第三話「英雄乱心」
王都にある教会は地位や名誉に関心のある者たちによって後から建てられた物であり、教会の崇拝対象となる聖地はまた別にあった。
それが神都エモリアである。
王都から離れた少々辺鄙な所にあるが、それもまた神聖な雰囲気に拍車をかけている。ここは古くから豊穣の大地と呼ばれ緑豊かで、自然と調和するような木造の建物が建ち並んでいた。
その中で例外なのが、石造りの立派な大聖堂である。これこそが教会の総本山なのだが、前述のような理由で王都の教会とは現在、よそよそしい関係になっていた。
そんな大聖堂で、今日は特別な祭事があるのだ。
「それで、一体どういう祭事なんだ?」
今回エルナたちは討伐で近くまで来たついでに、レイソルたっての希望で祭事を見学しに来ていた。
初めて会った時から分かっている事だが、教会派の中で彼の扱いは必ずしも良くはない。それでも彼は教会の教えに対して意外と信心深かった。
「基本的には、女神様へ讃美歌を捧げる演奏会みたいなものかな」
讃美歌の内容はおおよそ神話を要約したようなものだが、要所で衣装を着た者たちが舞台に上がって場を盛り上げたりもする。
ちなみに教会が任命している英雄も、どこからか急に出て来た話ではなく、神話において女神から聖剣を授かり世界を滅ぼす魔獣と戦った英雄の話に由来していた。
「着いたばかりで悪いけど、さっそく大聖堂へ向かっても良いかな? 何か手伝える事があるかもしれないし」
サントハイム家は王都に居を構える、地位や名誉に関心のある者たちの代表格だったが、レイソル個人は割と敬虔な信徒なのだった。
大聖堂は王都の教会と違って華美な装飾はなかったが、その大きさと歴史を感じさせる佇まいは十分過ぎる程に荘厳な雰囲気をまとっていた。
「あれ、何だろう?」
まだ早いらしく人々は集まっていなかったが、神官らしき者たちが入り口付近に固まって、何やら困った顔をしていた。
「やあ、ご苦労様。何かあったのかい?」
レイソルが近付いて声をかけると、神官たちは驚いて飛び上がった。
「え? あっ、レイソル様!」
王都の教会とは疎遠らしいが、英雄レイソルは別のようだ。もっとも集まっていた神官が、全員女性であった事も関係あるのかもしれないが。
「…その、祭事で女神様の役をする者が怪我をして、舞台に立てなくなりまして…」
深刻な顔でそう答える神官たちに、エルナは素朴な疑問を口にした。
「代役くらい、神官の中に幾らでもいるだろう?」
そう言って彼女は、目の前にいる神官たちを見た。先程も言った通り、全員女性である。
しかし、それをレイソルが否定した。
「いや、女神様は英雄が見上げるほど大きかったそうだから、それなりに背の高い女性でないと…」
そこまで言ってから彼は、不意に黙り込んでしまった。そしてエルナの事を、じっと見つめてくる。
やがて彼は、真剣な顔でこう言った。
「…エルナ。君、女神様の役やってみないかい?」
「あぁん?」
その言葉に、エルナは剣吞な視線を返した。
元が神話なのだから当然、衣装もその時代の物を意識している。昔の人々は今ほど豊かではなく、布を重ねたりはしなかったそうである。つまり現在の感覚で言うと結構な薄着になる。
「…お願い出来ないかな?」
改めて真っ直ぐな瞳で見返してくるレイソル。その表情からは、面白がっている様子は見られない。どうやら、ふざけて言っている訳ではなさそうだ。純粋に祭事の事を考えての発言なのだろう。
側で状況を見守っていた神官たちも、期待のこもった目でエルナを見ている。
「…」
まあ実際のところ、減るものでもなし受けても構わないのだが。とは言え彼女一人が恥をかく義理もない。ここは一つ、彼にも身を切って貰うとしよう。
彼女は一つ息を吐いてから言った。
「…やっても良いが一つ条件がある。レイソル、英雄の役はお前がやれ」
「え?」
唐突な提案にレイソルはキョトンとした顔になったが、ここで逃がすつもりはない。
「せっかくここに現役の英雄がいるんだ。英雄の役もレイソルがやった方が皆も盛り上がるだろう?」
エルナは自分へ期待の眼差しを向けていた神官たちに向かってそう言い、彼女たちの事もこの話に巻き込んだ。
「それはもちろんです!」
「レイソル様が出て下さるなら皆喜びます!」
すると彼女たちは思いの外、乗り気になってくれた。むしろ積極的に引き込もうとする。
「…いや、でも…」
ちなみに女性でも薄着なのだから、男は当然半裸である。
