第97話 光魔法の本質
大講堂の壇上。
大聖女ミュゲが掲げた手のひらに、淡い光が灯っている。
温かく、柔らかな輝き。
傷を癒やし、毒を浄化する奇跡の魔法。
それを間近で目にした生徒たちから、感嘆の声が漏れた。
「綺麗……」
「あれが、本物の光魔法……」
ルシエもその輝きに目を奪われながら、膝の上に広げた研究ノートへペンを走らせる。
ミュゲは手のひらの光を消すと、少し困ったように微笑んだ。
「最初に申し上げておきますが、私は学者ではありません」
大講堂がわずかにざわめく。
世界最高峰の光魔法使いである大聖女から出た言葉とは思えなかったのだろう。
「光魔法を使うことには慣れていますが、その仕組みを理論的に解明したのは、ほとんどクロエです」
ミュゲは壇上の端に座っているクロエへ視線を向ける。
「ですので、本日お話しする内容の多くは、クロエから教えていただいたことの受け売りになります」
「構わぬ。ミュゲの方が説明は分かりやすいからのう」
クロエが椅子に座ったまま答える。
「わしが最初から話すと、途中で数式が百ほど出てくるぞい」
生徒たちの顔が一斉に引きつった。
「それは私の講義まで取っておくとしよう」
クロエが楽しそうに笑うと、大講堂にも小さな笑いが広がった。
ミュゲは改めて、生徒たちへ向き直る。
「皆様は、通常の属性魔法がどのように発動するか、ご存じですね?」
何人もの生徒が頷く。
ルシエも、ノートへ簡単な流れを書き記した。
自然界に存在する魔素を体内へ取り込む。
魔力回路によって、術者固有の魔力へ変換する。
その魔力を火、水、風、土のいずれかの属性魔粒子へ変え、魔法式を通して現象を発生させる。
「火属性魔法であれば、火の魔粒子を媒体とします。水属性魔法であれば、水の魔粒子を媒体とします」
そこでミュゲは、申し訳なさそうに小さく首を横へ振った。
「ただし、私は四大属性の適性を持っていませんので、実際にお見せすることはできません」
生徒たちの間に、どよめきが広がる。
大聖女ほどの魔法使いであれば、あらゆる魔法を扱える。
そう思い込んでいた者も多いのだろう。
「私たち人間が使う通常の魔法は、原則として四大属性の魔粒子を利用します」
ミュゲの手のひらに、再び淡い光が灯った。
「しかし、光魔法は違います」
ルシエのペンが止まる。
「光魔法は、光という属性の魔粒子を媒体としているわけではありません」
大講堂がざわめいた。
一人の生徒がおずおずと手を挙げる。
「光属性の魔粒子は、存在しないということですか?」
「少なくとも、現在までに観測されたことはありません」
ミュゲは静かに頷いた。
「光魔法が輝いて見えるため、かつては光という第五の属性が存在すると考えられていました」
淡い光が、彼女の手のひらで揺らめく。
「ですが、この光は魔法の本体ではありません」
「では、何なのですか?」
「魔素が分解される際に発生した、エネルギーの一部です」
その言葉に、ルシエは目を見開いた。
「光魔法は、魔素を火、水、風、土の魔粒子へ完全に分解します」
ミュゲが指先を動かすと、空中へ簡単な図が描かれた。
一つの魔素。
そこから分かれる、四種類の魔粒子。
「通常の属性魔法は、術者の魔力から必要な属性魔粒子を作り、それを媒体として現象を起こします」
「一方、光魔法は対象となる魔素の構造へ直接働きかけ、四大属性の魔粒子へ分解します」
魔素は魔素としての構造を失い、別々の魔粒子へと切り離される。
クロエが座席から補足した。
「魔素そのものを、完全な無へ返しておるわけではないぞい」
「火、水、風、土。魔素を構成していたものへ分解し、魔素として存在できぬ状態にしておるのじゃ」
「ありがとうございます、クロエ」
ミュゲが微笑み、説明を続ける。
「魔素を完全に分解する際には、莫大なエネルギーが発生します。光魔法は、そのエネルギーを目的に応じて利用する魔法です」
ルシエは夢中になってノートへ書き込む。
(魔素を、四大属性の魔粒子へ分解する……)
これまで、光魔法は特別な力だと考えていた。
四大属性とは異なる、神聖な何か。
理論では説明できない、奇跡そのもの。
しかし、違う。
光魔法もまた、魔素と魔粒子によって説明できる現象なのだ。
「分解によって発生したエネルギーを細胞へ与え、傷ついた組織の再生を促す。これが、光魔法による治療です」
ミュゲは自分の指先へ、ごく小さな傷をつけた。
赤い血が一滴だけ滲む。
そこへ淡い光を当てると、傷口は瞬く間に塞がった。
目の前で起きた奇跡に、生徒たちが息を呑む。
「また、体内へ入った毒を細かく分解し、人体へ害を及ぼさない物質へ変えることもできます」
傷ついた組織の再生。
毒の分解。
どちらも、ただ光を当てているわけではない。
魔素の分解によって発生したエネルギーを、目的に合わせて精密に制御した結果だった。
「魔素汚染に対しては、体内へ入り込んだ異質な魔素を直接分解します」
その言葉を聞いた瞬間、ルシエの指が止まった。
母の顔が脳裏に浮かぶ。
