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29.

 スピードメーターで現在の速度を確認し、アクセルを踏んで、そこからさらに毎時10キロ増速させた。

 トンネル内に照明は無く、ヘッドライトの光だけが頼りだったけれど、どこまでも真っ直ぐに伸びて道路幅も充分だったから、ハイビームで照らした前方への注意を怠らなければ、ある程度スピードを出しても大丈夫だろうと思った。

(さっきみたく、突然凍結路面に乗ってしまったらアウトだけど……)

 ジムニーの外気温センサーは、摂氏二十五度を超えて三十度に達しそうな勢いだった。

 オートエアコンもフル回転する程の暑さだ。凍った路面に行き当たるなんて事は、まず無いだろう。

 問題は燃料か……

 暗いトンネルの中をもう百キロ以上も走り続けている。

(油断したな。まさか百キロ走ってもまだ向こう側の出口が見えないトンネルがあるなんて。こんな薄気味の悪い場所でガス欠なんて冗談は勘弁してくれよ)

 ヘッドライトの光を浴びて青く光る長いものが、ニョロリと暗闇の中へ逃げて行った。

(まただ……あの青い金属光沢の巨大ムカデ……)

 どうやら、梅塚の言った通りみたいだ……今まで気づかなかっただけで、このトンネルの暗闇の中には、長いニョロニョロした連中が、ウジャウジャと這い回っているらしい。

 ……その時……

 突然、ジムニーの進行方向を(ふさ)ぐように前方の天井部分から何か()()()()()れてきた。

 慌てて急ブレーキを踏む。

 助手席のサトミの上半身が前方にガクッと()んのめった。

 ジムニーが完全停車した直後、助手席を見てサトミの安全を確認した。

「大丈夫か?」

「うん……なんとか」サトミが答える。

 僕は「ちょっと、良い?」と言いながら自分のシートベルトを一旦(いったん)外し、助手席に座るサトミに覆いかぶさるようにして、彼女の左鎖骨・両乳房の間・骨盤の左右を確実に支えるようにシートベルトの位置を修正し、ギュッと締め増した。

「三点式シートベルトのコンセプトは『たとえ骨が折れても、内臓だけは守れ』なんだ」僕はサトミのシートベルトを締めながら言った。「だから、ベルトは、必ず片方の鎖骨と胸中央の胸骨、そして骨盤の上を通るように装着しなければいけない。とくに腰を支える横向きのベルトは、しっかり腰骨(こしぼね)をシート下部に固定させるように装着する必要があるんだ……間違っても、腹を締めつけてはダメだ。いざというときベルトが腹に食い込んで、最悪、内臓が破裂してしまう」

「う、うん。わかった」

「ごめん……急に覆いかぶさったりして……」

「良いよ。大丈夫……私のために、してくれたんだろうから」

「うん……」

 僕は、自分自身もシートベルトを締め直し、あらためてフロントガラスの向こうを見た。

 異様なものが、天井から垂れ下がっていた。(さか)()りの()()()()()()だ。

 天井を覆う無数のインテユニ人のうちの一人が、天井から(さか)さまに垂れ下がっていた。

 ……いや、よく見ると、一人じゃなかった。

 その逆さになった異世界(インテユニ)人の足を、別の逆さまになった異世界(インテユニ)人が持ち、その異世界(インテユニ)人の足を、さらに別の異世界(インテユニ)人が持っていた。

 つまり、逆さまになった複数のインテユニ人が、まるで一本の長いロープのように連なり、天井から垂れているのだ。

「何? あれ?」サトミが(うめ)くように言った。「気持ち悪い」

 通信機(トランシーバー)がズズッと短く鳴り、直後、240Zを運転する梅塚の怒鳴(どな)り声が聞こえてきた。

『いきなり急停車するな! 危ねぇだろうが!』

 怒鳴り声は、すぐに困惑の声に変わった。

『な、なんだ? ありゃあ?』

 梅塚の240Zが徐行して僕らのジムニーの右側に横並びに停車した。

『見ての通り、異世界人だろ』天井から垂れ下がるインテユニ人に視線を貼り付けたまま、僕は通信機(トランシーバー)に向かって言った。

 逆さまになった異世界人の、落ち窪んだ三つの眼窩(がんか)の奥で、三つの目玉が青白く光っていた。

(目が開いている……僕らを……見つめている?)

