7 どうか、私を信じてください
大猪を討伐した報酬は、銀貨十枚だった。
さらに宿の女主人は、今夜の部屋代と食事代を受け取ろうとしなかった。
「礼だよ。それに、その魔法が使えるなら仕事には困らないだろうさ」
「仕事、ですか?」
「ああ。魔物の討伐でも、荷運びでもできる。よかったら、しばらくここに泊まりながら働いてみたらどうだい?」
エレノアは、すぐには答えられなかった。
昨日まで、自分には生きる方法などないと思っていた。
貴族として育てられた自分には、金を稼ぐことも、一人で暮らすこともできない。
そう決めつけていた。
けれど、その手には今、自分で稼いだ銀貨が握られている。
「……考えておきます」
「そうするといいよ」
女主人は笑顔で頷いた。
部屋へ戻る途中、ライトがエレノアの顔をのぞき込んでくる。
「就職先まで決まりそうじゃん」
「まだ決めていません」
「住み込み、食事付き。好条件だぞ」
「なぜあなたが得意げなのです?」
「僕のおかげでもあるから」
「大猪を倒したのは、わたくしの魔法です」
「最後に剣を振ったのは僕だろ」
ライトが手にした剣を振る動きを真似る。
その姿を見た瞬間、エレノアの内側で何かがわずかに揺れた。
魔力を使ったときに似た、かすかな感覚。
しかし、それが何を意味するのかまでは分からない。
「どうした?」
「……いいえ。何でもありませんわ」
気のせいだろう。
エレノアはそう考え、部屋の扉を開いた。
室内は昨夜と変わらず、狭い部屋にベッドが一つあるだけだった。
エレノアが扉を閉めると、ライトは自分の身体を見下ろした。
「今日は縄、借りなくていいの?」
「必要ありませんわ」
「昨日はあんなに楽しそうに、ぐるぐる巻きにしてくれたのに」
「楽しんでいません。それに、縄で縛っても朝には位置が入れ替わっていたではありませんか」
結び目を解いた形跡もないまま、エレノアはベッドへ、ライトは床へ移動していた。
原因が分からない以上、もう一度縛ったところで意味があるとは思えなかった。
それに。
「あなたが、わたくしに危害を加える方ではないことは分かりましたので」
ライトが目を丸くする。
やがて、にやりと笑った。
「僕を信じてくれるの?」
「ほんの少しだけです」
「素直じゃないなあ」
「今からでも縄を借りてきましょうか?」
「全面的な信頼を感じるよ。ありがとう」
ライトは急いで床へ横になった。
エレノアは予備の毛布を二枚取り出し、そのうち一枚をライトへ放り投げる。
「今夜はわたくしがベッドを使います。ライトさんはそちらで眠ってください」
「結局、僕が床なんだ」
「毛布が一枚増えただけでも感謝してください」
「待遇がちょっとだけ改善された」
文句を言いながらも、ライトは毛布へくるまった。
昨夜のように「硬い」「冷たい」と騒ぐ様子はない。
エレノアはベッドへ入り、明かりを消した。
部屋の中が暗闇に包まれる。
しばらくすると、床からライトの声が聞こえてきた。
「エクレア」
「なんですの?」
「森から戻る途中に話してくれたことなんだけどさ」
エレノアは、ライトへ国外追放された理由を話していた。
義妹の毒殺を企てたと疑われたこと。
何度無実を訴えても、誰にも信じてもらえなかったこと。
裁決までの十日間、地下牢に閉じ込められていたこと。
そして父親にまで、家族の縁を切られたことを。
すべてを話し終えても、床からすぐに返事はなかった。
いつもなら頼んでもいない冗談を挟んでくるライトが、不自然なほど黙っている。
「そんなことが……」
暗闇の中で、エレノアは目を開いた。
しばらくして、ライトが小さく言った。
「ごめん」
「何がですの?」
「何も知らないくせに、『生きられるくせに』なんて、勝手なこと言って」
「ええ。本当に無神経で、失礼で、最低でしたわ」
「謝ってる人間にそこまで言う?」
「事実を確認しただけです」
暗闇の中で、ライトが苦笑した気配がした。
「でも、飛び降りるのを止めたことは謝らない」
「そこまで謝られては、わたくしも困ります」
「それから、僕は信じるよ」
エレノアは瞬きをした。
「……何をです?」
「エクレアのこと」
「証拠もありませんのに?」
「お前がやってないって言ってる。それじゃ駄目なの?」
エレノアは答えられなかった。
胸の奥が、わずかに温かくなる。
信じてほしいと何度願っても、誰も信じてくれなかった。
それなのに、出会ってまだ二日目の得体の知れない少年は、何のためらいもなく信じると言った。
「……ありがとうございます」
「何か言った?」
「おやすみなさいと言ったのです」
「はいはい。おやすみ、エクレア」
「わたくしの名前はエレノアです」
それきり、部屋は静かになった。
床から寝息は聞こえてこない。
呼吸をしていないのだから、当然だった。
それでも、すぐ近くにライトがいることを確かに感じられた。
昨夜は縄で縛らなければ眠れないほど警戒していたはずなのに、今夜は不思議と怖くない。
エレノアは目を閉じた。
やがて意識は、静かに眠りへ沈んでいった。
◇
三日目の朝。
エレノアは宿の前で、森へ続く道を見つめていた。
手には、大猪を討伐して得た銀貨が入っている。
昨夜まで着ていたドレスは、汚れを落とすため女主人に預けてある。
今は、代わりに借りた服に着替えていた。
貴族には見えない簡素な服装。
それでも、不思議と昨日ほど惨めには感じなかった。
「行くの?」
隣に立つライトが尋ねる。
「はい」
「……」
「三日だけ生きてみないかとおっしゃったのは、ライトさんでしょう」
「そうだけどさ」
「でしたら、約束どおり答えを出します」
エレノアは歩き始めた。
ライトも、何も言わずについてくる。
目指すのは、二人が初めて出会った崖だった。
ありがとうございました。




