第34話:『親衛隊の包囲網、相方の意地』
『親衛隊の包囲網、相方の意地』
国立大学のキャンパスは、もはや「聖域」ではなかった。
佐藤先生の講義室の前には、色とりどりの花束を持った学生たちが列をなし、中には『佐藤教授、論理的に愛して!』と書かれたうちわを持つ者まで現れていた。
「……何だ、あれは。ここはジャニーズのコンサート会場か?」
譲は、ギターケースを抱えて、廊下の隅で歯噛みしていた。
数ヶ月前まで、佐藤先生の隣でホワイトボードを運んでいたのは自分だった。
ネタ合わせで詰まった時、一緒に不味い缶コーヒーを飲んでいたのは自分だった。
なのに今、最前列で先生の言葉を一言一句漏らさずメモしているのは、キラキラした瞳の学生たちだ。
「……おい、そこ退けよ。そこは、俺のマーシャル(アンプ)を置く場所だ」
譲が無理やり最前列に割り込もうとすると、学生たちから冷ややかな視線が飛んできた。
「……何、あの人? 教授の付き人? 邪魔なんだけど」
「ロック崩れみたいな格好して。教養の欠片もなさそう」
譲の胸の中で、何かが音を立てて切れた。
「……ああ、そうだよ! 俺は教養なんてねえよ! 五千万の借金に怯えてる、ただの三流だよ! でもな、この男が寝言で『 X の二乗……』ってうなされてる時に、背中をさすってやったのは俺なんだよ!」
講義室が、一瞬で静まり返った。
教壇の上で、佐藤先生がゆっくりと眼鏡を直した。
「……譲さん。公共の場で、私の睡眠時のプライバシーを漏洩させるのは、論理的整合性に欠ける行為です。……ですが」
先生は、手元のテキストをパタンと閉じた。
「皆さん。私が先ほどから解説している『不完全性定理』。それを具現化した存在が、そこに立っている彼です。彼が私の隣でデカい音を鳴らさない限り、私の理論は、ただの死んだ数字の羅列に過ぎない」
佐藤先生は、教壇から降り、譲の元へ歩み寄った。
「……譲さん。最前列は、あなたの場所です。あなたが不機嫌だと、私の脳内における『笑いの分泌量』が著しく低下し、講義のクオリティが保てません。……早く、準備をしなさい」
譲は、鼻を赤くしながら、乱暴にアンプのスイッチを入れた。
「……ふん。わかればいいんだよ、教授。……いいか学生ども、よく聴け! これが、佐藤教授が世界で一番愛してる、三流の不協和音だ!」
ジャガジャガジャーン!
講義室を揺らす、暴力的なまでのギターの音。
学生たちは驚き、耳を塞いだが、次第にその熱量に圧倒されていった。
佐藤先生は、その爆音のリズムに合わせて、ホワイトボードに今までで一番複雑で、一番自由な数式を描きなぐった。
結局、講義は「親衛隊」の悲鳴のような歓声と、譲のギターソロで幕を閉じた。
帰り道、夕暮れの阿蘇を見つめながら、譲がボソリと言った。
「……先生。明日も、あの肉じゃが、食べるか?」
「計算するまでもありません。……あなたの作る、あの『解の定まらない味』が、今の私には最も必要な栄養素ですから」
水前寺家のリビングでは、航が由佳と一緒に、海と空をあやしながら笑っていた。
「見たか? 譲のあのアナログな嫉妬。あれぞ、水前寺家の魂だよな!」
家族。相方。
どんなに立派な肩書きがついても、彼らを繋ぐのは、たった一つの「居場所」という、理屈を超えた絆だった。