レイソルも一瞬ためらう素振りを見せたが、本来部外者であるはずのエルナに頼んでおいて、自分は嫌だなどと言えるはずもなかった。
「も、もちろん…だよ」
こうして二人は舞台へ上がる事になった。
まあ舞台と言っても主体は讃美歌であり、内容に沿ったポーズをとる程度である。二人とも難なく役目をこなし、近年マンネリ化していた祭事は、過去最高の盛り上がりを見せたのだった。
レイソル・サントハイムは英雄である。
魔獣に対して滅法強く、軽そうな見た目に反して案外真面目、そして女には滅法弱い。
そんな彼の凶行は、瞬く間に王都中を駆け巡った。
一時は拘束されそうになったエルナだったが、目撃者も大勢いたので、すぐに解放される事になった。
それから彼女は現場の後処理を兵士たちに任せると、まずは王城へ向かい上司である騎士団長へ事の顛末を報告した。
「以上です」
彼女が報告を終えると、彼女の父とは飲み仲間らしい騎士団長エドウィン・ナイトは、難しい顔をして唸った。
「あのレイソルが…」
ナイト伯爵家もまた代々騎士の家系であり、ウォーリアー男爵家とは昔から上司と部下として交流があった。教会の新しい英雄がレイソルだと知って、その同行にエルナを選んだのも彼である。
エドウィンとしては彼女の事を、親戚の娘くらいには思っていた。だから他にレイソルと組みたがる者がいなかった時、騎士団の中でも浮いた存在となっていた彼女にこの仕事を任せたのだ。
そもそも主体は教会であるし、騎士は一人でも問題なかろう。むしろ彼女には騎士団より向いているかもしれない。後はまあ、少しくらい色気のある話にでもなればなぁ、とか。
それがまさか任命した当の教会が、英雄に供も付けていないとは思わなかった。
だが実際に問題なく討伐が出来て、当人たちもこれ以上の人手は必要ないと言うので、結局そのままになっていた。
その結果が、これか。
もう少し人数がいれば、結果は変わったのだろうか。まあ変わりはしただろう。しかし相手が他人の体を奪う事が出来るのであれば、人数が多くなれば多くなるほど展開の予測が出来なくなる。
最悪、仲間割れで全滅もありえたのではないか。
「団長、改めてワイズマンの討伐許可を」
考え込んでしまったエドウィンに、エルナは真剣な表情で願い出た。
彼女は英雄ではなく騎士である。ワイズマンを追うにも許可がいる。その為に戻って来たのだ。
「まあ待て、お前が行っても同じ結果になるだけだろう」
前のめりになる彼女を、エドウィンはそう言って宥めようとした。
しかしその言葉を受けて、エルナは必死で記憶を手繰り寄せた。そう言えばあの時、ワイズマンが最後に言っていた。
「ヤツは魔力溜まりの魔力を、ほとんど使ってしまったと言っていました。どこでも使えるような魔術ではないはずです」
魔力溜まりの魔力をほとんど使ってしまうような魔術なら、人間の魔力だけでは絶対に不可能という事である。そう言えば確かステラも、欠陥があるとか何とか言っていたような気がする。
「だとしてもだ。ワイズマンが今どこにいるか、分かっているのか?」
「…」
それは…、分からなかった。むしろ分かっていたら今頃、許可を取るのも忘れて追いかけていただろう。
「…これは、俺一人では判断出来んな。陛下の判断を仰ごう。エルナ、お前も付いて来い」
そしてエドウィンが面会を願い出ると、すぐに議会が招集される事となった。
王城の上階にある大きな会議場。これまでエルナも入った事のなかったそこは、中央に大きなテーブルが置かれていた。
今その席に着いているのは、国王陛下と五人の高位貴族たち。これに今はエルナの前に立っている騎士団長エドウィン・ナイトを加えた七人こそが、この国を治める議会派の中枢を担っていた。
「…魂の入れ替え、ですか。にわかには信じ難いですな」
エドウィンからの報告を聞いて、まず最初にそう言ったのはハーミット侯爵だった。彼は思索に耽る事が多く、問題提起はするが最終的に自分の意見を言わない事が多い。
「だがそんな事が可能であれば、罪人を裁く事すら難しくなる。民も疑心暗鬼になる。やはり魔術師は、もっと厳しく取り締まるべきではないか」
厳しい口調のウォーデン侯爵は、厳格な性格で規律にうるさい人物である。
「いやいや、魔術師は重要な国の財産だ。いたずらに締め上げて、他国へ逃げられたら目も当てられん。むしろ丁度いいではないか。最近は教会派の連中も少々増長しているようだからな。連中の任命した英雄殿がご乱心とくれば、その面目も丸つぶれだろう」
