タキ
三人が岩棚の前まで来ると、ハネと子どもたちが駆け寄ってきた。
「おっきい!」
「あまいにおいがする!」
子どもたちは大きな生き物の籠に飛びつくようにしてのぞきこみ、黄金色の巣を見て、わあっと声を上げた。ハネも後ろから籠をのぞいて、目を丸くしている。
「こりゃまた、ずいぶん採ってきたねえ」
「なめていい? ねえ、なめていい?」
子どもたちがハネの腕を引っぱる。そのはしゃぎ声につられたのか、さっきしぼんだランの声に、また調子が戻った。ランは得意げに胸を張った。
「役得で、ちょっと舐めたっす。こいつ、蜂にたかられても、ぜんぜん刺されないんすよ。巣に槍突っこんで、ごそっと落としたっす」
悪気のない声だった。ランは、ついさっきまでの道中を思い出すように、大きな生き物の肩をもう一度バンと叩いた。
焚き火のそばで槍の穂先を研いでいたリキが、顔を上げた。
「蜂に刺されねえ? そんなわけあるか」
「ほんとっすよ。母ちゃんも見てたっす」
「たかが蜂だろ。どうせ、たまたまだ」
リキは鼻を鳴らして、また手もとに目を戻した。オサは何も言わずに近づいてくると、籠の巣を両手で持ち上げ、手のひらで重さを確かめるように揺すった。
「……これだけあれば、交易に出せるな」
「今まででかすぎて諦めてた巣も、こいつなら採れるっす。明日も行くっす」
ランが口をはさむと、オサは巣を籠に戻して、少し考えるように顎を引いた。
「……なら、もう少し貯めてからだな」
ヨリは、入口の外に立ったまま、その輪を外から見ていた。大きな生き物は、子どもたちにまとわりつかれながら、指についた蜂蜜をなめている。子どもたちが真似をして指を差し出すと、ハネが「ちょっとだけだよ」と笑った。
誰も、ヨリの方を見なかった。
* * *
日が暮れて、大きな生き物に飯を運ぶ時間になった。ヨリが器を抱えて立ち上がると、ランが寄ってきた。
「足、まだ痛いんすよね。あたしが届けるっす」
「私が行く」
「じゃあ、一緒に行くっす。あいつ、名前とかあるんすかね。聞いてみたいっす」
ヨリは器を抱えたまま、ランの顔を見た。名前があるかどうかなんて、考えたこともなかった。それを、今日一日一緒にいただけのランが、先に聞こうとしている。「あいつ」としか呼ばないくせに。
「……来ないで」
思ったより、きつい声が出た。ランは一瞬きょとんとしてから、「そっすか」と肩をすくめて、焚き火の方へ戻っていった。
ヨリは器を抱え直して、足を引きずりながら、暗い森の方へ歩きだした。
* * *
割れ目の奥でうとうとしていると、足音が近づいてきた。顔を上げると、月明かりの中に、神様が器を抱えて立っていた。
器を受け取ると、白ブタはすぐに食べはじめた。腹は減っていた。けれどそれ以上に、今日のことを誰かに話したくてたまらなかった。食べながら、片手で槍を突き出すまねをする。手を上から下へ落として、籠で受けとめるまね。それから、自分の胸を指さす。言葉は通じなくても、これなら伝わるはずだ。オレが採ったんだ。
神様は黙って見ていた。器が空になっても、白ブタはまだ身振りを続けていた。すると神様が、自分の胸に手を当てて言った。
「ヨリ」
白ブタはきょとんとした。何か言われたのは分かるが、何のことだか分からない。神様は胸に手を当てたまま、今度はゆっくり繰り返した。
「ヨリ」
胸に当てた手は動かない。じっとこちらを見ている。
名前だ。
神様にも名前があったのか。妙な気がしたが、白ブタはおそるおそる口を動かした。
「……ヨリ」
ヨリは小さくうなずいた。それから、胸に当てていた手を、こちらへ向けた。今度はお前の番だ、という顔だった。白ブタは自分の胸を指さした。
