コボルト
朝、目が覚めると、少し寒かった。鼻先を腹の毛へ押し込んで、ヨリはもう一度丸くなる。
少し離れた岩の割れ目では、みんなが身体を寄せ合って眠っていた。九人で入ると、寝返りを打つ余地もほとんどないほど狭い。真ん中にはオサがいる。誰かが決めたわけではないけれど、いつもだいたいそうなる。
ヨリは入口に近いところで、一人ぶんだけ離れて寝ていた。そうしろと言われたわけではない。前はもっと中で寝ていた気もする。でも、今さら自分から割り込んでいくのも嫌だった。
ここでいい。
ぱき、と外で枝が鳴った。何人かの耳がいっせいに立ち、ヨリも左耳を向ける。よれた右耳は、こういうとき少し頼りない。しばらくして何も来ないと分かると、みんなの耳が戻った。朝は、だいたいこんなふうに始まる。
オサの腹の近くから、子どもが一人這い出してきて、もう一人も続いた。二人ともオサとハネの子だ。片方が何か嬉しかったのか、尻尾を二度ほど振ると、すぐハネに尻尾を軽く引っ張られた。子どもは振り返って、尻尾を脚のあいだへ戻す。
まだ小さいから仕方ないな。大きくなってまで尻尾を勝手に動かすのは、みっともない。嬉しいのか、怖いのか、自分から教えて歩くようなものだから。
ヨリの尻尾は動かない。
今日も朝ごはんは、リンガルだった。赤茶色の丸い実で、毒はないし、腹もふくれる。でも、好きではない。昨日も食べたし、その前の日も食べた。できれば今日は、別のものがよかった。
子どもの一人も同じだったらしく、鼻を近づけて、嫌そうに顔をそむけた。
「食べなさい」
ハネに言われて、しぶしぶかじっている。気持ちは分かるな。
ヨリの分もちゃんとあった。順番が来たので二つ取り、一つ目を噛む。硬い皮のあとに、ぼそぼそした実が口に残って、すごく酸っぱい。やっぱり好きではない。
三つ目も残っていたけれど、取らなかった。まだ食べられる。でも、今日は狩りに出る者がいる。横から若い雄が一つ取っていった。あれは、あいつが食べた方がいい。
食事が終わると、みんなが動き始めた。オサと若い雄は槍を持ち、成体の雌の一人が縄を確かめている。今日はその三人で狩りに出るらしい。ハネは子どもを連れて、近くへ採集に出る準備をしていた。水も汲むらしい。子どもでも、小さな水袋くらいなら運べる。
群れでいちばん年上のシロは、岩壁にもたれ、昨日ほつれた背負い籠を膝に挟んでいた。細い紐を通し直しては、何度も引っ張って確かめている。年寄りといっても、寝ているだけではない。火も起こすし、罠も見るし、壊れた道具も直す。九人しかいないのだから、子どももシロも、できることはやる。ヨリもそうだ。
オサは縄の具合を確かめると、岩の外を見た。この場所に来てから、少し長い。岩の割れ目は雨風をしのげるけれど、ここが家というわけではない。前にも別の場所で寝たし、その前は木の根の下だった。食べるものが減れば、また移る。ヨリにとっては、それが普通だった。
「ヨリ」
呼ばれた。ハネが小さな背負い籠を顎で示している。今日は採集らしい。
籠を背負う。背中に馴染んだ籠で、紐の片方は前に切れて、シロに直してもらったものだ。
「あっちは行くな」
ハネが森の奥を指した。
「うん」
「もう少し愛想よくできないのかねえ」
ヨリは答えなかった。それで話は終わった。
一人で行っていいのは、近いところまで。遠くまで行くなら、何人かで行く。一人で何でもできるほど、コボルトは強くない。もちろん、ヨリも。
森へ入る前に、一度だけ振り返った。子ども二人が何か言い合っていて、ハネが片方の頭を小突く。オサと若い雄は槍を担ぎ、縄を持った雌と一緒に森へ向かっていた。シロはまだ籠を直している。
それぞれにやることがある。自分もやろう。
ヨリは森へ入った。
いつもなら木の実が落ちている倒木の下は、今日もからっぽだった。鼻を地面すれすれまで近づけて嗅いでも、残っているのは昨日の自分の匂いだけ。根を探して土をひっかけば、出てくるのは小石ばかりだ。代わりに、どこを向いても赤茶色の実が目に入る。