 天井から垂れ下がった異世界人の連なりは、それ自体が一つの生き物のように動き、鎌首(かまくび)持上(もた)げるようにして僕らの方へ向かって来た。

 異世界人たちがジムニーまであと三メートルに近づいた時、突然、トンネル内に轟音が鳴り響いた。

 同時に、天井から逆さまに連なったインテユニ人のうち、一番下にブラ下がっていたヤツの頭が四方に血を撒き散らしながら吹き飛んだ。

 僕とサトミは同時に叫び声をあげ、ジムニーの車内で体を強張(こわば)らせた。

 横を見ると、240Zの車外に出た梅塚が、懐から出した大型拳銃のグリップ底を自動車(くるま)の天井に付け、銃口をインテユニ人に向けて狙いを定めていた。

「梅塚さんが、撃ったのか?」

 僕が(つぶや)くのと、二発目の銃声がほぼ同時だった。

 一番下の異世界人の足首を持っていた、下から二番目の異世界人の頭が吹き飛び、その手から力が抜けた。一番下にぶら下がっていた首なし死体がドスンッという音をたててトンネルの路面に落ちた。

 続いて、下から三番目……四番目……五番目……立て続けに鳴った銃声とともに、順番に頭を撃たれたインテユニ人の死体が次々と地面に落ちる。

 僕は、慌てて通信機(トランシーバー)を取り上げ叫んだ。

「梅塚さん! 何やってんだ!」

『あいつら、お前のジムニーに襲いかかろうとしてたぞ』通信機(トランシーバー)の向こうから梅塚が言い返す。『だから助けてやったんだろうが』

「そんな……まだ襲われてもいないうちから……何らかの方法でコミュニケーションを取ろうとしていたのかもしれないだろ!」

「そりゃ確率論てもんだ。ヤツら、俺たちとは別の種族なんだぞ。襲おうとしていたのか、話し合おうとしていたのかなんて、分かるもんか。先手必勝、()られる前に()ったまでだ」

「……」

 僕は、言い返す言葉が見つからず黙り込んでしまった。

「ケンゴウくん、あれを見て」サトミがフロントガラスの向こうを指差した。

 ジムニーの三、四メートル先の路面に、異世界人たちの首なし死体が積み重なるようにして横たわっていた。

 その死体に、青い金属光沢を持った巨大なムカデが何匹も群がっていた。

 長さ二メートル、太さは人間の太腿(ふともも)くらいある体をウニョウニョと(くね)らせて、ムカデたちは異世界人の肉体に頭を押しつけていた。

「いや、気持ち悪い」サトミが顔を(ゆが)ませた。

「あいつら……あのムカデみたいなヤツら……異世界人を喰うのか……」

 異世界人の血の匂いに刺激されたのか、暗闇の奥から巨大ムカデが次々に現れた。そして首の無い死体に頭を付け、大きな(あご)で肉を千切り取っていく。青い金属光沢の体が、インテユニ人の血で染まる。

(異世界人の血も、赤いんだな)

 そんな事を一瞬だけ考え、ハッと我に返って、マニュアル・シフトのレバーを一速に入れた。

「逃げよう。とにかくこの場から立ち去るんだ」

「え? でも、梅塚さん、は?」とサトミ。

「あんなヤツに(かま)ってられるもんか。とにかくこの場所はヤバい。このトンネルはヤバい……早くこの場から立ち去って、トンネルの出口を目指すんだ」

 僕は、ハンドルを左側へ切って、梅塚の240Zの反対側から異世界人たちの死体と、それを(むさぼ)る巨大ムカデの群れをゆっくりと避け……避け切って向こう側に抜けた瞬間、アクセルを踏み込んでトンネルの出口を(そんなものが本当にあるのかも怪しかったけど)目指して、ジムニーを加速させた。

『あっ、ばかやろう、待て! お前らだけ逃げるな!』

 無線機から梅塚の怒鳴る声が聞こえた。

 バックミラーに目をやると、追いかけてくる240Zのヘッドライトが見えた。

(まぶ)しいんだよ! 後続車がハイビームなんて点灯()けるなよ」

 小さな声で梅原の240Zに悪態を()き、アクセルを踏んでさらに加速させようとした瞬間、(さか)さづりの異世界人たちが天井から垂れ下がって来て、ジムニーの進路を(ふさ)いだ。

 ブレーキを踏みながら左に急ハンドルを切り、ギリギリの所で逆さづりの異世界人たちを()け、次の瞬間、壁に()つかりそうになる直前に、今度は右に急ハンドルを切って、何とか進路を元に戻した。

