30.
通信機から声が聞こえてきた。
『もうすぐ全〈守護者〉の同期が完了します』
男とも女とも、老人とも子供ともつかない、中性的な声だった。
……〈守護者〉?
いったい何者だ?
このトンネル内で同型の通信機を持っているのは、僕と梅塚だけの筈だ。
しかし、もちろん、受信した声は梅塚のものではなかった。
第一、ヤツの240Zはボロボロのスクラップにされ、ヤツ自身もインテユニ人と融合してしまっている。
通信機から話しかけてくる者が誰であれ、梅塚じゃない事だけは確かだ。
『我々は……』通信機の向こうで何者かが喋り続ける。『あなたたち〈人間〉が使用している機械類から発せられた信号波およびノイズ波を解析し、〈高速繰り返し多重学習アルゴリズム〉を使ってその通信プロトコルおよび言語を解読して、呼びかけています』
何を言っているのか、ほとんど僕には理解できなかった。
……要するに、通信を傍受して、僕らの話す言語を即興で分析し理解した……って事か?
『時間がありません』〈守護者〉と名乗る声は、さらに続けた。『我々の同期が完了しだい、全トンネル内を対象とした高シナプス一斉パルス攻撃を行います。全ての演算装置の動力を遮断ください』
ますます何を言っているのか分からない。
高シナプス一斉パルス攻撃?
全ての演算装置の動力を遮断?
(演算装置、ってのは、コンピュータか?)
コンピュータの電源を切れ……ってこと?
フロントガラスの向こうを見た。
逆さまになった異世界人の頭にある三つの目が、相変わらず車内の僕らを無表情に見つめていた。
左右の窓、そしてリア・ハッチのガラス窓も同様だ。
……突然、ジムニーを取り囲む異世界人たちの顔に、明らかに『苦悶の表情』と思われるものが浮かんだ。
四方の窓に逆さま張り付いたインテユニ人たち顔が苦しそうに歪み、小刻みに震えだした。
その逆さまになった頭部を吊っている首のところから、ヤツらの顔の上に何かが這い降りて来た。
……青い金属光沢を放ち……鋭く巨大な二つの顎と複眼を持った……
(ムカデだっ)
巨大ムカデの鋭い顎が、異世界人の頰といわず鼻といわず顔面凡ゆる場所に突き立てられ、そのたびに顔の肉が抉られ、血が飛び散った。
ジムニーの車内に座る僕とサトミは、ガラス一枚隔てた車外で繰り広げられる化け物どうしの狂乱から目が離せなくなっていた。
巨大ムカデと異世界人との闘いは、明らかに巨大ムカデの優勢、異世界人の劣勢で進んでいるようだった。
ジムニーに張り付いていた異世界人たちが、上方の暗闇に後退していく。
僕らは少しだけ落ち着きを取り戻し、ヘッドライトの照らす範囲全体を見渡した。
天井からぶら下がった何十人ものインテユニ人たち全員の体に、青い巨大ムカデが絡みつき大きな顎で肉を啄んでいた。
体にムカデの顎が突き刺さるたびに、逆さ吊りのインテユニ人の肉体が苦痛に悶え、くねくねと動いた。
『あなたたち人間の時間単位に換算して』再びトランシーバーからの声。『六十秒後に、一斉パルス攻撃を行います……全ての演算装置の動力を遮断してください』
『58……57……56……』
通信機の声が、カウントダウンを始めた。
通信機の向こう側から僕らに語りかけてくるコイツが敵なのか味方なのか……なんて、僕らに分かる筈もなかった。
『53……52……51……』
僕は、この『通信機の声』が味方であることに……少なくとも敵ではないことに賭けてみようと決断した。
「携帯の電源を切るんだ!」僕は助手席のサトミに向かって叫んだ。
「え?」
『45……44……43……』
「とにかく、電源を落とせ。四十秒後に、何かが起きる」
「あ、うん……わかった」
サトミがポケットから携帯を出したのを見届けて、僕は、ジムニーのスタート/キル・スイッチを押してエンジンを切り、自分自身の携帯を取り出して、電源を切り、ポケットに戻した。
(そうだ……アイパッドとマックブック……)
シートベルトを外し、座面の上に足を乗せて後ろ向きになり、バックシート越しに上半身を乗り出させて後部荷室の荷物の中からタブレットとノートパソコンを出し、運転席に座りなおして、まずパソコンを開き、画面内のシステム終了ボタンをクリックした。
シャットダウン・プロセスが始まったのを確認してパソコンの画面を閉じ、今度はタブレットをスリープから復帰させ、電源ボタンを長押しする。
『19……18……17……』
どうにか、このジムニーに積まれた全ての電子機器の電源を落とすことが出来た。
設計上、各種電子機器に内蔵された時計だけはメイン電源を落としたあとでも独自の内部電池と回路を使って動き続けている筈だ。
僕の腕時計もクォーツ式。
これだって、小型のコンピュータだと言えないこともない。
でも、それらは一般ユーザーの僕らにはどうしようもない。
これから何が起ころうとしているのかは分からなかったけれど、あとは運を天に任せて成り行きを見守るしかなかった。
バックシートに上体を預け、前を見た。
念のため、ヘッドライトも消した。
あらゆる電源を落とした車内は、本当に真っ暗闇で、何も見えなかった。
『10……9……8……』
「何が起きるんだろうね?」暗闇の中、助手席の方からサトミの声が聞こえた。
「分からないけど……状況が、僕らにとって良い方に向かう事を祈るだけだよ」
『5……4……3……』
あっ、この通信機の電源を落とすの、忘れてた……と思った。
『2……』
あわてて通信機を取り上げ、スイッチを切った直後……