リンガル。
干しても腐るし、持って帰っても誰も喜ばない。分かっていても、手は勝手に伸びた。空の籠で帰るよりはいい。ヨリは口をへの字にしたまま、ぷちぷちと摘んでいった。
頭の上で、ぴいぴいと甲高い声がした。見上げると、枝の股にある小さな巣から、ひなたちが口を開けて鳴いている。そこへ親鳥が戻ってきて、くわえてきた虫を順に押しこんでいった。少し遅れて、もう一羽も戻ってくる。二羽は巣のふちに並んで、ひなたちを見下ろしていた。
今朝の岩の割れ目と同じだ。真ん中で眠っていた二人の腹のそばから、子どもたちが這い出してきた。
強くなくていい。狩りがうまくなくてもいい。朝起きたら、ちゃんと隣にいてくれる相手がいい。どこにも行かないで、ずっと一緒に生きていてくれる相手ができたら。
そうしたら、もう入口の端っこで寝なくていい。真ん中で、子どもを腹に抱えて眠るのだ。子どもが嬉しくて尻尾を振ったら、笑いながら引っ張ってやる。
気づくと、尻尾がぶんぶん揺れていた。
ヨリは慌てて両手で押さえ、きょろきょろと周りを見回した。
……こんなよれた耳の、拾われた子を、誰が選ぶんだろう。
押さえていた尻尾が、手の中でだらりと下がった。
頭の上では、親鳥がまた飛び立っていった。ヨリはしばらくそれを見上げてから、籠を背負い直した。いつもの採集なら、この辺りで戻る。けれど足は、ハネに「あっちは行くな」と言われた方へ向いていた。
決まりを破っていることは分かっている。歩くほど、知っている匂いが薄くなる。ときどき立ち止まっては、帰る方向を確かめた。木の実でも、根でもいい。リンガルじゃないものを持って帰れたら、それでいい。
それでも見つかるのは、リンガルだった。
「また……」
思わず声が出た。一つ摘んだけれど、もう籠へ入れる気にもならなかった。
昼を過ぎたころ、さすがに戻ることにした。結局、まともなものは見つからず、籠は半分ほど埋まっている。見た目だけなら悪くないが、中身はあまり見せたくない。仕方ないな。今日はこれで帰ろう。
群れの方へ歩き始めて、少ししたころだった。
知らない匂いがした。
足が止まり、左耳が前を向く。風は向こうから来ている。仲間ではない。仲間なら、顔が見えなくてもだいたい分かる。ネズミでもないし、腐った肉でもない。嗅いだことがない匂いだった。
すぐには近づけず、まず後ろを見た。群れへ戻る方向は分かる。右には低い藪があって、何かあれば、あそこを抜けて走れる。逃げる道を確かめても、何なのか分からないまま背中を向けるのは怖かった。ヨリは匂いの方へ少しだけ回り込んだ。
木のあいだに、大きなものがいた。
身体を低くする。
オーク。
そう思った。でも、小さい。ハネから聞いたオークは、自分たちよりずっと大きな魔物だった。子どもか? そのわりには、ひどく太っている。白い顔に、丸い腹。見たことのない灰色の服を着て、地面に座り、足を投げ出していた。布には見えるけれど、群れの誰の服とも違う。武器は見えない。
強い風がびゅうっと吹いた。ヨリは動かなかった。
向こうが顔を上げて、目が合った。オークの大きな身体が、びくりと震えた。
襲ってくる!
……違った。
そいつは顔を伏せて、肩を丸めた。大きいのに、もっと小さくなろうとしているみたいだった。
怯えている? オークが自分に? 変だな。
でも、逃げた方がいい。知らないものには近づくなと、ハネに何度も言われている。群れへ戻って知らせないと。
そう思って一歩、後ろへ下がったとき、オークの白い顔が、こちらを真っ直ぐ見た。そして、何かを言った。
その言葉は、聞いたことのない言葉だった。言葉ではないのかもしれない。そもそも、オークが言葉を話すのかどうかも知らない。
ただ、その声は怯えているようだった。
「……神様」




