第二話「王都騒乱」
エルナがレイソルと共に魔獣の討伐をするようになってから、二ヶ月ほどが経ったある日の事。
王都から遠く離れた町の近くで、この日も二人は魔獣討伐をしていた。
「フッ!」
レイソルが鋭く息を吐き、大型の魔獣にトドメを刺す。すると見上げるほど大きな魔獣が、ゆっくりと地面へ倒れ伏した。
討伐指定を受けただけあって、かなり危険な魔獣だったが、彼の戦い方は危なげない。むしろエルナのフォローをする余裕すらあった。
「相変わらずの手際だな」
エルナは素直に彼の強さを賞賛した。
さすがは英雄に任命されるだけの事はある。形骸化しているとは言え、決して適当に押し付けられた訳ではないらしい。
「いや、エルナのお陰だよ。今回はさすがに、周りの雑魚まで相手する余裕がなかった」
そう言って剣を収めながら、レイソルが笑いかけてくる。
一方のエルナはまだ魔獣の相手に慣れておらず、今回は周囲の雑魚狩りに専念していたのだ。
「雑魚の相手ばかりですまんな」
第一印象の通りエルナにとっては、やや軽薄に感じるところもあったが、レイソルはやはり騎士たちよりも付き合い易かった。今ではまるで男同士のような気安い関係である。こうした軽口も、二人の間ではもはや日常茶飯事だった。
「はは、そんな事はないよ。さあ、町へ戻ろうか」
二人が立ち去った後、倒された魔獣の体はやがて崩れ去り、後には塵くらいしか残らなかった。魔獣とは人間にとって本当に益のない、脅威にしかならない存在なのである。
「英雄様!」
「レイソル様!」
町に戻ると、住民たちから熱狂的に出迎えられた。来た時も歓迎はされたのだが、町の近くだった事もあり、彼らは町の中から魔獣討伐の様子を見ていたのだろう。
「やあ、ありがとう」
こんな時レイソルは、いつも殊更に英雄然とした顔をする。まあこれも仕事の内という事だろう。
そんな二人を取り囲む人々の中から一人、やたらと胸の大きな女性が進み出て、思わぬ強さで彼の腕を取った。
「魔獣を倒して頂いて、本当にありがとうございます、レイソル様」
「え?」
驚く彼に構わず、女性は彼の腕へ胸を押し付けるようにしなだれかかってきた。
「ぜひ、お礼をさせて頂きたいです。どうぞ、うちのお店へいらして下さい」
「い、いや、僕らは…」
レイソルはこの強引な女性に対して、どのように接すれば良いのか分からず困っているようだった。大型の魔獣すら難なく倒す彼が、今はまるで大型犬にからまれた子犬のようである。
彼は助けて欲しそうな目をエルナに向けたが、残念ながら彼女には一切伝わらなかった。
「私の事は気にせず、行って来るといい」
至極あっさりとしたエルナの言葉に、レイソルは捨てられた子犬のような表情になった。
「ま…まあ、お礼と言うなら、あまり断るのも悪いかな…」
結局、振りほどく事も出来ず、彼はそんな言葉で自分を納得させたようだ。
「さあどうぞ、こちらです」
半ば女性に引きずられるようにして、この場から離れていくレイソル。
そんな彼を見送りながら、この時のエルナはこんな事を思っていた。
いくら男同士のような付き合いとは言え、さすがに娼館に誘われても困る、と。
レイソルがいなくなると、人々は徐々に解散していった。エルナに声をかけてくれる者も何人かいたが、みなエルナの事をレイソルの従者か何かだと思っているようだった。やはり教会の英雄の肩書は大きいようである。
やがて一人になると、エルナは通りをブラブラとし始めた。
元々今日はこの町へ泊り明日の朝、王都へ出発する予定である。さて夕飯には何を食べようか、などと考えながら呑気に歩いていると、後ろから誰かの必死過ぎる叫び声が聞こえて来た。
「エぇぇぇルぅぅぅナぁぁぁぁぁぁっ!」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには鬼気迫る形相のレイソルが、彼女へ目掛けて一直線に駆けて来る姿があった。
「どうした、随分早いな。立たなかったのか?」
いつもの調子で軽口を叩く彼女に、レイソルは悲痛な面持ちで訴えた。
「そういう店だと知っていたなら、教えてくれ!」
英雄色を好む、とはよく聞く話だけれど。どうやら彼は、先程の女性の言う『お礼』が何を指しているか、理解していなかったようである。
「何だ、慣れているのかと思ったんだが」