 額から冷や汗が一気に吹き出た。

 左手でその汗を(ぬぐ)う。

 心臓の高鳴りが収まらない。

 オフロード走行を前提に造られたジムニーは車高がある。そのぶん重心も高い。

 今のような急ハンドルによる危機回避は、ジムニーが最も苦手とする分野だった。

 僕の運転技能だって人並みではあれ、それ以上だなんて自惚(うぬぼ)れてはいない。

 事故らずに()けきれたのは、単に運が良かっただけだ。

 一気に車速の落ちた僕らの自動車(くるま)を、垂れ下がる異世界人たちの反対側から240Zが追い抜いて行った。

「僕らを先に行かせて、自分はその後ろから()いて行く……って言ったくせに」僕は、梅塚の自動車(くるま)のテールランプを憎々しげに見つめながら(つぶや)いた。

「たぶん、あの人も、精神的余裕がなくなったのよ」とサトミ。「なりふり(かま)っていられなくなった、っていうか」

 バックミラーを確認すると、さっき通過した『異世界人の(さか)さづり』が、暗がりの中に辛うじて確認できた。

 僕らのジムニーに向かって体を伸ばしているように見えた。

 ここまで離れてしまえば、(危害を加えるつもりだったにせよ、平和的なコミュニケーションを望んでいたにせよ)異世界人たちは僕らのジムニーに手出しできないだろう。

 いつ〈逆さづりの異世界人〉が落ちてきても避けられるように、ジムニーの速度を下げて走った。

 安全に回避・通過さえ出来れば、ヤツらは追いかけて来ないと思った。

 集中すべきは前方から現れるインテユニ人で、後方のそれは危険度が少ないだろうという予測だ。

 遠く前のほうに240Zの赤いテールランプが見えた。

 突然、ドンッ、ドンッ、という銃声が聞こえてきた。

 同時に、240Zのテールランプが見える場所で、火薬の発火光らしい(ひらめ)きがあった。

「梅塚め、また異世界人を撃ったのか? このトンネル自体が無数の異世界人の集合体なんだぞ! いたずらに刺激するな!」

 僕が梅塚に対する怒りを(つぶや)いている間にも、遠く前のほうで、また、ドンッ、ドンッ、という銃声と閃光が発せられた。

 さらにまた、ドンッ、ドンッ、ドンッ……

 銃声と閃光の間隔は次第に(せば)まり、しまいには休みなく連続する攻撃になった。

 テールランプが徐々に近づいてくる。

「何だ? 梅塚のやつ、停車しているのか? なぜ逃げない? 拳銃の弾丸(たま)だって、いつかは無くなるぞ」

 240Zまで、目測であと百メートル程に近づいた時、突然「ぎゃあああ!」という男の叫び声がトンネル内に響いた。

 思わず耳を(おお)いたくなるような、聞くものをゾッとさせる声だった。

「何? 今の?」サトミが不安そうに僕を見た。「う、梅塚さんの声みたいだったけど……ひょっとして……」

 サトミは「ひょっとして……」の後の言葉を飲み込んだ。たぶん「ひょっとして、殺されたの?」と言いたかったんだ。

 僕も同じ気持ちだった。

 停車した240Zのテールランプが近づいてくる。

 正直、前へ進みたくなかった。

 でも、僕らには他に選択肢が無かった。

 あるかどうかも分からない出口を目指して、前へ前へと進むしかなかった。


 * * *


 ジムニーのヘッドライトが照らす240Zは、無残に()()()()て全ての窓ガラスが粉々に砕けていた。

 蛇に巻きつかれ、骨を砕かれ絞め殺されたカエルみたいだと思った。

 スクラップになった240Zの車内に運転手は居なかった。

 梅原の体は、トンネルの丁度(ちょうど)真ん中にあった。

 ()()()()()()()

 天井から垂れる三本のロープ……いや……三ヶ所から垂れた(さか)さまのインテユニ人たちに、両手と頭部を掴まれて、空中に持ち上げられていた。

 まるで、(はりつけ)の刑に処されるイエス・キリストの絵を見ているようだ。

 ……いや、そのグロテスクなパロディ・バージョンか。

 着ているレインコートもスーツもズタズタに裂けて、全身から()み出た赤黒い血が服を染めていた。

「し、死んでるの?」というサトミに、僕は黙って(うなづ)いた。

 その時……真ん中の異世界人に頭を押さえられた梅原の目玉だけが、かすかに動いた。

(何だ? まだ生きているのか?)

