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美馬精神病学科のオンラインクリニック  作者: 端山 冷
第二消霊 『イマジナリーフレンド』
59/62

過去の遺物

「あのさ……、結局どうなったの?」


 ――あれから、


 ……アマネの記憶にある最後は、『目の前の悲哀を滲ませた少女に、ドデカい花瓶で後ろから頭をぶん殴られる』という場面だった。そこから先は暗転し、なにも無い。


 気付けばこうして夜が明け、朝になり、後ろ手に手を縛られて椅子に座っていた。


 遠慮なく殴られた頭は未だにズキズキと痛みをアマネに訴えてきている。が、先程目覚めた時分よりも、痛みも気分も幾分マシになってきていた。

 随分とおっきな花瓶で遠慮なく殴られたものだが、()()も意外と大胆、と言うか何と言うか。――大人しそうなのは見た目だけ、という事はだいたい共同生活で分かっていたはずだったが……。


 まあ何にせよ、こうして死なずにピンピンしているところを見ると、自分も意外に頭の造りは固かったという事だろう。石頭に産んでくれてありがとう、と両親に感謝でもすべきだろうか。


(それにしても彼女が『内的自己救済者』。あと『アイ』を司る?『愛』か、『I』か、それとも『哀』? ようは……あたしにとっての『()』と同じ、ってことか)


 ならば知っているはずだ。

 

 おそらく、アマネが戦ったのはこの彼女ではない。しかし、目の前の彼女が、真に『内的自己救済者』と言うのならば彼女は知っている。今まで美禮がしていたこと……他の人格がしたこと、その全てを覚えている……把握しているはずだ。


「……」

 

(しかし、あの花瓶はきっと割れてしまったのね。結構なお値段のしそうな、美しい花瓶だったのに)


 ――もったいない。


 なんとなくフワフワとする思考の元、そんな事ばかりが気になっていた。考えごとをするアマネに対して、いつの間にか沈黙していたはずの美禮がどこか痛みを堪えるかのような面持ちになっていた。


 ――ああ、何故そんな、と尋ねる前に告げられる。


「やはり、覚えてはいないのですね」


「へっ? なにを?」


 思わず間抜けな表情でそう呟くアマネの顔を、何かを探るように眉根を寄せた美禮がじっと見つめてくる。何故か居心地が悪く感じるその視線に、アマネは次第に目を伏せていた。


 すると、


「申し訳ありません」


 伏せた目線のさらに下、カーペットにまでついてしまいそうなほどの位置で彼女の長い黒髪が流れ落ちるのを見た。


 目の前の美禮が、深々とアマネに頭を下げていたのだ。


 咄嗟に両手を突き出そうとしてアマネは無意味に椅子をグラリと揺らす。前方へと椅子ごと転がりそうになる体をなんとか整え、慌てて頭を下げ続けている美禮を止めようとする。


「ええっ!? あの、もういいって。あたしもちょっと、本気で殺しにかかっちゃったし。ちょっと可笑しくなってたしさー」


「いいえ、違います。そのことではなく――」


 彼女は一旦、頭を上げて姿勢を正した。その姿にアマネがホッと胸を一撫でする間もなく、視線をゆらゆらさ迷わせると決心したかのように美禮はキッと前を見つめ、目前にあったアマネの瞳を真正面から覗き込む。


「――貴女を気絶させた後、私は貴女を椅子に縛りつけました」


「ですよね~」


 そんなまったく驚かない事実を真剣に言ってのけた彼女には、その縄を解き、アマネを自由にする気はサラサラ無いらしい。


「そのあと、()()は貴女を起こしました」


「……ん?」


 ――起こした? あたしを? 誰が……。


 『先生』……美禮が言う先生ならば、きっとこの世には一人しかいない。あの男――黒い白衣を纏った医者『美馬隆二』だ。


 だがしかし、そんな事、まったく覚えていない。


 けれど、そう言えばそうだ。

 ここにはいつの間にか、あの男の姿が消えている。


 かなり重要なことなのに、なぜかアマネはそれを気にも留めてなかった。まだ頭を殴られた後遺症が残っているのだろうか。なぜか、虫食いのようにどこか不明瞭で曖昧な部分がアマネ(自分)の中に存在することをこの時、はっきり自覚する。


