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美馬精神病学科のオンラインクリニック  作者: 端山 冷
第二消霊 『イマジナリーフレンド』
56/62

最後の慈悲

「なんなのっ!? これは……っ!!」


 叩き落されたシャンデリアの下、ガラス片を体に深く突き刺した数名のモノたち――……

 それらの蠢く姿が目に飛び込んできた。


 フロアから二階へと続く階段の踊り場。

 そこに敷き詰められた真っ赤な絨毯の上で、ひっそり佇んでいたはずの女の影が揺れていた。


 咄嗟に自分の両腕で顔を覆っていた()()。その前を覆いつくすように舞い散っていた白い砂塵が、ようやくジリジリとその姿を薄れさせて消えていく。


 良好になったはずの視界の元に晒されるのは、思わず目を覆いたくなるような血の惨状。

 しかし、彼女はソレを忌々し気に見下ろしているだけだった。彼女にとってソレは、ただの自分の家畜たちの醜態現場に過ぎず、楽しいと同時に歯がゆさがあった。


「これはっ、なるほど……。確かに『先生』が気をつけるよう言ってきただけの事はありますね……」


 ――アレを、決して侮るなよ。


 男の囁きがミノリの耳元で蘇ってくる。


「……」


 動く影のようにユラユラと覚束ない足取りのままこちらへと向かって来る女。その黒いシルエットを見つめ、しばし赤く染まった唇を噛みしめていた烏水美禮は、ただ茫然と立ち尽くしていた。




 先程、宮田アマネが叫んだ直後に何か大きな白い靄のようなモノが……、天井にあるシャンデリアを上から叩き落した。そして今、その()()()()()()()は、()()()()()()()()に分裂してフロア中に散らばり、ミノリの家畜たちを順々に襲い掛かろうとしていた。


 見たところ、家畜たちの中には、『その何か』に対抗出来るモノはいない。



 なにしろ、

 ――明らかにスピードが違い過ぎる。



 まさしく、飛んで回って襲い掛かってくる極小の羽虫のような『何か』。彼らの両手は今や鎌のように鋭い刃と化し、その存在を小型破壊兵器へと転じている。

 見た目だけならとても非力そうな訳の分からないモノたちに、美禮の用意した多くのノロマな木偶たちがアッサリ仮面を二つに割られて再起不能となり床へ倒れ伏す。


 その光景を歯噛みしながら美禮は、此処からただ眺めるしかない。


 壊れていく世界を。


「……くっ……!」


 ミノリの蟀谷に冷たい汗がつたう。重い瞼がゆっくりと下りてきて、暗い輝きを放つ瞳を奥へと隠す。


 ほんの数秒の瞬きを経て、チラリと……彼女は背後に向けて視線を送る。


 ――――。


 物言わずその場所に控えていたのは、『万の豚共』よりも数倍も頼もしい()()()()


「うっ……」


 紅黒く色づいた下唇を噛み、そっと口から吐息を漏らす。


「うっ……、ふふ」


 バタリ、バタリ。

 目の前で次々倒れていく白い面。


 その仮面の群れを、どこか胸がすくような思いで見つめながら彼女は、火照る体を自分の両手で抱きしめていた。

 

「……く、……やく、……はやく、早く早く早くっっ!!」

 

 ――()()まで、来てっ!!


 高鳴る胸の鼓動を感じながら、ミノリは数分後のミヤタアマネを想像して、身悶えていた。



 ――ああっ、楽しい……。


 私が産まれたのは、今、この瞬間のため。

 この楽しみのため。それだけでいい。


 ――楽しい。……もっと、もっと、楽しくなりたい。


 それだけだ。

 それしかない。


 『楽』という感情のみを与えられた彼女は、『楽』しか感じとる事が出来なくなっていた。


 ――さあ、もっと。もっとよ、もっと楽しませて頂戴! アマネさんっ!!


 今だけ。

 今だけしかない。

 だから、もっと、もっと、楽しまなくてはならない。


 今後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。



「それで、いいんです」 


 そうやって、彼女は心から楽しそうに微笑んでいた。





 一方、アマネは――。


「楽勝ね」

 

 あっという間に形勢逆転した室内を見回し、トントンっと踵を二回床へと打ち鳴らす。


 勝利宣言……と言うには些か気が早いだろうか? しかし、この現状を今からひっくり返すのは何大抵ではないだろう。それこそ、ミノリ側によほどの隠し玉でも無ければ無理だ。

 そうアマネが確信できるほどに、ほぼこの場はイマジナリーフレンドたちの独断場と化していた。


 それに、今この場を支配しつつある醜悪な妖精たち……。彼ら『IF』たちはアマネにとっても全力、彼女が持ちうる全てであった。通常は夫の輝・娘のあかりの両名の傍にて、万が一のお守り替わりにくっつけているモノたちすらをも呼びつけていた。まさにこれはアマネにとって、決死の覚悟で挑んだ最後の戦い……。


