第四話「魔術学会」
それは今ではない、いつかの光景。
エルナの前で、レイソルは静かに跪いていた。
そして真剣な表情で見上げると、彼は自らの剣を差し出した。
「この剣を、君に捧げるよ」
それは騎士の誓い。
だが男性から女性へ行う場合は、また別の意味がある。
「レイソル…」
そして彼女は…。
それはここではないどこかで、確かにあったはずの光景。
「フッ! フッ!」
ウォーリアー男爵家のこぢんまりとした館にも、一応貴族の家らしく庭がある。その庭でエルナは鉄の棒を振って自己鍛錬をしていた。
一応、鍛錬用に木剣はあるのだが、やはり騎士の剣に比べて軽過ぎる為、エルナはいつもこの鉄の棒を使っていた。
まあこれでも十分に人が殺せるのではないかという意見もあるだろうが、さすがに鉄の棒まで規制されてはいない。
「ふぅ…」
彼女が手を止めると、控えていた使用人が、すかさずタオルを差し出した。
これでも男爵令嬢という立場にある彼女だが、今使用人が付いているのはただお世話をする為ではなく、余計な事をしないようにという監視の意味もあった。
昨日の夜。エドウィンから事情を聞いた父から、エルナはお説教を受けた。
もっともワイズマンへの怒りに関しては、父からも完全なる同意を得たが。お説教の内容はむしろ、自分の意志を通したいならもっとうまくやれ、といった感じのものだった。
それからの彼女は、ここからどのように立ち回れば良いのかを考え、悶々とした時間を過ごしていた。
一応、褒美という建前の休暇なので、外出は制限されていないし王城からの監視もないが、父に付けられた使用人はどこまでも付いて来るだろう。
結局、何も思いつかないまま鍛錬を切り上げると、エルナは自室へ戻る事にした。
エルナの部屋は館の二階にある。
内装は意外なほど可愛らしかったが、別に彼女の趣味という訳ではなく、無頓着な彼女が子供の頃に与えられた物をそのまま使っているだけだった。
中央の丸テーブルに着くと、何も言わなくても使用人が紅茶を用意してくれる。そしてドア付近で待機。部屋の中にいても、監視の目が外れる事はないようだ。
「…ふぅ」
紅茶を口に運んで気持ちを落ち着けてみても、特に何も思い浮かぶものはなかった。
元々細かい事を気にしない質だけあって、エルナはこういった事を考えるのが苦手である。前回のワイズマン討伐も、作戦は全てレイソルとステラが考えていた。
だがレイソルはいなくなり、ステラとはあの日分かれたままだった。
(そう言えば…)
エルナは壁際の棚に目をやった。
そこには使用人によって丁寧に飾られたペンダントがある。ペンダントと言っても装飾の為の物ではなく、あの日ステラに渡された魔術の目印用の物だ。
あの後は全くそれどころではなかったので返しそびれていたが、これを返しに行くという名目でステラに協力を求められないだろうか。
「…」
ステラの所属する魔術学会は、議会や教会と並べられる事もある立派な派閥である。所属しているのは魔術師だけなので規模としては比べられるものではないが、リッチマン侯爵も言っていた通り、魔術師というものがそれだけの価値を持っているのである。
魔術師は魔力量など才能による個々人の差が激しい。高位の魔術師であっても、他者の魔術を真似出来るとは限らない。誰も真似が出来ずに一代で消える魔術も少なくない。だがそれ故に、時には人類の技術力を遥かに超えた成果を出す事もあるのだ。
実際、今回の魂の移し替えなどは、向こう百年経っても魔術以外では実現不可能だろう。
「ふむ…」
エルナは立ち上がって壁際まで行くと、棚からペンダントを手に取った。
ワイズマンはステラにとっても、このまま放って置く事の出来ない相手であるはずだ。
(しかし…)
エルナは昨日の出来事を思い返す。学会が議会の決定に従うのならば、協力を頼む事でステラに迷惑がかかるかもしれない。
そんな事を考えているとカツンと音がして、見れば床の上を何やら丸い玉が転がっていた。
一瞬ペンダントから何かが外れたのかとも思ったが、それは飴玉くらいの大きさがあり、どう見てもペンダントに付いていたような物ではない。
「何だ?」
不思議に思ったエルナが、屈んで手を伸ばそうとすると、目の前で玉が消えた。
…ように見えたが。
「お嬢様!?」
監視役の使用人が慌てた声を上げる。実際に消えたのは、エルナの方であった。
「魔術学会へようこそ、エルナさん」