 美馬隆二から最後に聞いたあの言葉、『美馬精神病オンラインクリニック』。

 つまりはあれは本物――生身の彼ではなく彼の影。VRで写された姿だったのだろう。


「……そう言えば、あたし、見たことなかったのよ。VRの診察室」  


 ――はじめて見た。

 ポツリと呟くその言葉に、美禮は悲しそうに言葉を返してきた。


「多分、ワザとだと思います。貴女を欺くため、ずっとあえて見せないようにしてきていたのだと。それに、貴女は無意識に……あの場をどうしても『病院』としてしか見てこれなかった」


「そうか…………そうね」


 その指摘はストンと腑に落ちた。


 アマネは幼き日からずっとあの場に通っていた。それこそ、アレがクリニックという名になる前から。そしてクリニックと名が変わってからも――アマネは自身が大人になった後も、ずっと変わらず通い続けた。

 患者から従業員に――。たしかに大きな変化を迎えていたはずなのに、しかし自分の中ではあまりに過去の出来事が大きかったためか。途中からその本質までもが大きく変わり果てていた事に気づけずにいた。


 美馬はアマネのそういう部分を知っていた。

 その甘さ、その弱さを。

 そしてそれを知っていて、さらにアマネが自身の脆弱さに気づかないよう上手く彼女を誘導してきた。


 多くの黒屍病患者を次々と闇に葬ってきた、凄腕捜査官『宮田アマネ』の弱点。


 それは過去の痛みを忘れられない、という事。そして、それにも関わらず決してその痛みに向き合おうとしない……今まで自分自身から逃げ続けてきた彼女自身の自業自得とも言える、たった一つのミステイク。それが最後になって、こんな形で喉元に突きつけられた。……そういう事なのだろう。


「貴女は此処に来てから先生と私をずっと疑っていた。監視もしていた。でも、それは貴女が私たちから離れた場所にいた時だけだった」


「ええ、そうか。だからか……」


 彼らがアマネの行動範囲から消えた時、その時はもう一つの目『IF』でずっと見つめていた。しかし、彼らが傍にいる時、己の目に見える範囲にいるのならば自分には対処ができる。そう過信して監視の目を外した。そのわずかな死角を、あの男は突いてきた。


「貴女はすぐ隣の部屋で、夜中に私が先生と診察を……指示を受けていたことは知らなかった」 


「まったくね。その通りだわ」


 思わずあ~あ、と天井を見つめた。

 灯台、下暗しとはこういうこと。


 入口を見張り、彼らが部屋にいるだけで安心していた。

 とは、我ながら馬鹿馬鹿しい。


「なっにが、凄腕捜査官なんだっつーの」


 自嘲して己を笑ったアマネに対して、美禮はなおも何か告げようとする。

 まさかこれ以上の事実、今以上の醜態が他にもあるとでも言うつもりだろうか?


「先生に起こされた貴女は、つい先ほどまで催眠を受けていました」


「…………Why?」


 さいみんさいみん。……催眠? 催眠療法のことだろうか? 確かそれは過去にその危険性を説いて聞かせたはずだ。


 アマネが、

 目の前の彼女に対し、

 今この場所で。



「それで……過去のことを……。貴女も忘れていた、貴女の過去の話を聞きました」


「なんですって!?」


 過去のこと? あたしも忘れていた過去のこと??


 でもだからか。だから、私は思い出したのだ。

『あの森』であった出来事を、今になって思い出した。


 いや、違う。

 アレほど大事な記憶を、ようやく取り戻したのだ。

 どうしてあたしは、あんなにも大切な自分の一部(過去)を忘れたままで、今まで過ごしてこれたのだろう。


 ――あの森の、あの湖の畔であったあの出会いこそが、今の『宮田浹』を運命づけたと言うのに。


「先生はずっと、少しずつ催眠を貴女に施していた。違和感に気づかれないよう、少しずつ、最新の注意を払って貴女の色んな部分を削ってきた」


「そ、それは――」


 真実だ。

 何故なら――。


「でもそれは、貴女が望んだからです。貴女が最初に彼にそう望んだ。そう――、()()()()()()()()()()()


