何も言わなかった。けれど、七日経ち、十日経ち、半月が過ぎても、ヨリが持ち帰るのは一人分のままだった。


大きな生き物に回す分は、少しずつ減らされていった。倍近くあった分け前が、気づけば群れの一人分と同じになっていた。それでも、何も持って帰らない者が一人分を食べていることに変わりはない。


「なんで俺らの飯、また減ってんだよ」


ある晩、リキが焼いた根をかじりながら言った。


「あいつの分、減らしたんじゃなかったのか」


「減らしたよ」


ハネが答えると、リキは焼いた根を振り回した。


「じゃあ、なんで減ってんだ。俺たちは一日じゅう走り回ってんだぞ」


答えは、みんな分かっていた。大きな生き物が一人分食べて、何も持って帰ってこないからだ。ヨリは木の実を握ったまま、何も言えなかった。責任を持って働かせろと言われたのは、ヨリだった。


その夜、ヨリは岩棚の入口近くの寝場所で、なかなか眠れなかった。どうして分からないのだろう。あんなに何度もやってみせているのに。


* * *


次の日の神様は、いつもと様子が違った。


朝からほとんど休まずに歩き、リンガルの木を見つけるたびに籠へ詰めこんでいく。籠はとっくにいっぱいなのに、まだ上へ積もうとしている。白ブタがリンガルをかじりながらついていっても、一度も振り返らなかった。


帰り道、急な斜面を下りていたときだった。


前を行く神様の足が、湿った落ち葉の上でずるりと滑った。小さな身体が横倒しになり、籠からこぼれたリンガルが、斜面をごろごろと転がっていく。


白ブタは慌てて駆け下りた。神様は地面に手をついたまま、片方の足首を押さえて顔をしかめている。


とりあえず、白ブタは転がったリンガルを拾い集めた。神様が毎日せっせと集めているものだ。大事なものだということくらいは分かる。拾っては神様の籠へ戻し、全部戻し終えると、神様はその籠を背負い直して立ち上がろうとした。


立ち上がりかけた身体が、がくんと崩れた。


神様は歯を食いしばって、もう一度立とうとした。それでも足に力が入らないらしく、また膝をつく。しばらく籠を見つめていたかと思うと、神様は中のリンガルを地面にあけ始めた。せっかく拾ったのに、と白ブタが思っているうちに、空になった籠を背負い、今度こそと立ち上がる。


そして、また倒れた。


神様は地面に座りこんだまま、動かなくなった。耳がぺたりと伏せている。


もしかして、歩けないんじゃないか?


白ブタは神様を見下ろした。小さい。背丈は白ブタの腰より少し上くらいしかなく、近所の小学生と変わらない。ふさふさの尻尾がついた、可愛い生き物だ。


これくらいなら、オレでもおんぶできるかもしれん。


白ブタは自分の空っぽの籠を、神様が背負ったままの籠の中に押しこんで重ね、そこへあけられたリンガルをもう一度詰め直した。それから神様に背を向けて、しゃがみこんだ。


背中の向こうで、神様が固まった気配がした。白ブタは振り返って、自分の背中をぽんぽんと叩いてみせた。


しばらくして、小さな手がおそるおそる肩にかかった。背中に重みが乗る。白ブタは神様の脚を両腕で抱え、よっこらしょと立ち上がった。


あれ?


思ったより、ずっと軽かった。籠を背負った小学生くらいの子どもなんて、もっと重いものだと思っていた。これなら、なんとか帰れそうだ。


* * *


ヨリは、大きな背中にしがみついていた。


足首がずきずきと脈を打っている。それより悔しかった。責任を持てと言われたのに、働かせるどころか、自分が運ばれている。こんなところを見られたら、リキに何を言われるか分からない。


けれど、大きな生き物が一歩踏み出すたびに、背中がゆっくりと揺れた。広くて、温かくて、ヨリと籠をまとめて背負っているのに、足どりは少しもふらつかない。


この感じを、知っている気がした。


ずっと昔、まだ前の群れにいたころ、誰かの背中に揺られていた。顔も声も覚えていない。ただ、こうして広い背中にしがみついて、揺れに身を任せていたことだけが、身体のどこかに残っている。たぶん、父親だったのだと思う。


今の群れに拾われてから、誰かに背負われたことは一度もなかった。ハネには自分の子どもがいたし、ヨリも、甘えていいと思ったことはなかった。


大きな生き物は、ときどき立ち止まって息を整えた。大きく息をつき、肩から提げた水袋の水を飲んで、それからまた歩き出す。汗の匂いがした。それなのに、少しも嫌ではなかった。


いつの間にか、足の痛みが遠くなっていた。ヨリは大きな背中に頬を押しつけて、目を閉じた。この群れに来てから、こんなに安心したことがあっただろうか。


* * *


日が傾いても、ヨリは戻ってこなかった。


狩りに出ていたオサたちもとうに戻り、焚き火のまわりには群れのみんなが揃っている。いないのは、ヨリと、あの大きな生き物だけだった。


「遅いね」


ハネは森の方を見た。このところ、ヨリはいつも日が傾き始めるころには戻ってきていた。


「あの野郎が、何かしたんじゃねえか」


リキが槍を膝に引き寄せた。冗談めかした口ぶりではなかった。


そのとき、木々のあいだで何かが動いた。


のっそり、のっそりと、大きな影が岩場の方へ歩いてくる。あの大きな生き物だった。けれど、そのまわりにヨリの姿はない。


「あの野郎、ヨリ置いて一人で帰ってきやがった!」


リキが槍をつかんで飛び出した。誰よりも早かった。


「待て」


オサの声が、リキの足を止めた。オサは目を細めて、近づいてくる影をじっと見ている。


大きな生き物は、少し前かがみになって歩いていた。息を荒くしている。近づくにつれて、その肩の上から何かがのぞいているのが見えてきた。


小さな頭だった。右の耳が、よれている。


「……ヨリ?」


ハネは思わず立ち上がった。ヨリは大きな生き物の背中におぶわれていた。しかも、リンガルの入った籠を背負ったままだ。


ハネは頭の中で重さを足した。ヨリ一人でも、大人が背負えば相当こたえる。そこに籠のリンガルまで乗っている。リキだって、あれを背負って森の中を歩いてくるのはきついはずだ。それを、あの大きな生き物は息を切らしながらも、ここまで背負ってきた。


大きな生き物は岩場の手前で立ち止まり、ゆっくりとしゃがんだ。ヨリが片足をかばいながら背中から下りると、ハネは駆け寄った。


「どうしたんだい、その足」


「……転んだ」


ヨリはそれだけ言って、目をそらした。


リキは槍を下ろし、「……なんだよ」と吐き捨てて、焚き火のそばへ戻っていった。


サトがゆっくり立ち上がり、ヨリの足首を手に取った。何度か向きを変えて押さえ、ヨリが顔をしかめるのを見てから、うなずく。


「くじいただけだね。何日か、おとなしくしてな」


薬草を取りに岩棚へ戻りかけて、サトは足を止めた。地面に座りこんで、まだぜえぜえ言っている大きな生き物を、しげしげと眺める。


「何もできないと思ってたけど」


サトは誰にともなく言った。


「力だけは、リキ並みにあるんだねえ」


焚き火のそばで、リキがものすごい顔をしてサトをにらんだ。サトは気にする様子もなく、さっさと岩棚の中へ入っていった。

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