表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『ニュースキャスターの父、ロッカーの叔父、教師の居候。この家、まともな大人が不在です』  作者: 水前寺鯉太郎
シーズン3

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/40

第36話:『最初の言葉、論理的なパパの誤算』

『最初の言葉、論理的なパパの誤算』


 水前寺家のリビングには、異様な緊張感が漂っていた。

 海と空が、ついに「マンマ」「バブ」といった意味のある(ような)音を発し始めたからだ。

 譲は、仕事(漫才の稽古)も手につかず、双子の前に座り込んでいた。

「いいか、海。空。……パ・パ。パパだぞ。お前のために五千万稼ぐ、パパだ」

 

 ジャカ、とギターを一掻きする。

「パ・パ。この音と一緒に覚えろ。さあ、言ってみろ!」

 海と空は、ポカンと口を開け、譲の鼻から垂れそうな汗をじっと見つめていた。

 そこへ、佐藤先生が大学の講義から帰宅した。

「……譲さん、その執着は統計学的に見て逆効果です。乳児の言語獲得確率は、以下の数式で近似されます」

 佐藤先生は慣れた手つきで、子供の頭越しにホワイトボードに数式を書き始めた。



「つまり、あなたが騒げば騒ぐほど、ノイズが増え、正解パパへの到達は遠のくのです」

「うるせえよ、先生! 先生はいいよな、独身で、責任がなくて。俺は、この子たちの『最初の座標』になりたいんだよ!」

 

 その時だった。

 佐藤先生が、落ちたマーカーを拾おうと腰をかがめ、海と視線が合った瞬間。

「……パ、パ」

 

 リビングが、凍りついた。

 海が、小さな指で佐藤先生の眼鏡を指差し、もう一度、はっきりと。

「パパ!」

 空も同調するように、先生の膝にすがりついて叫んだ。

「パパ! パパ!」

 譲の手から、ピックが滑り落ちた。

 航は思わず「中継車、出せ!」と叫びそうになり、真菜は「あーあ、終わったわね」と顔を覆った。

 佐藤先生は、石像のように固まった。

「……い、いいえ。これは、破裂音の連続による偶発的な……。私の喉仏の振動が、彼らの原始的な発声欲求を……」

「……先生」

 譲の声は、地獄の底から響くようだった。

「……俺、ちょっと旅に出てくるわ。五千万なんて、いらなかったんだ。俺は、ただの『ノイズ』だったんだな」

 譲が部屋に引きこもって三日。

 水前寺家には、音楽の消えた、死んだような静寂が訪れた。

 佐藤先生は、海と空に「パパ」と呼ばれるたびに、ビクッと肩を震わせ、申し訳なさそうに「私は教授ですよ」と訂正し続けていた。

 四日目の夜。

 リビングの隅で、修が古いカセットレコーダーを再生した。

『……パパ、パパ。パパだよ。……愛してるよ。……パパ、ここにいるからな』

 それは、譲が毎晩、子供たちが寝静まった後に、枕元で囁き続けていた祈りのような声だった。

 佐藤先生は、その声を聴き、静かに譲の部屋のドアを叩いた。

「……譲さん。論理的な修正案を持ってきました。……出てきてください」

 

 ドアが開き、無精髭を生やしたボロボロの譲が現れた。

 佐藤先生は、彼を無言でリビングへ連れて行き、海と空の前に座らせた。

 そして、先生は自分の喉を指差して、厳かに言った。

「海くん、空くん。……これは、『キョウジュ』です。……キ・ョ・ウ・ジュ」

 

 双子は首を傾げた。

 譲は、泣きそうな顔で、諦めたようにギターを手に取った。

 いつもの、少し外れた音程の、けれど世界で一番優しい自作のララバイ。

 

 ジャカジャカ……。

 

 その音を聴いた瞬間。

 海と空の瞳が、パッと輝いた。

 二人は同時に譲の膝に飛び込み、叫んだ。

「ジャカジャカ!」「ジャカジャカ!」

 

「……え?」

「譲さん。彼らにとって、言葉ラベルなんてどうでもいいのです」

 佐藤先生が、眼鏡を拭きながらボソリと言った。

「彼らは、あなたの『音』を、自分のホームとして認識している。……彼らにとって、あなたは『パパ』という記号ではなく、『ジャカジャカ鳴らして自分を守ってくれる、唯一の旋律』なのです」

 譲は、双子を抱きしめ、ギターの弦を涙で濡らしながら、めちゃくちゃなリズムで弾き続けた。

「……そうか。俺は、ジャカジャカか。……いいよ。世界一のジャカジャカになってやるよ!」

 航が、それを見て、豪快に笑った。

「よし! 明日の『おはようくまもと』のトップニュースは決まりだ。『熊本一、不器用なジャカジャカ、誕生!』ってな!」

 リビングには、再び騒がしい音楽が戻ってきた。

 佐藤先生は、ホワイトボードに新しくこう記した。

『真実の呼称 、辞書的な単語。……愛の周波数は、言語を超越する』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