リッチマン侯爵は何事も損得で考える事が多く、何かと嫌われる事の多い人物だった。現に今、エルナにとって彼の印象は最悪だった。
ただただレイソルを貶める為だけのワイズマンの企みを、この男は真実にしようというのか。
国王陛下もいるこの場では、エルナも帯剣を許されていなかったが、持っていなくて正解だった。もしも持っていたなら、思わず抜いていたかもしれない。
「ふむ、なるほどな。どの意見も、もっともではある。…ルーサーはどう思う?」
それまで彼らの話を聞いていた国王ライオネス・キングは、自らの従兄弟であるルーサー・ロード公爵に尋ねた。
キング公爵家とロード公爵家は、交互に国王の座に就く間柄である。
今代はキング公爵家のライオネスが国王であり、次代はルーサーの息子が王位に就く事が決まっている。
「そうだなぁ、僕はリッチマン侯爵の言う事も一理あると思うなぁ。ところで今回の件を知っている者は、他に誰がいるんだい?」
ルーサーは場違いなくらい砕けた口調でエルナに問うた。
それに対して彼女はエドウィンへ視線を向けたが、彼が頷いてみせたので、この場で初めて口を開いた。
「詳細を知っているのは同行していた学会の魔術師だけですが、私は教会前の戦いでヤツをワイズマンと呼んでいます」
彼女は殊更に後半部分を強調して答えたが、しかし彼らは取り合わなかった。
「なに、詳細を知らねば、その意味など分かるまい。体は英雄殿本人なのだろう? こちらでそう公表すれば、皆納得しよう」
そう言ってリッチマン侯爵は愉快そうに笑った。何が面白いんだ、お前は。
「ひとまず事実を伏せるという事には、私も賛成だ。ワイズマンの罪を見逃す事は出来んが、何の対策もないまま公表しても、民に混乱が広がるだけだ」
規則にうるさいウォーデン侯爵が賛成した事で、場の空気はあくまでレイソル自身の凶行とする方向へと傾いた。
「そうなると、学会への口止めも必要でしょうか」
ハーミット侯爵の言葉に、ルーサーは能天気に答える。
「学会もワイズマンの件では評判を落としていたからね。民の批判が教会へ向かう分には、彼らも喜ぶんじゃないかな?」
そんな話を聞かされて、エルナの視線が段々と剣呑になっていく。彼女もいい加減、我慢の限界だった。
「エルナ、よせ」
エドウィンの制止を無視して、エルナは前に進み出た。
「ですがヤツを放置しては、陛下の評判にも傷がつくでしょう。私にワイズマンの討伐を命じて下さい」
議論がしたいなら、好きなだけしていればいい。元より彼女には、議会の決定を覆すような力はない。
だが、ヤツだけは許して置けない。絶対にだ。
「う~ん、それはそうなんだけど、どうかなぁ。彼女には英雄とセットのイメージが強い。教会とは無関係な騎士たちを向かわせた方が、よりこちらの利になるんじゃないかな?」
しかしルーサーは首を捻って否定的な言葉を口にした。どうやら彼は言い難い事を、国王の代わりに言う係のようだ。
「っ…」
尚も何か言おうとするエルナだったが、そもそも彼女はこの場で勝手に発言出来る身分ではない。
彼女が何か言う前に、この場にいたもう一人の高位貴族が言葉を被せた。
「陛下、良い機会なので彼女のこれまでの働きに、褒美を与えてはいかがでしょうか?」
そう言ったのは財務部長であるライブラリアン伯爵だった。他と比べて爵位の低い彼は、現場代表としてこの場にいた。
「この一年、隣国との小競り合いもない中で、彼女だけは討伐の為に国中を駆け回っていました。この辺りで、しばしの休暇を与えるのもよろしいかと」
ちなみにエドウィンも彼と同じ現場代表である。そんな二人の間には、奇妙な友情が芽生えていた。いわゆる胃痛仲間である。
彼の発言は、部下を処罰せずに済むようにという、エドウィンへの助け舟だった。
「…ふむ、そうだな。エルナ・ウォーリアーには今回の件が片付くまで休暇を与えよう」
その思いを汲み取った国王は、エルナの剣呑な視線には目をつぶり、彼女に休暇を与えた。
この国において武具の所有は、割と厳しく管理されている。彼女の剣も鎧も、国から貸与された物であり、職務以外では城外への持ち出しが禁じられている。
つまりこの措置は、罰ではなく褒美という建前での実質的な謹慎だ。この件に関して余計な事はするな、という意味だろう。
この後、英雄レイソルの凶行が王城から正式に公表された。そして彼の居場所が判明し次第、騎士団から英雄討伐隊を派遣する旨が告知されたのだった。




