囁き
「――」
静寂が辺りを包んだ。
彼女が去ったこの部屋からは、一切の物音が一緒に消え失せてしまったかのよう。
「……まさかな。ククッ…………笑えるな。『さよなら』か」
その言葉、口にするには随分と遅すぎた。
「……で、君はいつまで盗み聞きを続けるつもりだ?」
「ウフッ、行っちゃったわね。あの子」
――よかったのかしら?
女の声が聞こえる。その、絡みつくような粘り気のある声が耳を撫でてゆく。
何処からか姿を現わした女が、隆二の前に立って問いかけてきた。
「悪いヒトだ。はしたないな」
女のほうを見ることもなく、天井に映るシミのようなものを眺める。両者は互いに互いの問いには答えず、それでも言葉を交わし続ける。
咎める声に対する女の返答は含み笑いだった。
「だって……」
攻撃的に整えられた女の長い爪先が、一筋赤く染まった髪をすくいあげた。女は、自らの髪を弄ぶようにいじりながら、腰をくゆらせてこちらに近づいて来る。
「出て行け、とは言われたけれど。話を聞くな、とは聞いていないもの」
アイツの気配がした時点で、隆二はこの女に部屋から退出するよう告げていた。
「ククッ……。相変わらずだな、まったく。この部屋はよく聞こえたか?」
「ええ、バッチリ」
近づいてきた女の細腕が首に巻きつく。
完璧な防音が施されたこの部屋は、あるいは筒抜けのブラックボックスでもあった。
スパイ天国のこの国、日本。
霞が関でさえも日夜垂れ流され続けている秘密の数々が、この『警視庁長官』の部屋においてだけ、どうして守れようか。本庁のそこかしこに仕掛けられた、どの国の誰が、と考えるのも馬鹿馬鹿しい程の無数の盗聴機たち。それらは年々進化を遂げてゆき、退化著しい我が国は現状、恰好の餌食となり果てている。
「(まあ、この女の盗聴器を仕掛けた目的は、数ある中でも最も下衆な部類のものだろうがな)」
歪んだ唇を赤い舌が舐めていく。
「俺の頼み事は叶いそうかな?」
胸元にはってきていた女の手を取り囁くように尋ねる。が、女のほうはそれがお気に召さなかったのか、つれない態度に変わる。
「何の頼み事のお話かしら? それってまさか、私の『神捜研』への復帰の話?」
「ああ。君も聞いてのとおり、恥ずかしながら人材が不足しているんだよ」
暗に女が盗聴で知っただろう事実――『宮田アマネ』の戦線離脱をほのめかす。
「それって、貴方が選り好みしすぎなのが原因じゃないの。ともかく、私の答えは前に言った通りよ。でも――」
女が体重をかけてのしかかってくる。それを難なく受け止めた隆二の耳元にそっと真っ赤な唇が寄せられる。
「貴方の願い事は、叶うわ」
吐息と共に囁かれたその言葉は、隆二にしか聞こえなかった。それを聞いた隆二は、捕えていた女の手にキスを贈る。そして、自由になった白い手は、ひっかくようにシャツのボタンを外していく。数分前に着直したはずのシャツがはだけていくが、男の顔は満足そうだった。
「なるほど……。どうやら俺の願いは、150%叶ったらしい」
褒美のように、隆二は乗り上げてくる女の細い腰を掴み強く引き寄せていた。




