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死にたい令嬢と、姿なき居候 ~国外追放された令嬢は、自分にしか見えない変な少年とうるさく生きる~   作者: 星乃 緋咲


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5 見捨てることは、できません


 一階の酒場には、すでに何人もの客が集まっていた。


 朝食を取る者や、仕事へ向かう前に酒を飲んでいる者までいる。


 エレノアが縄を返すと、女主人はそれを受け取りながら不思議そうな顔をした。


 「ずいぶん綺麗なままだね。結局、何に使ったんだい?」


 「少々、人を拘束するために」


 「人を?」


 「お気になさらないでください」


 「気になるねえ……」


 女主人の視線がエレノアの背後を探る。


 しかし当然、そこに立つライトの姿は見えていない。


 エレノアは何事もなかったように、空いている席へ腰を下ろした。


 ライトも向かいの椅子へ座る。


 「朝食、何かな」


 「あなたの分はありませんわよ」


 「え?」


 「そもそも、あなたは食事を召し上がれるのですか?」


 ライトが答えようとしたところで、女主人が黒パンと温かなスープを運んできた。


 エレノアは代金を支払い、さっそくスープへ口をつける。


 牢へ入れられて以来、温かな食事を口にしたのは初めてだった。


 身体の奥へ熱が染み込んでいく。


 黒パンへ手を伸ばしたところで、入口の扉が勢いよく開いた。


 外から入ってきたのは、泥の付いた作業着を着た老人だった。


 酒場を見回し、集まっている男たちへ声をかける。


 「誰か、北の森にいる大猪を狩ってくれんか」


 客たちは老人を一度見たものの、すぐに食事や会話へ戻ってしまった。


 老人は諦めず、一人一人に呼びかけていく。


 「頼む。昨日も畑を荒らされた。このままじゃ、残っている作物まで全部食われちまう」


 「またその話か」


 酒を飲んでいた男が、面倒そうに手を振った。


 「だったら自分で罠でも仕掛けろよ」


 「普通の猪じゃないんだ。罠を壊して逃げやがる」


 「だからって、その報酬じゃ割に合わねえよ。あんな森の奥まで行ってられるか」


 周囲の男たちも同意するように笑った。


 老人が差し出した革袋には、それほど多くの金が入っていないらしい。


 エレノアは自分の持っている袋へ目を落とした。


 護送の騎士から渡された銀貨は、昨夜の宿代と今朝の食事代でかなり減っている。


 今日も泊まるのなら、何かしらの方法で金を稼がなければならない。


 「ちょうどいいんじゃない?」


 向かいに座るライトが言った。


 「何がです?」


 「仕事を探してたんだろ?」


 「探していたわけではありません」


 「じゃあ、今夜は野宿?」


 「それは……」


 エレノアは言葉を詰まらせた。


 この辺りには魔物もいる。


 さすがに、森の中で眠るのは避けたかった。


 それに。


 助けを求めている老人を、誰も相手にしようとしない光景が、なぜか胸に引っかかった。


 エレノアは椅子から立ち上がった。


 「その依頼、わたくしが引き受けますわ」


 酒場にいた者たちの視線が、一斉にエレノアへ集まった。


 老人も驚いたように目を見開く。


 「いや、お嬢さんには危ない。あれは大の男でも簡単に跳ね飛ばすほど大きいんだ」


 「問題ありませんわ」


 「だが、その格好でどうやって……」


 エレノアは酒場を見回した。


 壁際には、古びた剣が一本立てかけられている。


 幅の広い刃を持つ、狩猟用の剣だった。


 「女将さん。あちらの剣をお借りしても?」


 「あれを?」


 女主人は壁際の剣へ目を向けた。


 「あんたの細い腕じゃ、持ち上げるだけでも一苦労だよ」


 「ご心配なく」


 エレノアは剣へ意識を集中させた。


 壁に立てかけられていた剣が、小さく震える。


 鞘の先が床を擦り、硬い音が響いた。


 やがて剣は、誰の手も借りずにゆっくりと宙へ浮かび上がった。


 酒場から音が消えた。


 客たちは食事の手を止め、空中に浮かぶ剣を凝視している。


 老人も口を開けたまま固まっていた。


 そして、誰より大きな反応を見せたのはライトだった。


 「うわっ!」


 椅子から飛び退き、浮かび上がった剣を指差す。


 「剣が浮いた! なにこれ!? どうなってんの!?」


 「朝から騒がないでください」


 「いやいや、騒ぐだろ! なんで浮いてんの!?」


 ライトは剣の周囲を回り込み、上から下まで調べ始めた。


 エレノアが指先を動かす。


 それに従い、剣は空中でゆっくりと一回転した。


 ライトの口が開いたまま止まった。


 「魔法ですわ」


 「……魔法?」


 「ええ」


 「魔法があるの!?」


 「魔物がいるのですから、それほど驚くことではないでしょう」


 「確かに……」


 ライトは目を輝かせながら、浮かぶ剣を見上げた。


 「すごい! ほかには? 火とか出せる? 空も飛べる?」


 「わたくしが扱えるのは、念動力の魔法だけですわ」


 「念動力……」


 ライトはそこで何かに気づいたように、エレノアへ顔を向けた。


 「待って。じゃあ昨日、僕をベッドに投げたのも魔法?」


 「当然ですわ」


 「僕、てっきりすごい力持ちなのかと」


 「勝手に勘違いしただけでしょう」


 「先に言えよ! 魔法を使ったなら!」


 「尋ねられませんでしたので」


 「魔法を使われた側が質問しないと教えてもらえないの?」


 騒ぐライトを無視して、エレノアは剣を自分の隣へ移動させた。


 女主人が感心したように息を吐く。


 「驚いたね。そんな重いものまで動かせるのかい」


 「これで、大猪を狩る手段があると認めていただけますか?」


 「動かせるだけじゃ駄目だ。獣はじっとしていてくれないぞ」


 老人が心配そうに言う。


 「剣術の型は一通り学んでおります。手で持つか、魔法で操るかの違いだけですわ」


 エレノアが指を横へ払う。


 剣は鋭く空を切ったあと、狙いどおり元の位置で静止した。


 それを見た老人は、しばらく迷った末に頭を下げた。


 「……分かった。森まで案内する。だが、危ないと思ったらすぐに逃げてくれ」


 「承知しました」


 「僕はまだ承知してないんだけど」


 ライトが横から口を挟む。


 エレノアは彼へ顔を向けた。


 「あなたに拒否権があるとお思いですか?」


 「ないの?」


 「わたくしから八歩以上離れられるのでしたら、どうぞお好きになさってください」


 「強制参加じゃん」


 ライトは肩を落とした。


 それでも、魔法への興味は抑えられないらしい。


 宙に浮かぶ剣をさまざまな角度から眺めている。


 老人が支度を整える間に、エレノアは冷めかけた朝食を急いで平らげた。


 エレノアは女主人から剣を借り、老人とともに宿を出た。


ありがとうございました。

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