やや呆れた様子のエルナに、レイソルは心外だとばかりに声を荒げる。
「慣れていないし、入った事もない! 一体僕の事を何だと思ってるんだ!」
しかしその訴えを聞いても、エルナには彼が何故そんなにも必死なのか分からなかった。
「何だも何も。初めて会った時に、僕は女の子にモテモテなんだ、と言っていただろう?」
「言ってない! そんな事は言っていない!」
まあ趣旨は違うが、実際それに近い事を言ってはいたのだが。それはそれとして、エルナはあまり記憶力の良い方ではなく、おまけに細かい事は気にしない質だった。
「まあ、どっちでもいい」
「良くないよ!」
エルナは彼の苦情を聞き流し、結局二人はこの日も共に夕食をとる事になった。
レイソル・サントハイム。彼はエルナにとって、仕事仲間であると同時に、気の置けない友人でもあったと思う。
そんな彼が、あのような死に方をした事が信じられなかった。
「…」
ステラを後ろに乗せ、エルナはただ黙々と馬を走らせていた。
あの後エルナは、残されたワイズマンの死体をどう扱えばいいのか悩んだ。ワイズマン以外の何者でもないそれを、レイソルとして扱う事には抵抗があった。そもそも本当にレイソルの魂が宿っていたのかも分からない。だが持ち帰れば、魔人として晒し者になるかもしれない。それは許し難かった。
結局、名乗りを上げたステラが魔術の炎で灰にしてくれて、エルナは実感のないまま彼の冥福を祈った。
そして近くの村で一泊し、今は預けていた馬で王都へと向かっているところである。レイソルの馬は、いずれ教会の者が引き取りに行くだろう。
「…やっぱり爺さんの目的は、魔力で間違いないと思うんす。魔力は肉体に依存しているから、魂の入れ替えでも相手を選べば結果的に増えます。でもこのやり方には致命的な欠点が…」
王都への道中、ステラは今回の事を彼女なりに説明してくれようとしたが、とてもじゃないがそんな気分にはなれなかった。
「すまない、今は説明されても頭に入って来ない」
エルナはつい遮ってしまった。だが実際に、今説明されても何も覚えられる気がしない。
「…そうっすね」
そんな彼女の気持ちを酌んだのか、ステラはそれ以上は口にしなかった。
どのくらいそうしていたのか。
気が付けば既に、王都が見えてきていた。高い防壁に囲まれた、この国一番の大都市である。
門の側まで来ると二人は馬上から降り、手綱を引いて町へ入る人々の列へ並んだ。町の住人が近くの森へ出掛けるくらいなら必要ないが、他所から来たり、エルナたちのように日を跨いだ場合には、身分証の確認が必要になるのだ。
王都の住人の中では比較的出入りの多いエルナは、門番にも顔を覚えられている。レイソルの事をどう言おうかと考えていると、顔見知りの門番が彼女に気付いて声をかけてきた。
「あ! エルナ様、良かった御無事だったんですね!」
無事の帰還を喜んでくれる門番に、エルナの表情も少しだけ緩んだものになる。
しかし次の瞬間、その表情は凍り付く事になった。
「いやぁ、先程レイソル様が戻られて、エルナ様は怪我をして村に残ったとお聞きしたので」
「!?」
先にレイソルが戻って来ているとはどういう事か。彼女の頭の中に、醜悪に笑うレイソルの顔が思い浮かんだ。
エルナは思わず門番に詰め寄った。
「その男は、今どこにいる!?」
「え? レイソル様なら教会へ…」
困惑する門番の言葉を最後まで聞かずに、彼女は走り出した。
「ちょ、エルナさん? 馬ー!」
慌てて手綱を取ったステラに名前を呼ばれたが、エルナは止まらなかった。居並ぶ人々も、立ち塞がる門番も押し退けて、彼女は門を駆け抜けた。
王都の全てではないが、大通り沿いには三階建て以上の建物が壁のように連なっている。
そんな大通りの真ん中を、未だ旅装を解いていない騎士が全力疾走しているのだ。誰もがエルナを振り返るが、彼女は気にも留めずに走り続けた。
王城は守りの関係で、町の中心より少し奥まった所にある。一方、教会は中心近くの広場に面しているので、初めて王都を訪れた者は教会こそが王都の中心だと思う事だろう。
エルナが広場へ駆けつけた時、教会の前には人だかりが出来ていた。
「レイソルさまー!」
「英雄レイソル万歳!」
そしてその中心には、いつかの様に人々に囲まれた彼がいた。
「…」
その光景は彼女にとって、あまりにも見慣れたものだったので、一瞬夢か現実か分からなくなった。