 視線が僕らの乗るジムニーに向けられた。

 梅原と目が合ったような気がした。

 両側から梅原の両腕を拘束していた〈逆さづりの異世界人〉が、同時に手を離した。

 梅原の腕が体の横にダランと垂れ下がる。

 真ん中の異世界人が(つか)んでいる頭部に、彼の全体重が()かる。

(はりつけ)から絞首刑か……)などという悪趣味な冗談が脳裏を()ぎった。

 実際には、真ん中の異世界人は、彼の首(喉)ではなく、下あごに指を引っ掛けるようにして頭部全体を持ち上げていたので、窒息死する可能性は低かった。

 もちろん、今すぐ窒息しない、すなわち、生き(なが)らえるという事ではない。

 彼が瀕死の重傷を負い、全身から血を流し、もはや虫の息であることは明らかだった。

 腕の拘束を解いた両側の異世界人が、梅原の衣服をビリビリと引き裂き始めた。

 あっという間に、梅原は着ているもの全てを切り裂かれ、靴も脱げ落ち、一糸まとわぬ全裸に()かれて、血まみれの肌をトンネル内の濁った空気に(さら)した。

 そのあまりの無惨さに、サトミが「ひどい……」と言ったきり両手で自分の口を(ふさ)ぎ、目を(そむ)けた。

 僕も同じ気持ちだった。

 でも、目を背けるわけには、いかない。

 ジムニーの運転手(ドライバー)として……自分自身と、助手席に座るサトミの運命を任された者として、この危機を乗り越えるため全力を尽くす義務があると思った。

 向かって右側には、スクラップになった240Z。

 真ん中に、梅原の体を持ち上げている異世界人たち。

 通り抜けるなら、向かって左側しかない。

 僕は、ほとんど歩くような速度で、そろり、そろりと吊り下げられ全裸にされた梅原の体の横を通過した。

 梅原の体にまとわりつく異世界人たちと、前方の暗闇……その両方に注意を向ける。

 トランスファーを4WDモードにした。いざというときにトラクションが掛かりやすく、猛ダッシュしやすいだろうと思ったからだ。

 トンネル内の空間ほぼ真ん中に吊り上げらた梅原の体が、ずるっ、ずるっ、と徐々に天井へ向かって持ち上げられ、上昇していく。

 その横を通過するとき、梅原の横顔を見上げた。

 下からの光に照らされ影を浮かび上がらせているその顔には、()()()()()()()()()()()()()()()()

(殺されかけてるっていうのに……それが気持ち良いってのか?)

「何だ?」

 ……自分の目を疑った……

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 梅原の体とインテユニ人の体が接触している部分の境目が無くなりつつあった。

 インテユニ人の体表色である黒灰色(こくかいしょく)が、その接触部部分から徐々に梅原の肌を侵食し、彼の体色を変えようとしていた。インテユニ人の肉と梅原の肉が一つになろうとしていた。

「ヤツら、人間を捕まえると、その肉体を取り込んで融合しちまうのか……」

 僕の(つぶや)きを聞いたサトミが「え?」と言って僕を見た。

「え? どういうこと?」

「言った通りだ。ヤツら、()()()()()()()()()()()()()、融合して一体化しようとするんだ」

 梅原と融合しつつあるインテユニ人たちの横を無事に通過することができた。

 一気にアクセルを踏んで、この場所から逃げようと思った。

 ……でも……

 出来なかった。

 前方の空間に、(さか)さ吊りになった異世界人たちが次々天井から()れてきた。

 一組、二組、三、四、五、六……天井から垂れ下がる異世界人の数は、どんどん増えて行った。

 ()けて通過しようにも、ジムニー一台分の隙間さえ無くなってしまった。

 停車するしかなかった。

 ドンッ……

 屋根の上に何かが乗る音が車内に響いた。

 いきなり、フロントガラスの(すぐ)むこう側に、逆さまになった異世界人の顔が現れた。

 三つある目が、無表情に僕らを見つめた。

 サトミが叫び声を上げ、フロントガラスから顔を背けて、僕の腕を強く握った。

 運転席側の窓にも、車内を覗き込む逆さまの顔が現れた。

 助手席側の窓にも。

 バックミラーの向こう側……リアハッチの窓にも。

 四方を囲まれてしまった。

 もう駄目だ……終わりだ。

 そう思った。

 その時……

 突然、センターコンソールに置いた通信機(トランシーバー)が『ズズッ』と短い雑音を発した。

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