「……たかゆき」
ヨリは耳をぴくりと動かして、「タ……」と言いかけ、首をひねった。もう一度試して、またつっかえる。三度目に、ヨリは短く言い切った。
「タキ」
たかゆき、なんだけど。そう思ったが、ヨリが満足そうにうなずいているので、白ブタは黙っておいた。ヨリはもう一度「タキ」と言い、それから何かに気づいたように目を丸くして、また言った。
「タキ、タキ」
言いながら、肩が震えはじめた。
「シッ、シッシッシッ」
歯の隙間から息を吹くような音が、短く続いた。白ブタは、昼間のことを思い出した。蜂蜜をなめていたとき、手足のひょろ長い神様も、口を開けて、こんなふうに声を上げていた。
笑ってる。
ヨリは「タキ、タキ」と繰り返しては、肩を震わせている。自分で縮めておいて、自分で笑っているのだ。神様の言葉では、何かおもしろい響きなのかもしれない。うんことか、おならとか。
一度そう思ってしまうと、もう駄目だった。タキ、タキ。うんこ、うんこ。ヨリに、うんこ、うんこと言われている気がしてくる。白ブタの腹の底から、何かがこみ上げてきた。
「……ぶふっ」
こらえきれずに噴き出すと、ヨリがこちらを見て、ますます肩を震わせた。それを見て、白ブタもまた笑った。
「シッシッシッシッシッ!」
「ぶははははは!」
二人とも、何がおかしいのか分からないまま、笑い続けた。白ブタは腹を抱えて地面に転がり、ヨリは割れ目の岩に手をついて、目の端を拭っている。
と、ヨリが急に岩棚の方を振り返った。次の瞬間、小さな手が、転がっている白ブタの口にぴたりと押し当てられた。もう片方の手で、ヨリは自分の口もふさいでいる。目だけが、まだ笑っていた。
白ブタは口をふさがれたまま、鼻から息を漏らした。二人で肩を震わせながら、声を殺して笑い続けた。
腹がよじれるほど笑ったのは、思い出せないくらい久しぶりだった。
ひとしきり笑ったあと、ヨリが器を拾って立ち上がった。足を引きずっている。白ブタは慌てて起き上がり、ヨリの前に回りこんで、背中を向けてしゃがみこんだ。
背中を軽く押された。振り返ると、ヨリは首を横に振っていた。
いいのか? 足、痛いんだろ。
白ブタがしゃがんだまま見上げていると、ヨリは白ブタの顔をのぞきこんで、小さく言った。
「タキ」
さっきまでとは違う、静かな声だった。白ブタは、口の中でその名前を転がしてから、答えた。
「……ヨリ」
ヨリの耳が、ぴくりと動いた。よれた右耳まで、少しだけ持ち上がったように見えた。二人とも、しばらく何も言わなかった。焚き火の明かりは届かない。月明かりの下で、ヨリはじっとこちらを見ていた。
やがて、ヨリが手を伸ばしてきた。小さな手が、白ブタの頭にのる。ゆっくりと、一度、二度。頭のてっぺんから後ろへ撫でていく。
手が離れると、ヨリは器を抱え直して、岩棚の方へ歩きだした。痛む足をかばいながら、一度だけ振り返る。白ブタは、しゃがんだまま、その小さな背中を見送った。
* * *
岩棚へ戻ると、焚き火はもう小さくなっていた。サトは奥で丸くなって寝息を立てている。ランだけが焚き火のそばに寝転がって、腹をかいていた。
ヨリに気づくと、ランはあくびをしながら、顔だけこちらへ向けた。
「で、名前あったっすか?」
ヨリは器を置いた。
「……ない」
「そっすか」
ランはそれきり寝返りを打って、背中を向けた。ヨリは入口寄りのいつもの場所で丸くなり、鼻先を尻尾にうずめた。
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