考えてみれば、あの時実際に死んだ体はワイズマンのものであり、少なくとも目に見える範囲でレイソルが死んだという証拠はなかった。ただレイソルの体が、自分はレイソルではないと言っているだけで。
果たしてレイソルは本当に死んだのか。確信が持てなくなって、エルナはしばし戸惑ってしまった。
そんな彼女の見ている前で、人々に囲まれたレイソルは自らの威を示すように高々と剣を掲げた。
「わあっ!」
まるで芸術的絵画のようなその姿に人々が沸いた。
どうするべきか分からないまま、エルナがその様子を眺めていると、不意にレイソルと目があった。
「ハッ!」
彼女の存在に気が付くと、彼はあの時と同じ醜悪な顔で笑った。
「! …待て!」
それを目にした瞬間、彼女は叫んでいた。
しかしその時には、もう既に遅かった。レイソルの体を奪った魔人は、掲げた剣を集まった人々へ向かって振り下ろした。
「う、うわあぁぁぁぁっ!」
「キャアァァァァッ!」
「レ、レイソルさま!?」
広場の石畳が血に染まる。
英雄レイソルの突然の凶行に、人々は逃げ惑い悲痛な叫び声を上げた。
魔人は彼の命を奪った。そして今また、彼の人生すら踏み躙ったのである。
エルナは細かい事を気にしない質だった。
だから同期の騎士たちから何を言われようと、彼女はいつも鷹揚だった。だから彼女は生まれてこの方、その言葉を口にした事がなかった。
だが今、その言葉にふさわしい怒りと、憎しみと、呪詛を込めて初めて口にした。
「殺す!!!!」
エルナは駆け出した。
彼女は元々、戦場を駆ける騎士である。逃げ惑う人々の間をすり抜けながら、素速く剣を抜き放った。これ以上、いたずらにレイソルの人生を傷付ける事は許さない。
「だ、誰か…」
魔人は倒れ込み逃げ遅れた女性へ向かって、再び剣を振り上げていた。まるで見る者の目に、その姿を焼き付けるかのように、ゆっくりと。
「チッ!」
エルナは鋭い呼気と共に、更に加速する。
次の瞬間、金属同士がぶつかる甲高い音がした。
「エ、エルナさま!」
彼女はすんでのところで、魔人の剣を受け止めてみせた。
「お前たちも離れていろ!」
他にも状況が理解出来ず、棒立ちになっている者たちへ向かってそう叫んでから、エルナは改めて魔人と向き合った。
「何故こんな事をする! お前の目的はレイソルの魔力じゃないのか!?」
わずかに覚えていたステラの言葉から、そんな疑問が口をついた。
大人しくしていれば魔力は手に入り、討伐指定からも逃げおおせる事が出来ただろうに。何故このような事をする必要があるのか。
「なに、ちょっとした意趣返しだよ」
魔人は醜悪な笑みを…、浮かべる事すらなく、至極何でもない事のようにそう言った。
その程度の理由で、その程度の関心で、ただただレイソルを貶める為だけに、こんな事をしたと言うのか。
「…お前は、ここで殺す!」
エルナの思考が怒りに塗り潰される。これ程までに人を憎んだのは、生まれて初めてだった。もう目の前の男を、レイソルと認識する事はない。
「はっ、出来るものなら?」
ワイズマンは醜悪に笑う。
もはや言葉は必要ない。エルナは全力でもってワイズマンに切りかかった。しかしワイズマンは、手にした剣でそれを受け流してみせた。
杖を盾代わりにして必死に身を守っていた時とは、まるで違う。その動きは洗練され、危なげなかった。魂は違っても、体が覚えているのか。
「これは思わぬ副産物だ」
涼しい顔のワイズマンに苛立ちが募る。
これまでレイソルにはフォローされる事も多かった。だがそれは魔獣討伐においての話である。対人戦であれば、たとえ相手が彼であっても負ける気はしない。このまま打ち合えば、最後には彼女が勝つだろう。
だが残念ながら、その時は訪れなかった。
「いずれにしても潮時だな。それでは失礼するよ」
そう言ってワイズマンは、またしても瞬間移動の魔術で姿を消したのである。
その直後、町の治安を守る兵士たちが広場へなだれ込んで来た。
「大人しく武器を捨てろ!」
槍を持った兵士たちは、唯一人武器を持って立っている彼女の事を取り囲んだ。
それでもエルナは魔人の姿を探したが、今度は死角からの攻撃もない。どうやら本当に逃げてしまったようだ。
「戻って来い! ワイズマン!!」
エルナは力の限り叫んだが、どこからも返事は返って来なかった。




