所詮、そんなもの
「ちっ、逃げんなウゼェ!!」
――ドス ドス
舌打ちを一つ、釘は二つ。宮田はそれらを同時に口から放つ。
「グッ……くそっ!」
黒屍病の男は、唇の端に滲んだ血と悪態を草むらに小さく吐き捨てると、背後より迫りくる追跡者から一歩でも離れようと足を動かす。男が動くたび、引きずられた右足からポツリ、ポツリと赤い玉が落ちていく。
そんな男の背を見送り、伸びをするように頭に両手を回した宮田は、首を小さく左右に振ってボソリと呟く。
「あーあ。一つかわされた。マジ、ムカつく……」
黒死病の男は必死で逃げている。だが、いかんせん、足に怪我を負ったその歩みは亀のようにノロマで愚鈍。
宮田は、追いついてしまわないように歩調を緩めてゆっくりと後を追う。夜空を見上げ、口笛を吹きながら歩いていたらいつの間にか、前を行くはずの男のすぐ鼻先まで迫っていた。
……否、男がその歩みを止め、宮田を待ち構えていたのだ。
「ああ、もう観念した? 可哀想に。逃げるだけ無駄だったね、おっさん」
宮田は片足の爪先を地面にトントンと、二度打ち付けた。
小馬鹿にした態度で、弱った獲物を甚振るようにせせら笑う。
随分と頑張って逃げてきたようだが、結局こうして捕まってしまっては意味がない。これなら最初から諦めて無抵抗のままでいれば良かったのに。その方が痛みも苦しみも少なくてすむ。
宮田は同情するような目で男の方を見たが、その視線を受けた方はまだ決して先を諦めておらず、爛爛としたその瞳の奥にある戦意は未だ健在であった。
「……観念だと? ふざけるな!! 観念するのはお前のほうだ!」
そう声を荒げて言うと、男は両手を大きく広げて血走った眼でこちらを見据える。一方、宮田の方はと言うと、土壇場で逃げから戦うことに切り替えた男にため息と、そして若干の呆れを込めた冷たい視線を送っていた。
「はぁ~、おっさん。戦うんなら、もうちょい早くやりなよ」
遅いよっ、と口を尖らせ不満げな幼い姿を晒す相手を前に、男はますます頭に血を昇らせると口の端から血と泡を飛ばして口汚く叫んだ。
「ガキがっ!! ぶっ殺す!!」
満天の星空の下、男のヤル気充分な声が辺りに響き渡った。その大声を首を竦めて聞いていた宮田は、すでに戦意を喪失した萎えた態度に変わっていた。
「死ねっ!! 死ねっ!! ……あれっ!?」
宮田は両手をダラリと下げて、手ブラでただ突っ立っていた。
その汚い口よりも能力の方を動かして欲しい、そう願いを込めて男を見守っていたのだが、それも無理な相談だろう。すでに彼は、奴の術中だ。
「……」
「あれっ、あれっ? ちょっと待って、おかしい。おかしいからっ!!」
「……うざ」
男の威勢の良さは、すぐに萎んだ風船のように抜けていった。
大の男が涙目で待ってくれ、と請う光景は、何度見てもうんざりさせられる。
彼らは弱い。元々が弱いのに勘違いをして増長する。しかし、こうして折られると瞬く間に彼らは弱る。それはもう、そこらの蚊トンボよりも弱くなる。
――イジメ、絶対ダメ。
数回だけ行ったことのある学び舎に飾られた、色褪せた紙に書かれたスローガンなんかを思い出し、宮田はもう一度深い溜息を吐いては両手を再び頭の後ろへと伸ばす。
両者ともにどこか途方に暮れた雰囲気が流れたところで、ふと、耳に聞きなれた声が届く。
「まだだったのか、早くしろ」
黒い学ラン姿で茂みを掻き分け現れたのは、やや垂れ目気味だが端正な顔立ちの少年だった。彼はきっちり顎下までとめられている襟元を窮屈そうにいじりながら、何時もと変わらぬ素知らぬ顔で宮田の横へと並び立つ。隣の少年の顔を見て、暗かった宮田の表情は少しだけ明るく変わったが、すぐに拗ねた声をだして言い訳するように弁明をした。
「だって、このおっさん。最期に何かしたかったみたいだから」
「何かって、何を?」
「さあ?」
おっさん、そう呼ばれた惨めな男は、自分の身に起きたことも分からずに地べたに蹲ったままだ。その姿を眺めて、少年は口許に手をやり小首を傾げてこう言った。
「明日はたしか……アマネの期末テストがあるんだろう? 早めに切り上げてやらないと大変だぞ」
その言葉にカチンと来て、瞬間、この少年に懐のものを投げつけてやろうかと思った。が、しかし、実際に投げつけたのは文句の方だけだった。
「うざっ! どうせ俺には関係ないし。もうちょっと楽しませろよ。お前のせいで今回、全然俺に出番がなかったじゃねーか」
「そうは言ってもな……。ここからどう楽しむつもりだ?」
まだ諦めずに何かを出そうと必死な男の形相を見やり、二人同時に顔を見合わせる。宮田は頭をガリガリと掻きむしると、やたらぶっきらぼうに病院の跡取り息子に向けて小さく言葉を吐き捨てる。
「あ~あ、つまんねえな。ヤル気なくなったわ。やるよ、お前にやる。ソイツ」
「いや、いらないよ。ちゃんと最後まで始末をしておいてくれ」
「え~~、やだなあ」
そう言いながらも懐からは二本の釘を取り出す。そして弱り切った獲物の上に乗り上げると、抵抗をする男の両目にブスリと長く鋭いそれを突き刺し、あっさりとその命を終わらせてやった。
