ちまたの神使い
「ま、コレの処理は俺がしておく。お前はもう、『犬桜芹奈』に関わらなくてもいい」
男は宮田の顔も見ずにそう言ってのけ、樹齢数百年はあろうかという神木に背をむけた。そうして「もはやこの場に用は無い」とばかりに、街灯の明かりが幽かに光る鳥居のほうに向けて足早に去っていく。
「ええっ、それ本当!?」
「ああ」
慌てて美馬の後を追った宮田は、そうそっけない言葉を吐く男の横顔になんの感情も浮かんでいない事に気がつく。すでに、彼の内ではこの幽霊にまつわる一連の騒動は終焉に向かいつつあるようだ。
「明日から大丈夫なの。コイツ逃げたりしない?」
「まあ、大丈夫だろう。今日一日はお前の拘束の効き目があるのだろう?」
問われて宮田はコクリと頷いたが、同時にどうしても納得がいかず、説明を求めるような目で上司を仰ぎみる。しかし、次に彼が発した予想外の言葉によって、その両目を大きく見開くことになる。
「俺の知り合いの専門家を呼ぶ。それで始末がつく」
「専門家って誰よ!? そんな知り合いがいたの? まさか、お寺から大僧正でも呼ぶつもりなの?」
「いいや。せっかくお前が苦労してここまでコレを引きずってきてくれたんだ。ならばもっと、この場にふさわしいものを呼ぶべきだとは思わないか?」
「? なによ、相応しいものって」
前を行く男の足が止まった。
宮田は何か嫌な予感がしてきてブルリと身を震わせる。相変わらず、この男の考えることは全く読めない。
「ここは一つ、神頼みといこうじゃないか?」
楽しそうな声が頭上よりふってくる。
こちらを振り返った男の薄い唇は吊り上がり、笑みを形作っていた。
美馬はただ密やかに、その名を呼んだ。
「――『ちまたの神使い』。彼に頼むことにするよ」
「……ちまたのかみつかい?」
聞いた覚えがないその言葉に、宮田は思わず上司を問い質すようにして口をあける。しかし、開きかけの唇をそっと押さえるものがあった。
美馬の手だ。
彼は宮田の口を封じ、さらには吐息がかかるほどに顔を近付けてくる。
そうして、耳元で囁いた。
「お前は気にしなくてもいい」
艶やかに囁かれたその言葉にカッと頭に血を昇らせた宮田は、しかし次の瞬間には微笑んでいた。
美馬がそうであるならば、彼女もそうするまでだ。
「ええ、分かったわ。私はもう、『犬桜』兄妹にもう関わらなくていいんでしょう。だったら、あら大変だわ? 私のお仕事がなくなってしまう」
「……」
美馬の瞳に剣呑な色が浮かんでいた。『犬桜』と口にした瞬間、宮田は確信していた。美馬はこれ以上、何がなんでも宮田にこの件に関わって欲しくないと思っているのだと。
(……何者なのかしら? 隼君に芹奈ちゃん)
こうなってくると今更ながら不気味に思える。こんなにも美馬が感情的になるなど、つい先日までは想像もできなかった。
以前からおかしな男ではあったが、最近さらに何か得体が知れない。これでも、この男とは付き合いだけは長い方だ。だが所詮、宮田にはこの男の考えることなど一生かけても理解できそうにはない。
――もし、彼女が喋ることが出来たならば、何か分かったのだろう?
