↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/28

第十四話 月賦販売開始

 さほど、商売の芽も出ないままに、三郎は門司までやってきてしまった。


「ここまで来たら、宮本さんのところに顔を出していくか」


 三郎は幸四郎を安宿に残して、ひとりで宮本呉服店を訪ねた。

 しかし宮本只八は留守だった。仕入れのために小倉まで出ているという。三郎とはすれ違いになってしまったらしい。


 そこで店先に出てきたのは、宮本梅与だった。


「あら、越智さん。お久しぶりですこと」


 梅与は相変わらずの愛嬌だった。嫌味のない笑顔で三郎を迎えると、


「わたくしの部屋までいらしてくださいな。お茶とお菓子を出しますから」


「また、冗談ばっかり」


 三郎は大声を出して笑った。

 商家の娘の部屋に入るなど、できるはずもない。

 梅与に手を出したと噂を立てられたら、行商人として致命傷だ。


 ――桜井の漆器売りは、売り先の娘につばをつけて回るそうな。


 そんな評判が立てば、どの商家の門もたたけなくなる。


「おやまあ、そんなに嫌がることはないでしょう」


「嫌ではないが、商人には商人の分別がある。店先で宮本さんを待たせてもらうよ」


 三郎は頑として店先に座り、帰りを待った。

 梅与はしかたなく茶を運んできて、三郎の隣に座った。


「博多に行ったんですってね。噂で聞いたわ」


「さすが、耳が早いな」


「商人の世界は狭いのよ。伊予の若い椀屋が博多に乗り込んだ、って。ああ、越智さんだってすぐに分かったわ」


「乗り込んだというほど大げさな話ではないが」


「で、どうなの。売れているの」


「……」


 三郎は黙った。売れていないとは言いたくなかった。


「売れていないのね」


 梅与は鋭かった。三郎の沈黙だけで、すべてを読み取った。


「品は良いのよ、きっと。でも、高いんでしょう。このあたりの人たちには」


「……ああ。そうだ」


 認めざるを得なかった。

 梅与は首を傾げて考えていたが、やがて何か言おうとした。そこへ、只八が戻ってきた。

 只八は三郎の顔を見ると、嬉しそうに笑った。


「越智さん。よく来なさった。ちょうどいい、飯でも食いに行こう」


 只八は三郎を連れ出して、門司港の海が見える小料理屋に入った。

 二階の座敷からは、関門海峡が一望できた。夕方近い海峡を、大型の汽船がゆっくりと通り過ぎていく。煙突から黒い煙を吐きながら、西へ向かう石炭船だ。その向こうに、下関の町並みが夕日に染まり始めていた。


 海峡の潮は、相変わらず速い。

 海面に白い筋ができて、流れの強さが目に見えた。


「海はいいですな」


 三郎はしみじみと言った。

 陸で売れない日が続くと、海を見るだけで気持ちが落ち着く。

 波の音と潮の匂いが、疲れた体を癒やしてくれた。


「越智さんは夢想家だ。海が好きか」


「好きです。どうも先祖が村上海賊だったらしく、きっすいの海好きで」


 三郎は笑った。


「船も大好きでしてね。もっと立派な船がほしい。いまの大龍丸は二十石積みの小舟ですが、いつかは百石、二百石の船を持ちたい」


「ほう。そういうものか」


 只八は、船や海にさほどの夢を感じない性質らしい。盃を掲げて、


「私はもっぱら、こればかり」


 海より酒が好き、ということらしい。三郎は苦笑した。


「酒といえば」


 只八は刺身をつまみながら言った。


「八幡の製鉄所や筑豊の炭鉱で働く者は、三度の飯より酒が好きだそうだ」


「宮本さんと同じですか」


「ははは、そうです。酒ばかり飲んでいるそうですよ。月給が入った瞬間に酒を飲む。それでも足りないからツケで飲む。飲んで、飲んで、吐いて、また飲む」


「ははあ、すさまじいですな」


 三郎は酒が苦手であった。一合飲めば顔が真っ赤になって出来上がってしまう。いまも只八に付き合ってなめるように杯を運んでいるが、すでに耳まで赤い。


「いっそ我々で、八幡に乗り込んで酒屋でもやったほうが儲かりそうですね」


「違いない」


 冗談を飛ばし合って、只八は笑い、三郎も笑った。

 だが三郎の頭の片隅は、冗談を言いながらも冷えたまま、回転を続けていた。

 下戸なので酒屋はやりたくない。それは本音だ。だが問題は酒屋ではなく、只八が何気なく言った言葉の中にあった。


 ――月給が入った瞬間に酒を飲む。それでも足りないからツケで飲む。


 月給。ツケ。


 毎月、月給をもらう。

 毎月、ツケで酒を買う。

 毎月。毎月。毎月。


 三郎の頭の中で、歯車が噛み合う音がした。


(毎月、月給、ツケ。……そうか!)