ベッドの上で、苦しそうに呼吸するエレーヌの姿。
体内へ入り込み、魔力回路にまで深く癒着した汚染魔素。
(光魔法なら、お母さんを……)
胸の奥に、小さな希望が灯る。
そんなルシエの心を知らないまま、ミュゲは講義を続けた。
「光魔法は、攻撃魔法へ応用することもできます」
ミュゲの周囲へ、細長い光の矢が作り出される。
「魔物の身体には、通常の獣とは比較にならないほど大量の汚染魔素が含まれています」
魔物とは、魔素によって汚染され、意思を失った獣である。
その身体は、汚染魔素によって無理やり強化されている。
「光魔法によって体内の汚染魔素を急激に分解すれば、魔物の身体を内側から崩すことができます」
淡い光の矢が、音もなく消えた。
「治療も攻撃も、行っていることの本質は同じです」
「対象となる魔素を分解する」
「その範囲と、発生したエネルギーの使い方が違うだけなのです」
治癒と攻撃。
一見すれば、正反対の魔法。
しかし、その根にある仕組みは同じだった。
「結界も同様です」
ミュゲが両手を広げる。
彼女の周囲へ、半透明の光の膜が現れた。
「光魔法による結界は、単純な壁を作り、魔素を押し返しているわけではありません」
「結界へ触れた異質な魔素を分解し、内側への侵入を防いでいます」
傷の治療。
毒の分解。
汚染魔素の除去。
魔物への攻撃。
魔素の侵入を防ぐ結界。
用途は異なっている。
けれど、すべて同じ原理から生まれている。
魔素の完全分解。
それこそが、光魔法の本質だった。
「では、呪いも光魔法で解けるのでしょうか?」
別の生徒が手を挙げた。
物語の中では、大聖女が呪われた人間を救う場面も多い。
生徒たちも当然できるものだと思っていたのか、興味深そうにミュゲの答えを待っている。
しかし、ミュゲは静かに首を横へ振った。
「いいえ。光魔法で呪いを解くことはできません」
大講堂から驚きの声が上がる。
「呪いは、魔素によって発生する現象ではないからです」
「現在の研究では、人の強い念が他者へ影響を及ぼす現象だと考えられています。生霊と呼ばれるものも、それに近いでしょう」
恨み。
憎しみ。
執着。
人の心から生まれる、目には見えない力。
「光魔法で分解できるのは、あくまで魔素です。魔素とは異なるものを、光魔法で消すことはできません」
「大聖女様でも、ですか?」
「はい。私にもできません」
ミュゲは少しも誤魔化すことなく答えた。
「光魔法は、決して万能ではありません」
「傷を治せないこともあります。分解できない毒もあります。失われた命を戻すこともできません」
その言葉に、大講堂が静まり返る。
大聖女が使う奇跡の力。
そう信じられている魔法にも、明確な原理と限界がある。
何でも治せるから奇跡なのではない。
できることと、できないことを正しく理解したうえで、救える命へ手を伸ばし続けてきた。
だからこそ、ミュゲは大聖女と呼ばれているのかもしれない。
「光魔法の本質は、光を生み出すことではありません」
ミュゲは手のひらに宿る輝きを見つめる。
「魔素を完全に分解することです」
ルシエは、その言葉をノートへ大きく書き記した。
『見た目と、本質は異なる』
胸の奥で、何かが繋がった。
火属性魔法も同じだった。
炎を生み出すから、火の魔法なのではない。
その本質は、温度への干渉だった。
目に見える現象だけを追っていては、本当の仕組みには辿り着けない。
(魔法は、私たちが考えているよりも、ずっと多くの可能性を持っているのかもしれません)
講義が一区切りついたところで、ミュゲが生徒たちへ問いかける。
「ほかに、質問のある方はいらっしゃいますか?」
何人もの手が挙がる。
ルシエも迷うことなく手を挙げた。
ミュゲが彼女へ視線を向ける。
「そちらの方、どうぞ」
ルシエは席から立ち上がった。
「一年生の、ルシエ・フローレンスと申します」
緊張で声が震えそうになる。
それでも、どうしても聞かなければならなかった。
「先ほど、光魔法によって体内の汚染魔素を分解できるとおっしゃいました」
「はい」
「それなら、魔素汚染は光魔法によって完全に治療できるのでしょうか?」
大講堂が静まり返った。
ミュゲは、すぐには答えなかった。
先ほどまでの穏やかな表情が、ほんの少しだけ曇る。
「軽度の魔素汚染であれば、治療できます」
ルシエの胸に、希望が灯った。
「では、重度の場合も――」
「重度の魔素汚染は……」
ミュゲは一度、言葉を止めた。
その瞳に、これまで救いきれなかった人々への痛みが浮かぶ。
「少し、難しい問題になります」
「難しい……?」
「汚染が深く進行すると、ただ魔素を分解すればよい、というわけにはいかなくなるのです」
ルシエは、その言葉の意味を尋ねようとした。
しかし、ミュゲはそれ以上の説明を続けなかった。
言葉だけで説明するには、あまりにも多くの条件が絡む問題なのだろう。
けれど、その表情だけで。
ルシエは、決して単純な答えではないことを悟ってしまった。




