↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にたい令嬢と、姿なき居候 ~国外追放された令嬢は、自分にしか見えない変な少年とうるさく生きる~   作者: 星乃 緋咲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/8

8 明日も、隣にいてください


 崖の上には、あの日と同じ冷たい風が吹いていた。


 眼下に広がる谷も、底の見えない暗闇も変わっていない。


 変わったのは、エレノアの手に銀貨の入った袋があること。


 そして、隣にうるさい少年が立っていることだけだった。


 エレノアは、あの日と同じ場所まで歩いた。


 崖の縁から一歩手前で立ち止まる。


 「エクレア」


 ライトが背後から呼びかけた。


 いつものふざけた調子ではなかった。


 「約束の三日目だね」


 「ええ」


 「どう?」


 エレノアは眼下の谷を見つめた。


 ここから一歩踏み出せば、すべてが終わる。


 自分を捨てた父親も。


 罪を押しつけた義妹も。


 何一つ信じてくれなかった王太子も。


 許せたわけではない。


 苦しみが消えたわけでもない。


 今でも思い出せば、胸の奥が潰れそうになる。


 それでも――。


 エレノアはゆっくりと崖へ背を向けた。


 「やっぱり、死ぬのはやめますわ」


 ライトは何度か瞬きを繰り返した。


 「そっか」


 「何か問題でも?」


 「いや、もっと悩んだ末に出した答えみたいに言うかと思ってた」


 「十分に悩みました」


 「三日間の大半、僕に怒ってなかった?」


 「誰のせいですの?」


 ライトが笑う。


 その笑顔を見て、エレノアもわずかに口元を緩めた。


 「生きたいと思えたわけではありません」


 エレノアは正直に告げた。


 「今でも、すべてを投げ出してしまいたい気持ちは残っています」


 ライトは黙って聞いている。


 「ですが、昨日、わたくしに感謝してくださった方がいました」


 自分にも、まだできることがあるのかもしれない。


 もう少しだけ生きれば、今まで知らなかった何かを見つけられるかもしれない。


 「それに、あなたの正体も分かっていませんし」


 「僕?」


 「呼吸も脈もない。わたくしから離れられず、ほかの方には姿さえ見えない。そんな得体の知れない方を放置して死ぬわけにはまいりませんわ」


 「責任感で生きることにしたの?」


 「不満ですか?」


 「いや。理由なんて、何でもいいよ」


 ライトは安心したように息を吐く仕草をした。


 しかし、その胸は動いていない。


 「これで僕も巻き添えにならずに済むな」


 その言葉を聞いたときだった。


 エレノアの脳裏に、見覚えのない光景が浮かんだ。


 真っ白な天井。


 鼻を刺す、薬品の匂い。


 細い腕に刺さった針から伸びる、透明な管。


 窓の外では、冷たい雨が降っている。


 枕元から聞こえる、一定間隔の短い音。


 その音が次第に遠ざかり――最後には、途切れることなく長く鳴り続けた。


 エレノアは知らない。


 その場所へ行ったこともない。


 それなのに、なぜか分かった。


 「それでも、あなたを二度も死なせるわけにはまいりませんもの」


 口から自然に言葉がこぼれた。


 ライトの笑顔が消える。


 「……二度?」


 エレノア自身も、自分が何を言ったのか分からなかった。


 けれど、頭に浮かんだ光景は消えない。


 「ライトさん。あなたは一度、病院で亡くなっているのでしょう?」


 「僕、話したっけ?」


 「いいえ」


 「じゃあ、なんで知ってるんだよ」


 「分かりませんわ」


 二人の間に沈黙が落ちる。


 冷たい風が、崖の上を通り抜けていった。


 「……怖」


 「奇遇ですわね。わたくしもです」


 「やっぱり今から飛ぶ?」


 「人がようやく生きると決めた直後に、何を言っていますの!」


 「冗談だよ!」


 ライトが慌てて崖から離れる。


 その姿を見て、エレノアは呆れながらも笑ってしまった。


 「帰りますわよ、ライトさん」


 「どこに?」


 「宿です。女主人に、しばらくここで働かせていただきたいとお願いします」


 「お、前向き」


 「それから、いただいた報酬でエクレアを買います」


 「共食い?」


 「誰がエクレアですか!」


 エレノアは森へ続く道を歩き始める。


 ライトもその隣へ並んだ。


 「はいはい。帰ろうぜ、エクレアお嬢様」


 「わたくしの名前はエクレアではありません!」


 死にたい気持ちが、完全に消えたわけではない。


 明日になれば、また苦しくなるかもしれない。


 それでも、今はもう少しだけ、この奇妙な少年とうるさく生きてみようと思えた。


 明日も、その隣に彼がいてほしい。


 いつの間にか、そう願うようになっていた。


 静かに死ぬことは、もうできそうになかった。


 けれど今度は、それを少しも残念だとは思わなかった。


 ◇


 エレノアが崖をあとにした頃。


 彼女を国境まで送り届けた馬車は、王都へ向かう街道を走っていた。


 御者台には、護送を担当した二人の騎士が並んで座っている。


 二人は裁決までの間、地下牢の見張りも交代で務めていた。


 「いやぁ、それにしても、もったいなかったよな」


 一人が手綱を握りながら、残念そうに息を吐いた。


 「あれだけ顔のいい令嬢を国外追放だぜ? 俺なら喜んで嫁にもらったのに」


 「よせよせ。牢での姿を見ただろ」


 隣の騎士が、呆れたように笑う。


 「あれはもう、完全に頭がいっちまってる。今頃、どこかで野垂れ死んでるんじゃないか?」


 「そうだな。最後の何日かは、特に不気味だったな」


 地下牢で見たエレノアの姿を思い出し、騎士は肩を震わせた。


 「牢の隅に誰かいるみたいに、一晩中しゃべってたもんな」


 「『わたくしの名前はエクレアではありません』って、何度も一人でつぶやいてた」


 「エクレアって、あの令嬢の好物だった菓子だろ? 自分で自分を菓子の名前で呼ぶなんて、わけが分からねえ」


 二人の笑い声が御者台に響く。


 「そのうち、藁とドレスの切れ端で人形まで作ってたよな」


 「ああ。黒い髪を描いて、妙な服を着せた人形か」


 「お得意の念動力であれを動かして、まるで本当に二人いるみたいに話してやがった」


 「魔法だけなら一級品だったらしいが、まともに制御できないんじゃ宝の持ち腐れだ」


 「裁決の前の晩なんて、『わたくしはやっていません』『信じてください』って、何度も繰り返してたぞ」


 「誰にも信じてもらえなかったからな」


 「可哀想になあ」


 口ではそう言いながら、騎士はおかしそうに笑っている。


 すると隣の男が、何かを思い出したように手を叩いた。


 「いや、一人だけいたじゃないか」


 「何が?」


 「信じてくれる奴だよ」


 騎士は意地の悪い笑みを浮かべた。


 「あの人形だけは、最後まで令嬢を信じてたじゃないか」


 「ああ、そりゃそうだ!」


 二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。


 「そういや、あの人形はどうした?」


 「出発前に燃やされたよ。気味悪がった牢番にな。もう灰になってるさ」


 「ふーん。なんか名前までつけてたよな。なんだったっけ? ほら、あの変な名前だよ」


 騎士は少し考えてから、思い出したように答えた。


 「たしか――イナバ・ライト」


the end ?


評価☆をしていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。