 それが故、この圧勝を見るのは気分がいい。

 ……はずなのだが。


「なんだか、あっけない……わね」


 ――ツマラない。


 すっかり手持ち無沙汰になった彼女の右手が、目の前を塞ぐ煩わしい一房の髪束を掴まえ、後ろの方へと撫でつけてゆく。

 あまりの手ごたえの無さと、一瞬で勝敗を決してしまった自分の分身たちの活躍に、ついつい気の抜けた声が彼女の口をついて出る。


 目の前を猛スピードで横切るこの小さな妖精たちは、時に仮面を割り、時に眼玉を抉り、時に耳から侵入して内側から奴らを破壊していっている。


「アレは死体……アレは死体。うん。だから、壊してもいい」


 自己に言い聞かせるように、繰り返し頷く。

 本来、『IF』は単独で人を殺しきるほどの殺傷力は持ち合わせていない。だから、既に死体は兎も角として、生きている者の命までは奪っていないはず。まあ、体に障害は残るかも知れない。だが、此処でミノリに解体されるよりは、よほどマシなはずだ。


 そう自己に言い聞かせるようにして、目の前の一方的な殺戮現場を俯瞰する。

 むろん、アマネとてソレが自己暗示にも満たぬ欺瞞と知っている。


「……」


 ギュッと、皮手袋に覆われた手を丸めて拳を握った。

 ギシリと、心の何処かがヒビ割れていくのを感じる。


「……」


 アマネは一歩、前に進む。

 白い仮面を踏み砕き、屍を乗り越え、前へ前へと進んで行く。


「……まだだ。まだ、死ねない」


 決して、死ぬわけにはいかない。


 この『真夜中のピエロ殺人』を片付けたら――。



「守るから」


 ベシャリ。


 頬に何か生温いものが伝って落ちる。

 いつの間にか、手の中にあったいつもの小銃を握りしめていた。それを無意識の内に、床で呻いている仮面の外れた男の眉間へと打ち込みながら、アマネは目指す頂へと歩みを進める。




(今後こそ、私のたった一つの『星』を、守って生きると決めたのだから)


 ――私には、帰るべき場所がある。


 例え、そこに私の居場所が()()()()()()()()のだとしても、()()()()()()()()()()()


「地獄に落ちたとしても、私が守るから」 

 

 ――そうだ。

 それが、いい。



 (()()()()()()()()()()()()()()()



「邪魔モノは、全部壊せばイイ」


 この彼女も、あの彼も、消してしまえばいい。


「私は『ゼロ』――」


 だから、触れるもの全て消してゆける(ゼロに出来る)







「うふふっ、待ちくたびれてしまいました。ミヤタアマネさん……」


 二階へと続く真っ赤な階段の踊り場で待ち構えていたのは、そう言って微笑む彼女だった。その微笑みは、今までミノリが浮かべてきた狂ったモノとは少し違い、どこか慈愛すら感じとれる。


「でも間に合ってくれて良かったです。今夜のお楽しみは、本当はこれからなんですよ」


 ――いい顔に、なりましたね。


 優しく微笑む彼女の手が、そっとアマネの頬に触れた。


 彼女は目の前にいる脅威に対し、何の怯えも恐れも見せる事はなかった。それどころか、今までにない熱量を視線に込め、うっとりとアマネを見上げて囁く。


「……私、ずっと貴女にお会いしたいと思っていたのです」


 オカシナコトを言う娘。

 ずっと一緒に暮らしていたのに、何故そんな事を急に言いだすのか。


「ほら……、ちゃんと見せてください……」


 彼女の白い手が頬から離れ、下へと降りてアマネのソレに触れる。

 アマネが拒絶しないのをいいことに、彼女はそっと手に取り、そして黒い嘘に覆われていた真実を暴いた。


「うふふっ、私たち――」


 ――『()()()、ですね』


 パサリ。床に落ちてゆく手袋。


 宮田の真っ黒に染まった手の平に、紅い頬を近付ける女。


「……」


 それを冷めた視線で見下ろすアマネの顔には、侮蔑の笑みと黒い線が差す。


「違うわよ」


 その温い体温を感じる前に、アマネは手を横に払っていた。

 アマネが見せた初めての拒絶に、それでもミノリは喜悦の笑みを浮かべる。


「私とミノリは違う。私は、もう殺しはシナイ。アンタで最後……、いいえ。アンタと、あの男デ最後ヨ」


 そのために、もう一度自分を創って(失って)も構わない。

 今度は自分の手で引き裂き、そして葬り去るのだ。


(――簡単なことだわ……。

 『先生』のやり方、ずっと近くで見ていたもの……)


 いつの間にか目の前にいる狂女の両手は彼女の胸の前で組まれており、それが敬虔なクリスチャンの祈りの仕草に似て見えたのが滑稽で、アマネは少し笑う。


 それから目の前の聖女は、鈴の鳴るような声で訊ねてきた。


「……そうやって、貴女は生きてゆくのですか?」


「ええ、そうよ。もう、……家に帰るわ」


 ――そうだ。帰ろう。


 あのちっぽけで、古臭くてかび臭い、……それでも大切な人が居る場所へ。



 そう返した瞬間、ミノリの顔から『楽』が消え失せていた。

 反対にアマネの瞳は大層愉快そうに細められる。


 視線の先にあるのは、彼女がかつて夢見た幻。


 暖かい幻想――、まだ壊れていない、壊しきっていないから、きっとやり直せる。

 


