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品定め

翌朝、ヨリは岩棚の入口に座ったまま、足首に巻かれた葉の上からそっと触れてみた。


まだ熱を持っている。サトが夜のうちに練った薬草を貼ってくれたおかげで、昨日ほどの痛みはないが、歩けば顔がゆがむ。何日かおとなしくしていろと言われた以上、今日の採集には出られなかった。


「ヨリ」


顔を上げると、サトが立っていた。小さな身体をいつものように丸めて、背中に空の籠を背負っている。その後ろでは、ひょろりと手足の長いランが、槍を肩に担いであくびをしていた。


「あれ、蜂蜜採りに借りてくよ」


サトは岩の割れ目の方へ顎をしゃくり、それから振り返らずに言った。


「ラン、あんたも来な」


「あれと一緒っすか。無理っす」


「来な」


ランは口をとがらせたが、それ以上は何も言わなかった。


ヨリはすぐには答えられなかった。蜂蜜は、故郷の群れへ持っていけば、針や刃物と換えてもらえる。群れにとって、何よりの取り換えの品だった。運ぶ手は多いほどいいし、あれの力は昨日みんなが見ている。ヨリが採集に出られない以上、あれを遊ばせておく理由はない。責任を持てと言われたのはヨリで、断る筋合いもなかった。


それでも、胸の奥がざわついた。サトはトタスを、声ひとつで思いどおりに動かす。あれも同じように手なずけられて、そのままサトのものになってしまったらどうしよう。


「……言葉、通じないよ」


「じゃあ、どうやって連れて歩いてたんだい」


ヨリは黙って立ち上がった。痛む足をかばいながら割れ目まで行くと、入口にしゃがんでいた大きな生き物が、ぱっと顔を上げた。ヨリはその手を取り、二、三歩引いてみせる。大きな生き物は、すぐに立ち上がってついてきた。


「ふうん。手を引けば来るのかい」


サトが感心したように言う。ヨリは少し迷ってから、握っていた大きな手を、サトの方へ差し出した。自分しか知らなかったやり方を人に教えるのは、思っていたよりずっと嫌な気分だった。


サトが手を受け取る。その瞬間、ヨリは思わずサトの顔を見上げていた。


「……絶対、魔法かけないで」


「さあねえ」


サトは笑いもせずにそう言うと、大きな生き物の背中の籠に枯れ草の束と朽ち木を放りこみ、その手を引いて歩き出した。ランが「母ちゃん、意地悪っす」と小声で言い、ヨリに軽く手を振ってから後を追う。


岩棚の前で寝そべっていたトタスが、のそりと首を上げた。サトが行くなら自分も、とでも言うように、重たい脚を踏み出しかける。サトが短く声をかけて手のひらを向けると、トタスは不満げに首を引っこめた。ランがその首筋を撫でて、「留守番っす」と言い聞かせる。


ヨリは、気づけば足を引きずりながら、二、三歩あとを追っていた。


「ヨリ。あんた、おとなしくしてなって言われたろ」


背中から、ハネの声が飛んできた。ヨリは足を止めた。隣では、置いていかれたトタスが同じように首を伸ばして、遠ざかる三つの背中を見送っている。


大きな生き物は、何度もこちらを振り返っていた。


* * *


握られている手が、いつもと違った。


神様の手は小さくて、少し湿っていて、握ると温かかった。今、白ブタの手を引いているのは、知らない神様の手だ。いつもの神様と同じくらいの背丈で、背中を丸めて歩くので、もっと小さく見える。乾いた細い指は、握るというより、品物をつかんで運ぶような握り方だった。


神様は足を怪我しているから、今日は来られないらしい。それは白ブタにも分かった。分かったが、だからといって、知らない神様についていく心細さが消えるわけではない。


岩場が見えなくなったあたりで、知らない神様は急に立ち止まった。


白ブタの袖を、下へ下へと引っぱる。しゃがめ、ということらしい。言われるままに腰を落とすと、知らない神様は白ブタの顔の真ん前に、自分の顔を突き出してきた。


近い。


濡れた黒い鼻先が、白ブタの鼻に触れそうなところにある。知らない神様はその鼻先をひくつかせて、白ブタの口もとから首筋へ、くんくんと匂いを嗅いでいった。


そのとき、目の前の神様の胸もとに、ふくらみがあるのに気づいた。


女か?