宮田には不思議と理解できていた。この少女はそれを禁じられている。
遠ざかっていく神木に囚われたままの少女は、うっすらその瞳を開けていた。赤い縄の拘束にぐったりしているためか、もはや最初に遭遇した時に感じた敵意はなく、それどころか、瞳には宮田に縋るような色が見え隠れしていた。
――ええ、分かっているわ。
想いをのせて彼女に向かって微笑んでみせる。ビクリ。その体が強張ったのが見えた。
どうやら、彼女は理解してくれたようだ。ならば、この男にも思い知ってもらわなくては。
警戒して殺気立つ男に向かって告げる。
「だから私は、『真夜中のピエロ殺人事件』の方を調査することにする。あの事件、私がいいと言うまで、絶対に誰も寄こしてこないで」
私が救いたいのは貴女ではない。私は貴女を見捨てるのだ。
背後にいるはずの長い黒髪から目を背け、宮田は帰るべき館のある方角へと身をひるがえす。
私はこうして黒い悪魔に『犬桜』を捧げ、取引をした。
「――久しいな、坊主」
「ご無沙汰しております。お変わりないようで安心しました」
目を伏せた男の長いまつ毛が、その顔に黒い影を形創る。
美馬は滅多に見せることのない殊勝な態度でその人を迎えた。ここで宮田浹と会話した24時間後、またしても丑三つ時に訪れた境内はなお一層、淀んだ空気に包まれていた。
そんな中に姿を現したのは、杖をつき、曲がった腰を大儀そうに動かして石畳の階段を昇ってくるお目当ての人物。
「お待ちしておりました。……『ちまたの神使い』様」
待ち人は十数年前に一度見たきり、同じ格好のままで目の前に現れた。
長く、雪のように真っ白い髪を一纏めにし、その上に硬いフェルト製の山高帽子を被っている。帽子の下から覗く白い毛は、まるで犬の尾のようだ。首には濃い青色のストールがぐるりと巻き付けられており、枯れた肌に彩を与えている。
それは随分ハイカラな風情の、紋付袴を身にまとう翁の姿だった。
「ああ。様付けとかいらん」
――思ってもいないことを神様の前で口にするもんじゃない。罰当たりめ。
美馬を窘めるようにそう言った御老人の額には、くっきり以前見た時より深く濃い皴が刻まれていた。肌にも艶はなく、茶色いうす汚れのような斑点がそこら中に散らばっていた。
本来ならばとっくに寝たきりになっていてもおかしくはないはずの年齢だ。若々しい外見をしているが実際には確実に老いがきている。だが、瞳の奥にのぞく聡明な輝きだけは、未だ瑞々しさを残しこの男を支えているようであった。
これが信仰の力か、はたまた神の御業なのか。美馬には理解が出来ずにいた。
「これは申し訳ない。中身が装えない分、外装だけでも整えてお迎えしようと思ったものですが」
お気に召しませんでしたか、と美馬はうっすら微笑む。
「神に頼むときは己を装ってはならん。どうせ、そんなものは無駄じゃ。悪人を装っても善人を装っても、そんなものに意味がない」
「……ほう」
『ちまたの神使い』はよっこらせっという掛け声を出し、朽ちた神社の入口に鎮座している狛犬の石像の根本に腰を据えた。そうして、ぐるりと境内を一瞥すると厳かな声で続けた。
「何故なら神は悪を好む。そして善も好いとる。力を貸して下さるか否かは、その神の好みに合うか否かという、本当に運みたいなもんじゃ。だから、自然体でいればそれでいい」
悪神であれ善神であれ、神は神。
そも、清濁併せ呑むのが神である。
その言葉によってか、美馬はその端正な顔に侮蔑の色を浮かべ使いに尋ねる。
「なるほど。して、『ちまたの神』は俺に力を貸してくれますか? 俺をお気に召してくれますか?」
口の端が不自然に歪み、吊り上がっていく。
せせら笑いの表情を浮かべた男の態度の変わりように、老人は気分を害したようにフンと鼻を鳴らしたが、否とは言わなかった。
その理知的な目を暗闇へとさ迷わせ、そして、
「……信じてないのに、使うのか」
ポツリ、独り言のように言った。それを聞いた美馬も同じく視線を虚空にやって、これまた静かに応じていた。
「ええ、それはもちろん。使えるものは使ってしまうのが、人として当たり前のことでしょう」
涼しい顔で男は言った。対する翁は眉を潜める。
「では、使えなければどうする?」
「使えなければ捨てるまでです。――この神社のようにね」
美馬は悪びれた風もなく、ただ極自然に肩を竦めた。
「フン、なんともまあ……」
老人はその仕草を目を細めて眺め――
「不遜、ですか?」
「いいや。人間なんぞ、端からそういう生き物だろう」
――そう、諦めの混ざった声で言った。
美馬も気がついてはいた。
ひょっとしたら前回、まだ美馬が幼い時に会った頃から知っていたことかもしれない。
この老人、とっくの昔に見切りをつけている。
例えこの場で美馬がどう言おうとも、それで今さら何を思うはずもない。
「貴方は……、人が嫌いなのですね」
「当り前じゃろ。でなければ、我儘、気紛れ、ロクデナシ、と三拍子揃った神サマなんぞに仕える、『神使い』になどなっておらん」
鼻の頭に寄った皴。嫌悪が滲んだ声音から、どうやらこの神使いが嘘偽りなく本気でそう思っている事が伝わってくる。
「酷い言い様だ。……もしかして、神すらお嫌いですか?」
「ああ、嫌いだ。ヤツら本当に肝心な時には使えないからな」
思った通りの返答だ。
人を諦め、そして神を嫌悪する。
――ならば何故、神を助けるのだろう? そう理解していて、何故尽くすのか?