 三郎は、箸を止めた。

 目が、見開かれた。

 只八が不審そうに三郎を見てくる。


「どうしました、越智さん。急に黙り込んで」


「いえ……いえ、なんでもありません」


 三郎は、努めて平静を装った。だが心臓が、早鐘のように鳴っている。

 頭の中で、ひとつの構想が、猛烈な速度で形を成しつつあった。


 月給取りは、毎月、金をもらう。

 毎月、金が入る人間ならば、毎月、少しずつ払えるではないか。

 四十五円を一度に払えなくとも、毎月数円ずつならば払えるはずだ。


(頼母子講と同じだ。だが講にこだわる必要はない。ひとりに毎月、漆器の代金を払ってもらえれば。そうだ。月ごとの賦払《ふばら》いならば)


 代金を一気に支払わず、何度かに分けて支払う方法を賦払いと呼ぶ。

 それを毎月にすれば、すなわち――

 月賦《げっぷ》だ。


(月賦で売ればいいのだ)


 三郎は、自分の着想に震えた。

 漆器を、あるいは陶磁器を、高値のまま売る。値下げはしない。

 だが支払い方法を変える。一括ではなく、毎月払い。月賦だ。


 月給取りは毎月金が入るのだから、毎月少しずつ払ってもらえばいい。

 頼母子講は講の全員が金を出し合う仕組みだから、全員の足並みが揃わなければ成り立たない。だが月賦ならば、客ひとりひとりが、毎月、自分の月給から支払うだけだ。講を組む必要もない。


 その分、そのお客ひとりを信用しなければならないが――

 その信用も、商都博多の会社や、官営の八幡製鉄所や、軍隊で働いている人間が相手ならば、申し分ない。


(これだ)


 三郎は箸を握りしめた。


 只八は三郎の様子がおかしいことに気づいたらしく、


「越智さん?」


「宮本さん。……いまの話、大変ためになりました」


「どの話ですか」


「月給と、ツケの話です」


「はあ?」


 只八には、何がためになったのか分からないようだった。三郎は笑って、


「いずれ分かります。次にお会いするとき、おれはもっと大きな商人になっているはずです」


「また大きなことを」


 只八は呆れながらも笑った。この若者の大言壮語は、もう慣れたものだった。


 小料理屋を出ると、関門海峡はすっかり夕闇に沈んでいた。下関の灯と門司の灯が、海面に長い光の筋を落としている。汽船の汽笛が、低く鳴った。三郎は駅へと急ぎ、汽車へと飛び乗った。


 ややあって、三郎は博多の大龍丸に駆け戻った。もう夜であった。

 頭の中で、着想がどんどん膨らんでいく。月賦。月賦。月賦で売る。


 大龍丸に飛び込むと、幸四郎が布団の上で帳面をつけていた。

 三郎は布団に膝をつくと、弟の顔を見据えて言った。


「思いついたぞ。名案だ」


 幸四郎は、兄の赤い顔を見て、


「兄やん、酔っているのか」


「酔ってなどいない。いや、少し酔っているが、頭はこれ以上なく冴えている」


 三郎の目は、酒のせいだけではなく、興奮のために輝いていた。


「聞け、幸四郎。おれは月賦を思いついた」


「月賦? なんだそれは」


「月ごとの賦払いだ。漆器を高い値で売る。しかし代金は毎月少しずつ払ってもらう。月給取りは毎月金が入るのだから、毎月払えるだろう」


 幸四郎は、目を瞬かせた。


「頼母子講とは違うのか」


「違う。講を組む必要がない。客ひとりひとりと、おれが直接、契約する。客は毎月、決まった額を払う。おれは毎月、受け取りにいく。それだけだ」


「……なるほど」


 幸四郎は帳面を閉じて、腕を組んだ。


「頼母子講でものを売るのは、講が成立しないと売れない。だが個人が相手ならば、その個人さえ納得すればすぐに売れる」


「そうだ。早いわけだ」


「しかし、簡単ではないぜ。月賦で売っても、二回目、三回目の支払いを踏み倒されたらどうする」


 頼母子講ならば、講という集団で代金を支払う計画になっているので、踏み倒しという点では安心できた。誰かが踏み倒せば、講の他の誰かが保証人のように支払ってくれる(村の中の信用をおおいに失うので、講の踏み倒しはそうそう起きなかったが)。


 だが個人の月賦払いならば、その個人が逃げてしまえばそれまでなのだ。


「博多の会社の社員や、八幡製鉄所の所員ならば、踏み倒しなどそうそう起こるまい。それに」


「それに?}


「販売の一回目で元を取ればいいのだ」


 三郎は答えた。


「月賦で売るといっても、最初は漆器の中で仕入れ値が安いものを売ってみよう。それなら販売の一回目で元が取れるだろう。やがてコツをつかんだら、もっと高価な漆器や漆器一式を売り始めればいい」


「したたかだなあ、兄やん」


「どうだ、幸四郎。やるぞ。我ら四人でやるぞ」


 幸四郎は、兄の顔をじっと見つめた。

 酒で赤くなった顔の奥で、三郎の目は本気だった。


「……分かった。やろう、兄やん」


 幸四郎はうなずいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。