そんな声に顔を上げると、そこには今思い浮かべていた相手である、ステラが立っていた。
「ステラ?」
状況が理解出来ないエルナに、ステラはソファを勧めると、自身も向かい側へ腰を下ろした。
「目印のペンダントに触れた人がいたんで、取り敢えず引き寄せましたが、エルナさんでよかったっす」
何も分からず聞きたい事は色々とあったが、しかし取り敢えずツッコミを入れずにはいられなかった。
「…もし私じゃなかったら、どうする気だったんだ?」
エルナ自身も最初にする質問ではないなと思ってはいたが、気が付けば口をついて出ていた。
「その場合は、送り返す為の目印を先に飛ばしてありますから」
なるほど。あの玉は、その為の物だったか。
疑問が一つ解消して、エルナにもようやく周りを見る余裕が生まれた。
「…それにしても、随分と物々しいところだな」
そう言いながら、勧められたソファへと座る。
魔術学会の本部が王都にある事は知っていたが、エルナはまだ来た事がなかった。
部屋には応接セットに執務机、そして難しそうな本が詰まった本棚。何やら偉い人の書斎のようだったが、何よりここは石造りの頑丈そうな部屋で、どことなく国境の砦を思わせた。
「ここには禁書庫もありますから、このくらいでないと」
「禁書庫?」
聞き慣れない言葉に聞き返すと、ステラは屈託のない笑顔で答えた。
「ええまぁ、生命・魔力・魂といったものの研究資料を収めた書庫っす。研究した本人は処罰されましたけど、紙の束に罪はないっすから」
禁忌を犯すのは駄目だけど、それはそれとして成果は頂こうという事か。
エルナとしては思うところもあったが、犠牲の上に得られたものを無駄にしろとは言えない。
「…それで? こうして私を呼び出した理由は何だ?」
ようやく状況が見えてきたところで、彼女は最もしなければならない質問をした。
するとステラは少し居ずまいを正し、神妙な表情になって言った。
「エルナさん、改めて爺さん…ワイズマンの討伐に力を貸して貰えませんか?」
その申し出は、ある程度予想の出来るものだった。二人の間で共通する案件など、ワイズマンの事しかない。そしてステラが協力してくれると言うなら、むしろエルナとしても望むところではあった。
が、しかし…。
「…議会の決定は学会にも届いていると思うが、勝手にそんな事をして大丈夫なのか?」
組織というものは、上の決定に従わなくては成り立たない。だからこそエルナも、こうして頭を悩ませていたのだから。そうでなければ、とっくに家を抜け出している。
一会員であるはずのステラが勝手な行動をすれば、学会から何らかの処罰を受ける可能性もあるだろう。
「ああ、その辺は心配いりません。前にも言いましたけど、魔術師は基本研究馬鹿しかいないんで。爺さんが居なくなった後は、その後始末もろもろ面倒事は全部あたしに回って来たんすよ。だから今は、あたしが魔術学会の会長です」
魔術学会現会長ステラは、ちょっと胸を張ってそう答えた。
その様子は至極誇らしげではあったが、エルナはむしろ頭を抱えたくなった。
「…議会や教会と並べて語られているから、もっとちゃんとした組織かと思っていたんだが」
議会や教会とは、あまりに違う。魔術師というものは本当に、常人の理解を超えた存在であるらしい。これからはウォーデン侯爵の危惧を、心配のし過ぎと笑えない。
「まあ元々、自由に研究出来る環境を確保する為に寄り集まっただけで、基本は個人主義の集まりっすから」
当のステラはあっけらかんとしたものだが、それでよく魔術学会など運営出来るものだと、エルナは思わずにいられなかった。
「んんっ、話を戻そう。…そう言うからには、ワイズマンの居場所に見当がついているのか?」
エルナは気を取り直すと、期待を込めてそう尋ねた。
ワイズマンの孫であり、同じ魔術師でもあるステラなら、何か分かるのではないかと。
「そうっすね。せっかく手に入れた体で凶行に及んだ以上、爺さんはレイソルさんの体を乗り捨てるつもりだと思います。もう一度、魂を移し替える魔術を使おうとするのは間違いないかと」
「!」
その言葉を聞いて、エルナの怒りは更に募った。
殺して奪っておきながら、それを使い捨てにすると言うのか。
「実際、レイソルさんの魔力は爺さんよりは多かったけど、それでも敢えて狙うほど多くはないっす。魔力の多い人なら他にいますから」
あの時は、あくまで状況を打開する為に、緊急回避的に行っただけだろう、と。