気がつけば、遠い目をしている老人に確認するように訊ねていた。
「なのに仕えているのですね。何故?」
「人間よりマシだからだ。どうせ、どこかのグループには入らねばならん。儂はたまたま、神側に所属することを選んだだけじゃ。人間側は物騒だ。血生臭い奴らの尻拭いをするより、カビ臭い神たちの苔を払うほうが楽だと思ったんじゃ」
「そうですか……それは、羨ましい」
「フン羨ましい、か。ならばお前もこちら側に来るか?」
突然の勧誘に些か心惹かれるものを感じる。神、そんな不確かなものに生涯を捧げる。そういう人生も悪くないのかもしれない。この神使いを見ているとそんな気分になってくる。
だが、美馬はハッキリとした声で断っていた。考えるまでもないことだ。
「ああ、それはお断りします。生憎と俺は『血生臭い』のが好きな性分で。残念ながら長閑なそちらを羨ましいとは思っていても、自らの嗜好までをも捻じ曲げるつもりはない」
「――そうか」
老人は立ち上がり、今までの姿が嘘のように腰をピンと伸ばして隣に立つ石像をゆっくり撫でた。
「それがいい。神側につくという事は、人間側にはつけないという事だからな。ヒトデナシでなければ、こちら側にはこられない。人間に生まれついたくせに、こちらに来るという者は醜悪だ」
――お前はそうではないと分かっていた。
老人は狛犬を見上げそう言った。彼の背には、世界でたった一人取り残されたかのような孤独な影がちらついていた。
美馬はそれに苛立ちを覚える。
それは、いつか美馬に背をむけた誰かと同質のものだったから。お前は違うと、分かり合える日は永遠に訪れないのだという、幼い拒絶だ。
「……俺は、貴方よりもマシな人間だとでも言いたいのですか?」
「ああ、儂よりもマシだ。幾分もマシだ。……羨ましいことだ」
男の頬に涙はなかった。もう、そんなものはとっくの昔に枯れ果てていた。
「さて、問答はここまでだ。『ちまたの神』はお主に力を貸すそうだ」
石像から離れ、ただ何もない暗闇を眺めていた老人は告げた。美馬の望む答えを。それを余裕をもって聞き届け、美馬はゆっくりと頷いた。
「それは良かった」
「予想通りといったところか。もし、断わられていたらどうするつもりだった?」
「べつにどうにも? ですが貴方の神は、人間である貴方なんかをわざわざ神使に選ぶような悪趣味さだから、きっと俺のことも気に入ると思っていました」
人間である翁のことを貶めているのか。はたまた、御老人の信ずるもののほうを貶めているのか。美馬はそう蔑んだ。
狐、猿、鹿、烏、鳩、蛇、犬、牛……。大抵の神は傍らに置くものをその中から選ぶ。神は信頼できるものを遣いに選ぶ。だが、八百万もいればたまに毛色の違う者を遣いたくなるのか、時たま人間を神使に選ぶ可笑しなものもいる。その中の一柱が『ちまたの神』なのだ。
当然と言えば、当然の結果だろう。
「悪趣味、か。随分酷い言い草じゃの。コイツもこんな色男にそう言われて、随分しょげとるわい。……だが、儂自身そう思うておるから、恐れながら儂の神に味方は出来んな」
意外なことに、使いは気分を害した様子も無く、むしろ愉快そうに笑って隣を見た。老人の隣にあるのは白い犬の像だ。だが、使いが笑って見下ろした先は犬とは正反対の場所……なにも無い、真っ暗な空間が広がっていた。
「そうですか。では、さっさと神の御威光とやらを見せつけて頂きましょうか」
言質が取れさえすれば、もう『神使い』も『ちまたの神』にも興味がない。美馬はさっさと仕事を片付ける算段を立てる。追い立てるようにして暗い境内に翁を誘い込んだ。
「はあ。あとで機嫌を取るのは儂なんじゃがな。……大村屋の苺大福で済めばいいが」