 その通りだ。


 ――私は、その()()()を思い出していた。


 あの日、あたしは縋ってしまった。

 あの男の手に――『間違った方法』で助けを請うた。


「あたしは、娘を守るために……自分自身から娘のアカリを守るために、『彼女(アカリ)』と『(ハジメ)』の記憶を消して欲しいと、願った」


 あの男はそれを叶えた。

 慎重に大胆に、……最も()()()()()で。


「貴女は一枚一枚、薄皮を向かれるように()()()にその身を晒した」


 その声にハッとして前を見る。


 ……炎が見える。

 かがり火のように揺らめく炎。

 それは彼女の――美禮の瞳の中にあった。


 今までと違いハッキリとした憎しみの色を瞳に宿す美禮。それは男へと、『美馬隆二』へと向けられていた。ユラユラと揺らめく怨嗟の火を黒い瞳の中に閉じ込め、悪鬼のような顔で美禮は言う。


「私も同じです。あの日、私は『美禮』のために、あの男に縋っていた」


 だがそれは、間違った行いだった。


 何故なら、あの男が救うのは『黒屍病患者』以外だけだ。(ハナ)からあの病院……、クリニックを訪れた時からすでに病を発症させていた美禮には、縋っても与えられるのは救いではない。


「貴女のことは、貴女と知り合う前からすでに聞いていました。先生は貴女のことを――、『DID』になれなかった紛い物の『MPD』だと」


 『MPD』多重人格障害。かつての『DID』、解離性同一性障害と呼ばれる前の名称だ。今は使われることのない言葉。あたしは『MPD』の紛い物…………?


「そうだ。あたし、本当は……」


「本来の貴女は『MPD』でも『DID』でもない。ただの『IF』……イマジナリーフレンドという、誰もが持ち得ることが有る『空想上の友人』を創り上げただけの……ただの普通の少女でしかなかった」


『IF』を創りあげる子供たちはいる。寂しさからか、昔も現在も他人には見えない者と密かに内緒の遊びにふける子供たち。

 しかし、それは決して悪ではない。ましてや精神疾患でもなく。それはいずれ大人になれば治まる、優しい子供たちの流行り病のような『モノ』。だが――、


「あたしは、あたしが創ったイマジナリーフレンドの(ハジメ)原型(オリジナル)として、『美馬先生』に最初の人格を創られた」


 そして、その創られた人格を元にして、さらに多くの人格を造り上げていった。



 ――『医原性』

 医療を元にした病。



 あの男は故意に私の中を引き裂き、人工的にアマネを多重人格者に仕立て上げた。かつての私は間違いなくあの男、あの悪魔の様な医師の実験体のひとりだった。


「貴女が『前の美馬先生』に目をつけられたのは、たまたま『特別、空想傾向が強い人間』だったからです」


 それは人口の4%程度はいる、特別、空想傾向が強い人間。


 例えば『赤毛のアン』。

 幼いアンは日がな一日空想に浸っている。彼女は創作された人物だが、実際に彼女のような者はいるのだ。目の前に現実よりも瑞々しく、鮮やかなファンタジーを創り上げることの出来る人間。それがあたし『アマネ』だったのだ。


「あたしはお爺様の前で『イマジナリーフレンド』であるハジメと遊んでしまった。そして、お爺様はすぐにあたしを懇意の医者に預けた。――お爺様は、あたしが狂ってしまったのだと勘違いしたのだわ」


 噛みしめた唇からは鉄臭い香りが漂う。


 ――なによりも古き尊きを崇拝していた祖父。

 彼は心の底から、『古い考え』しか持ち合わせていなかった。すなわち、『狂った孫娘』を恥と見做し病気と見捨て世間の目から『隠した』。


「あ……ああ……」


 その結果がこれだ。

 私の手はもはや真っ黒。

 娘とも夫とも、この世の誰ともつながることなど許されなくなっていた。




「そんな……あたしは……」


 忘れなければいけなかった。

 忘れていなければ、いけなかった。


 そうしなければ、この身の内に宿るドス黒い炎を止めることなど決して出来なかったのだから――。

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