匂いを嗅ぐ女の顔が、すぐそこにある。白ブタの背中が、ぞわりとした。


小学校のころ、同じクラスに、塾まで一緒の女子がいた。その子は、わざわざ白ブタに顔を寄せてきて匂いを嗅いでは、「カメムシ」「口が臭い」「あっちいけ」と言った。学校で言われて、塾でもまた言われる。どこにも逃げ場がなかった。臭いなら嗅がなきゃいいのに、と何度も思った。けれど、それを言えばもっと怒らせる気がして、一度も言えなかった。


白ブタは、思わず息を止めた。


身体が、かちこちにこわばる。知らない神様は白ブタの鼻を指でつまんで左右に動かし、顎の無精髭をざらりと撫で、首の太さを確かめるように喉もとに手のひらを当てる。丸い目が、ずっと白ブタの顔をのぞき込んでいる。人の目なんて、まともに見たことがない。白ブタの視線は、神様の耳と、その向こうの木の枝と、自分の膝のあいだを行ったり来たりした。


まだ終わらないのか。


胸が苦しい。顔に血が上って、耳の奥がどくどくと鳴る。目の前がちかちかしてきた。知らない神様は何かつぶやいて、さらに顔を近づけてくる。


もう、だめだ。


「ぶはあっ」


こらえていた息が、一気に口から噴き出した。知らない神様が、毛を逆立てて飛びのく。白ブタは肩で息をしながら、ぜえぜえと空気をむさぼった。


それから、あきらめた。どうせ嗅がれるなら、息を止めても無駄だ。白ブタは地べたにしゃがみこんだまま、なすがままになった。


知らない神様はすぐに戻ってきて、今度は白ブタのパーカーの袖をつまんで引っぱった。伸びた布が戻ると、もう一度引っぱる。フードをめくり、腹のポケットに指を突っこみ、スウェットの膝の毛玉をつつく。


先を歩いていた手足のひょろ長い神様が、振り返って何か言った。呆れたような声だった。細い身体の胸もとにも、小さなふくらみがある。


こっちも、女か。


女が二人と、オレ。白ブタは、ますます身体を小さくした。


* * *


また始まった、とランは思った。


母親が珍しい草や虫を見つけて動かなくなるのは、いつものことだ。トタスを手なずけたときも、何日も張りついていたと聞いている。けれど今日のは、いつもよりひどかった。大きな生き物を地べたにしゃがませて、その前に自分もしゃがみこんだまま、もうずいぶん経つ。


今度は大きな生き物の足首をつかんで、ぐいと持ち上げた。大きな生き物がよろけて、慌てて地面に手をつく。母親はかまわず、足を包んでいる妙な履物の裏をのぞき込んだ。


「ふむ」


裏に刻まれた溝を、指でなぞる。


「なるほど」


「何がっすか?」


返事はなかった。母親は履物の裏から目を離さないまま、また「ふむ」と言った。ランはため息をついた。こうなると、何を聞いても無駄だ。


「母ちゃん、日が暮れるっすよ」


「蜂蜜は明日でいいじゃないか」


「よくないっす。オサに採ってこいって言われてるっす」


母親は聞いているのかいないのか、今度は大きな生き物の顎の下に手を差しこんで、顔を上向かせている。さっき大きな生き物がいきなり息を噴き出したときは、毛を逆立てて飛びのいたくせに、もうけろりとしていた。


「おや、顔が赤くなったね。……なんだろね」


母親は首をかしげて、楽しそうに大きな生き物の顔をのぞき込んだ。


ランは、あの大きな生き物にさほど興味はなかった。初めて群れの前に現れたときは、あんなでかいのと戦うのは無理だと思ったし、今でも槍を手放す気にはなれない。けれど、母親に鼻をつままれ、足を持ち上げられ、地べたで顔を真っ赤にして縮こまっているのを見ていると、どうにも気が抜けた。怖い魔物というより、言われるがままの子ブタだ。


「中身は、どうなってるんだろうねえ」


母親がぽつりと漏らした。


「母ちゃん、それ口に出すと怖いっす」


母親は答えずに、大きな生き物の目をじっと見上げた。それから、トタスに向けるのと同じ、短く低い声をかける。指先で、小さく合図を作った。


大きな生き物は、きょとんとした顔で母親を見下ろしていた。それだけだった。トタスなら、首を伸ばしてこちらへ寄ってくるところだ。


「……効かないねえ」


「母ちゃん、ヨリにかけるなって言われてたっす」


「かけてみただけだよ」


母親は悪びれもせずに言って、また大きな生き物の袖をつまみにかかった。


もう限界だった。ランは母親の腕をつかんで立たせ、そのまま前へ引っぱった。母親は名残惜しそうに振り返っている。しゃがんだままの大きな生き物に、ランは顎をしゃくった。


「ほら、行くっすよ」


言葉が分かったわけでもないだろうに、大きな生き物はほっとしたような顔で立ち上がり、慌ててついてきた。


* * *


巣に着いたのは、日がだいぶ高くなってからだった。


斜面の上に立つ古い木の、幹の裂け目。近づく前から、低い羽音が聞こえてくる。裂け目のまわりを蜂がひっきりなしに出入りし、幹の表面が黒く波打って見えるほどだった。


ランは顔をしかめた。前に見つけたときより、ずっと数が増えている。これは骨が折れそうだ。


ふと横を見ると、母親は巣を見ていなかった。また大きな生き物の袖をつまんで、熱心にのぞき込んでいる。


「母ちゃん。巣は、あっちっす」


ランは、深いため息をついた。

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