ボソッと呟いた神使いは、幾分か懐の心配をしながらも、先導する美馬の後を大人しく追って件の神木の前まで辿り着く。
そして一目見てこう言った。
「若い娘が馬鹿なマネを」
翁は憐れみを込めてその大木に突き刺さった釘を眺める。
「俺には見えませんが、そこにいる愚か者の後始末をつけなくてはいけません」
「なるほどなあ。――馬鹿だなあ、大馬鹿者だ。こんなに若くて器量良しが勿体ない。一体、なんのつもりかのう?」
「さあ? 捕らえた者によると、ソイツはなんにも喋らないようで。理由については分かっていません」
「違う、違う」
美馬の言葉に翁が首を振る。
「そうではない。この娘は喋らないのでない、喋れないのじゃ。対価に支払ったのだ。愚かなことを」
「対価?」
「ああ、取引相手は悪趣味だな。だが、これで理由は分かる。対価は喋れない。そして、対価は一つではない。この娘の命も対価なのだ。どうやら娘は失敗したようだ」
「一体、なにを?」
不可解な表情の美馬を振り返って、神使いは責めるような口調で言った。
「分からんか、ピンとこんか? 対価は声、そして髪を捧げればこの娘の命だけは助かったやもしれんが、そうはしなかった。体までもが取られてこの有様。こうなった理由は恋慕、恋しかない。好いた相手のためにこうなった。相手も愚かだ。この娘は恋した相手を助けようとしたのだろう。しかしやはり、人魚姫が好きになるのは愚かな王子というわけか。報われるわけがない」
人魚姫だけではない。
古今東西、美しく聡明な姫のお相手は、何故か愚かしいほどに愚昧な王子と相場が決まっている。
「つまり、取引をした? 相手はまさか、神と?」
「違う、神ではない。神は人間なんぞ取引相手に選ばん。一方的に与え、奪うのが神だ。相手が神並に悪趣味であることに変わりないが、これは人の仕業だ」
「そんなことが出来るのは、相手は『黒屍病』患者か」
口元に手を当て考えてみるが、どうにも心当たりは浮かんでこない。
「儂は知らん。人らのことは知らん。お前のほうがよく知っておるだろう。しかし、この娘が願掛けをして泡のように消されたのは分かる」
「幽霊になったのは何故?」
「この娘の力だ。お前たちが『神能』と大層な名をつけ呼んでいるそれだ。守りに特化した力なのだろう、死んでも守るということか。健気なことだ」
「守っていたと? ハイトのことを?」
驚きの事実かそうではないのか。
問題なのは何から――否。誰から守ろうとしていたのか、という事だ。
「憑いていた人間がいるならそうなのだろう」
「そうか……」
「お前が切り離したのか」
「ええ、そうです。目障りでしたので」
「ならば急がねば、その人間は死ぬかもしれぬぞ。死の匂いがこの娘からはする。しかし、それは娘のものではなく、誰か別の人間のものだ」
「……」
「そうか。それでこの哀れな娘を浄化すれば良いのか。今からやれば、夜明けまでにはなんとか……」
翁は納得したように頷き、空を見上げる。幾分か、闇が薄くなった空を。
夜明けはすぐそこまで来ていた。
「いいえ、浄化はしないで下さい」
『神使い』の言葉を遮り、美馬はキッパリと告げる。
「浄化なんてもったいない。使えなくなるじゃないですか。……わざわざ『ちまたの神使い』なんてものを呼んだのは、そんなことのためではない」
眉をひそめた使いが問う。
「では、どうする」
「移動出来なくしてください。それだけで結構です。……コレは閉じ込めます。いつの日か、俺に使われるその瞬間までね」
「……」
「よろしくお願いしますよ。『岐の神』様」
男はうっそり赤い縄に微笑みかける。
ハイトを守ろうとして失敗した女。信用ができない。
だが、それでも使えるならば使ってやろう。