絶叫は存外短く終わり、周囲の草むらからは小うるさい夏虫たちの囁きが戻ってくる。
「あ~~、クソっ。もったいねえ!!」
死体になった男をまたいだままの恰好で両手を握り悔しがっていると、右肩に優しく触れるものがある。振り返ると、そこには少し困った表情の少年がいた。
「まあまあ。また今度があるからさ」
慰めるように言われるが、それでも一向に気分が晴れることはない。
「今度かぁ……。今度ねえ……。なあ、リュージ。あと俺、何回こうしてられるの?」
呟き、縋るような瞳で訴えるその姿は、傍から見ればとても弱々しく映ることであろう。それは、先程まで醜く逃げ回ったあげくに無様に殺された男と一緒であるかのようだ。
口元を覆い隠すように手を当てた少年が、首をかしげて何でもない事のように言った。
「ん~、俺には分からないけれど。多分、もうすぐじゃないのかな?」
「そうか。やっぱり、そっか」
優しく言われたその言葉に顔を曇らせたのは一瞬で、宮田はヒラリと地面に下り立った。観念したような表情で頷いた後、俯いたまま目の前にある黒い学ランにそっとしがみつく。
「なあ。そんときはお前、近くにいてくれるんだろう?」
「もちろんだよ」
優し気に微笑む少年に両手を握り込まれる。
安心などしない。だが、その温かい温度に一人よりはマシかと思えた。
「じゃあ、……また」
目を閉じると、溶けるようにいつもの暗いところに意識が落ちた。
「……気持ち悪い」
「ああ、君はアマネか?」
目の前の少女が小さく頷いた。そして、繰り返す。
「気持ち悪い。――手、離して」
「ああ、悪かった。ゴメンね」
パッと離れていった温い手の感触に、ホっとひと息つく少女。それを見る少年の目には、先ほどまで見せていた慈愛の光りは失われていた。
代わって少年に現れのは、まるで日々の天候を観測するかのような感情の乗らない黒い瞳だった。
「何、してたの?」
黒い無機質な瞳から目を逸らしてアマネは問うた。
「黒屍病を一人片付けたんだよ」
淡々とした言葉がふってくる。足元を見るときっと死体があるのだろう。先程からむせ返るような鉄臭い香りが辺りに充満していた。
「そうじゃなくて」
なるべくそれを見ないように気をつけながら視線を下ろし、広げた両手をじっくり見詰めた。闇夜に浮かぶ白い手の平。そこにはまだ乾ききっていない黒い血液が飛び散っていた。
「なんで、手、握ってたの?」
「ああ、6番が不安がっていたんだよ。だから手を握ってあげた」
「ふうん?」
首を傾げて5歳年上だという少年を見上げる。彼はたしか高校生で、そして私はまだ小学生。外見はお互いに相応なものだと思う。少年の首はまだ細くてすぐに折れてしまいそうだった。
しかし、理知的な瞳の奥に狡猾な輝きが覗き見える少年は、すでに人を自在に使うことを覚えていた。私は彼らに使用されることを受け入れ、そして黒屍病患者の殺し方も覚えた。
『彼らは人ではない。哀れな化物だ。これは殺しではない。救いだ。キミが救ってあげてくれ』
詭弁だ。私は人ではない。哀れな道具だ。
しかし、これが先生にとっての都合の良い殺しであることは知っている。
暗い物思いにふけっていると、頭上から業務連絡がふってくる。
「多分、彼はもう駄目だな。次をラストにするよ」
「先生には?」
「俺から言っておくよ」
「分かった」
無表情のまま、それを聞いて頷く。踵を返そうとする背に、引き留めるような少年の言葉が届いた。
「アマネ。君は次に使うのは何番がいいと思う?」
振り返っても良かったが、どんな顔でその言葉を吐き出したのか目に映すのが嫌だった。だから、振り返ることなくただ、少年に委ねた。
「……いい。どれでも」
「本当に? ちゃんと君が決めなよ」
咎めるような声がした。随分と意味の無いことを確認してくる。
私の意志なんて路傍の死体のように無意味なものだ。そう教えてくれたのは、この少年と、少年の祖父だった。
「べつにいい。どうせ、最後は美馬が決めるんでしょ」
「そんなことは……」
「いいよ。美馬と一が決めたので」
私はなぜか振り返った。
そこには少年が笑顔で立っていた。
「分かったよ、彼と相談して決めておく」
私は頷く。そして、今度こそ家に帰ろうと踵を返した。と、そこに軽い声が背中に投げられた。
「あ、アマネ。明日テスト頑張ってね」
「うん。ありがとう」
振り返らずに言ったセリフ。私の口元には自然と笑みがこぼれた。
しかし、それは決して気遣ってくれたことへの感謝や嬉しさなどの気持ちからではない。
――ただ、馬鹿らしかった。
たった今、ここで殺された人間がいたというのに。
それを全く気にも留めない私たちが、ひどく歪で、ひどく滑稽だとすら思う。
一歩、進んでから足を止めた。これを言っておくべきか迷う。けれど、私が言わなくても後で彼から聞くことになるだろう。
……でも。
「リュージ、あとさ……」
私に今できることは、きっとこれだけなのだ……。
「8番目だから。さっきの子」
「そっか」
「うん」
「「じゃあ、バイバイ」」