 そう前を向くアマネの眼前で、再び狂女が口を開く。

 



「貴女が帰っていい場所なんてありません。――ココ以外は」


「勝手に決めつけないで欲しいわ。アンタには関係がない」


 告げられた言葉はアマネを白けさせるに十分なシロモノだった。まるで説教でもするかのような口ぶりのミノリが可笑しくて可笑しくて、アマネは堪えきれずに噴き出していた。


(――いつ、アンタと私の立場が逆転したわけ? 

 フフっ、偉そうに……笑えるわ)




「貴女はそうやって……」


 女の顔が下を向く。

 耳にくぐもった声が届く。


「貴女はまたそうやって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 貴女がそうやって自分から逃げたから、今、こうなっているのですよ」


「……」


「貴女は死ぬべきです」


「……さい」


 顔を上げたミノリの目とかち合う。

 哀しみに少し曇った黒い瞳。


 その理知的な目を見た瞬間、アマネはどうにも我慢がならなくなった。


「ココで死ぬべきです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その報いを今、受けるべきです」   


「うる……さい」 

(なんで……)


「私が着いてゆきます」


「うるさいっ……!」

(どうして……)


「私も共に逝きます」


「うるさい、うるさいっ!!」 

(ろくに知りもしないくせに……どうして)


「怖くはありません、私にはもう、怖いという感情はありません」


(どうしてそこまでして、こんな『私』を思ってくれるのか?)


 貴女も、アカリも……。



 いつの間にか、目の前の『彼女』は『彼女』になっていた。

 笑えない彼女。不器用な彼女。

 いつも一人、静かに窓辺で読書をしていた彼女。


 一緒に暮らした、聡明な彼女(イブ)


「貴女は何度やり直しても、決して逃れることが出来ない。忘れられない。……娘にその名を付けた瞬間(とき)からずっと、貴女は逃れられず忘れられず、必ずまた破滅する運命なのです。そしてまた罪を犯す……」


 ――導きの声。

 かつて聞いたことのある正しい答え。


 それが告げる。


『お前は決して正しくはない』と――。


「うる……さい、うるさいっ、うるさいうるさいっ!! 違うっ!! あたしは上手くやれるっ!!」

(だって、それは私のせいではない)


「出来ません。だって貴方は、『黒――」



「――黙れっっ!!」

(私は悪くはなかった、誰だって悪くはなかった。だって、悪いのは――)


 ミノリの眉間に押しつけられた小銃。その中に込められたのは果てしなく長い、彼女の後悔(クイ)


「もうお願イ! 消エテッ!!」


 懇願するように泣き叫ぶ。

 

 その時、確かに彼女たちは同じだった。

 向かいアワセの鏡のように、そこにあったのは深い『哀』しみだけ。 


 向かい合った彼女たちの片方の輝きが消えた。

 そっと、ミノリが瞼を伏せる。

 

 自らの意志で瞳を閉ざし無防備に差し出された命を前に、アマネの構えた銃口がブルブルと大きく揺れ動く。 


「……うっ……、ぐっ!」


 震える両腕でそれでも宮田アマネは銃を構える。そして、自らも目をつむり引き金に力を込める。




 カチリ。


 ――と、そこに、耳元を幽かな機械音がかすめた。




 次いで、ブゥオンと部屋中に低い唸り声のような低音が響き渡る。



 そして、次の瞬間、よく知った甘い声

 今度はそれがハッキリ聞こえた。


「盛り上がっているな、しかし――」





『 勝手に、終わらせるなよ。 』




 ――景色が変わった。



 いつの間にか、アマネは白と黒のタイルの上に立ちつくしていた。


 目の前に見えるのは、もはや彼女の姿ではない。


 知っている。

 それはアマネもよく知っている人物――




『こんばんわ、午後ぶりだな。ハッ……、随分と見違えてしまったようだな』



 

 ()()()()()()()()()()()()、美馬隆二がそこにはいた。


 彼は白と黒のタイルの上、椅子に座りこちらを見上げていた。




 ――彼が嗤う。


 ――顔を見て嗤う。

 嘲笑う。

 私の顔を、アマネの顔を、


 暗闇の先を覗き込んで、私たちを嘲笑っている……。





『ご機嫌はいかがかな? ……二人とも、もう茶番は終わらせたんだろうな?』



 そう軽やかに言ってのける彼は、腰かけた椅子の上ゆっくりと長い足を組み替えてみせた。ギシリと椅子が軋む嫌な音が耳に残る。


 そして、彼は長い足同様、すらりと伸びた両手を大きくこちらに向かって広げ、ニンマリと唇の端を吊り上げ笑いかける。



 

 ――サァ、診療の時間だ……。




 その口元は、相変わらず酷く歪んでいた。



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