「だから…このまま放って置けば、近い内に死因不明のレイソルさんの死体が見つかる事になると思います」
前回は、あくまでエルナたちの目の前で行われたから分かったのであって、どこか知らない場所で行われたら、ワイズマンが誰の体を奪ったかなど分からなくなってしまうだろう。
「大変じゃないか!」
思わず腰を浮かせかけたエルナだったが、ステラはそれを手で制した。
「まあ待って下さい。急ぐ理由はありますけど、焦る必要はないっすよ。爺さんの研究資料は見つかってませんけど、それでも同じ魔術師として見れば分かる事もあります」
ステラは少し目を細めると、自らの思考に没頭する魔術師の顔になった。
「前にも少し言いましたけど、爺さんの魂を移し替える魔術は欠陥品なんす。…何故なら魂を扱う繊細な術でありながら、途中で術者がいなくなってしまいますから」
「ん? …いなく?」
話について行けなくて、エルナは首を捻った。
魔力は肉体に宿っている。移し替えの途中で魂がその肉体から切り離されるのだから、たとえ魂だけの状態で意識があったとしても魔術は使えない。
従って、あらかじめ術を完成させておく必要があり、その為にはあらゆる可能性を想定した膨大な術式が必要になる。当然、必要な準備の量も魔力の量も膨大なものになる。今なら間に合うはずだ。
「正直なところ、まともな人間ならやらない方法っすね。協力者がいない以上、仕方ないっすけど。爺さんも残りの人生と天秤にかけた時、年を取った事で天秤が傾いてしまったんだと思います」
残り少ない命、やるなら今という訳か。
いずれにしても、エルナの側に否はない。元よりステラの協力を得られないかと思っていたところだ。
「話は分かった。こちらこそ、宜しく頼む。私の力なら幾らでも貸すから、その知恵を貸してくれ」
そう言ってエルナは、真剣な表情でその右手を差し出した。
「…交渉成立っすね」
それをステラは、どこか祖父と似た笑顔で握り返すのだった。
「王様が大々的に英雄ご乱心と喧伝した以上、それを討伐した人間を罰する事は出来ないはず。そうすると、まずは何よりもエルナさんの剣を用意しないとっすよね。…いっそ教会を巻き込みましょうか。教会にとっても信用回復の為に放置は出来ない案件っすから、剣の一本や二本…」
ステラが早速その知恵を巡らせていると、エルナからは拍子抜けするような答えが返って来た。
「ああ、教会の剣なら持ってるぞ」
「え?」
ステラは一瞬虚を突かれたような顔になったが、やがてそれは懐疑的な表情へと変わった。
「…何で持ってるんすか?」
実にもっともな疑問である。この国における武器の管理は厳しくて、一般人がおいそれと手に入れられる物ではない。ましてや教会の剣を、である。
「いやなに、以前レイソルがくれると言うから貰ったんだ。宝石などは貰っても困るが、剣ならいつか役に立つかもしれないと思ってな」
エルナがそう答えると、ステラは何とも言えない難しい顔になった。
「…それ、本当にあげるって言ったんすか?」
その言葉を聞いたエルナは、少し不快そうに眉を寄せた。
「何だ、私が盗んだとでも言いたいのか?」
そう言われてみれば、何かレイソルらしい気取った言い回しだった気はするが、間違いなく彼から貰った物である。
「いえ…そういう事じゃ、なくて…」
短い時間とはいえ二人と直接接した事のあるステラは、その頭脳でもって何かを察した。
そして彼女はしばしの間悩み、やがてそれ以上は考えるのを止めた。
「…まぁ、いいっす。今更あたしが思い悩む事じゃないし、全部ヘタレ男が悪いんす」
ちなみにエルナの勘違いに対してノーと言えなかったレイソルは、教会に剣を無くしたと報告してまあまあ本気で怒られたのだが、それは彼女たちが知る事のない物語である。
それから二人は、ステラの魔術でエルナの自室へと向かい、無事に剣を回収する事が出来た。例の目印を使った瞬間移動の魔術である。
幸い部屋には誰もおらず、見咎められる事はなかった。まあ部屋の外は騒がしかったが。
さておき、これでエルナの戦闘準備は整ったが、まだ一番肝心な事を聞いていない。
「それでワイズマンは、どこにいるんだ?」
レイソルの剣を手に彼女が尋ねると、ステラは真剣な表情で答えた。
「もう一度、魂を移し替えるなら考えられる場所は一つだけ。この国にある、もう一つの魔力溜まり。神都エモリアっす」