トンネル全体が、いきなり、パッ、と明るくなった。
一瞬だけ、青白い光が閃き、その、眩しいというより目が痛くなるほどの光量に、僕は顔を下に向けて両手で覆い、目蓋をギュッと閉じた。
数秒後……恐る恐る目を開けてみる。
さっきの強烈な光の残像が抜けきらず、視界が青一色に染まって何も見えない。
そして……徐々に……徐々に……網膜が本来の機能を回復して、周囲のようすが見えてきた。
そうだ。周囲の様子が、見えるんだ。
自動車のヘッドライトを始め、すべての機械類の電源は落としたままだ。
だから、トンネル内は、本来なら真っ暗闇のはずだ。それなのに、周囲が弱く青白い光にボンヤリ照らされている。
「ムカデさんたちが、ボンヤリ光ってる……」目を開けたサトミが、フロントガラスの向こう側を見て言った。
サトミの言う通りだった。
このトンネル内を照らしている青白い光の正体は、壁といわず天井といわず、そこら中に張り付いた巨大ムカデの発光だった。
一匹一匹が発する光はそれほど強くなかったったけれど、巨大ムカデはトンネルの先の先まで無数に居て、そのすべてが発光しトンネル全体を照らすのに充分な光量を供給していた。
「私、虫って生理的に無理なタイプだけど、流石の私もこの光景は、ちょっと幻想的に感じちゃうわ」とサトミ。
確かに、青白い光にボンヤリと照らされたトンネル内は、考えようによっては、蛍の舞う洞窟のような、神秘的な雰囲気を醸していた。
「インテユニ人……だっけ」サトミが、天井を指さして言った。「みんな固まっちゃってる」
僕も天井を見上げた。
最初にこのトンネルに入った時と同じく、異世界人たちは化石のように固まって、ピクリとも動く気配は無くなっていた。
(安全になったのか? もうインテユニ人に襲われる心配は無いと考えて良いのか?)
ふと、電子機器類は大丈夫だったろうか、と不安になった。
試しにイグニッションボタンを押してみる。
何度かのクランキングの後、無事、ジムニーのエンジンに火が入った。
ポケットから携帯を出して、電源ボタンを押す。
電話会社のロゴが表示され、起動シーケンスが始まった。
(どうやら、コンピュータ関係は大丈夫だったようだな)
そう思いながら、左手首の腕時計を見た。
1月1日午前9時3分……
「え?」
あわてて、ジムニーのメーターパネルの時計を見る。
ノートパソコン、タブレット、ナビゲーション……どれも1970年1月1日午前9時数分過ぎを指していた。
「サトミ、ちょっと携帯を起動して時刻表示を見てくれないか」
「え? ああ。うん」
サトミがポケットから携帯を出して電源を入れた。
「あ……私の携帯、時計が狂っちゃってる……1月1日だってさ」
「やっぱりそうか……サトミのやつだけじゃない。全ての電子機器の内蔵時計が、1970年1月1日午前9時になってしまっている」
「1970年1月1日?」
「ああ。全ての時計が、UNIX起算時刻にリセットされている」
「ユニックス……何?」
「コンピュータの内蔵時計で一般的に使われている基準値さ。午前0時じゃなくて午前9時なのは、たぶん、グリニッジ標準時との時差のためだ」
「要するに、時計に内蔵されたデータがゼロに戻ってる……て訳ね? ゲームをリセットしたみたいに」
「そういうこと……狂ったのが時計だけってのは、不幸中の幸いだな。さっきの通信機の声の通り、全ての電子機器類の電源を落としておいて良かったよ」
そこで、通信機の事を思い出し、電源を入れてみることにした。
「カウントダウン終了直前……たしか『2秒前』の声で電源を落とした筈だから、生きてると思うんだけど……」
ズズッ……という御馴染みの音が、通信機のスピーカーから聞こえてきた。
続いて、例の中性的で無感情な声。
『高シナプス一斉パルス攻撃は成功しました。あなたたちの時間単位でおよそ三十七時間、インテユニ人たちは完全に活動を停止します』
「教えてくれ」僕は通信機に向かって言った。「あんた、いったい何者なんだ?」
『我々は〈守護者〉です』
「だから、その〈守護者〉ってのは何なんだ? 〈守護者〉っていうくらいだから、インテユニ人たちを守るのが、あんたらの役目なのか?」
『その認識は間違っています……全く事実とは逆というべきです……我々は、他世界からやって来た知的生命体から、インテユニ人たちを守っているのではありません……インテユニ人から、他世界の知的生命体を守っているのです』
「つまり、別の世界から来て、この奇妙なトンネルに迷い込んだ僕らのような者たちを、周りの壁を埋めつくすインテユニ人から守っている、ってのか?」
『そうです。それが我々に与えられた唯一の使命』
「なあ……あんた、いったい何処に居るんだ? 姿を現してくれよ」
『我々は、ここに居ます』
「ここ? ここって、どこだよ?」
言いながら、僕は、トンネル内を見回した。
金属質の巨大ムカデが発するボンヤリした光を頼りに、どこかに人影は無いかと探した。
……そして、気づいた。
「そうか、あんたたち、なんだな?」
僕は、壁や天井で青く光る無数の巨大ムカデのうち、一番近くに居た一匹を見つめて言った。
僕の視線に気づいたのか、見つめられたムカデが鎌首を持上げて、その青い複眼で僕を見つめ返した。
『そうです』無線機から声が聞こえた。
「ねぇ、どういう事?」サトミが僕に尋いた。
「このムカデたちこそが……この金属質の甲羅に覆われた巨大なムカデたちこそが……僕らにとっての命の恩人……〈守護者〉なんだよ」




