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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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第95話 君のせいじゃない

 教授査読で論文を却下された、翌日。


 昼休みになっても、ルシエの胸には昨日の出来事が重く沈んでいた。


 完成させれば、何かが変わると思っていた。


 理論を証明し、誰が実験しても同じ結果になることを示せば、必ず認めてもらえると思っていた。


 けれど、論文は最初の一ページだけで閉じられた。


 実験記録も読まれなかった。


 完成した魔導冷房機を見てもらうことさえできなかった。


 それでも授業はある。


 立ち止まっているわけにはいかない。


 ルシエはノエルと並び、次の教室へ向かって廊下を歩いていた。


「よう、主席様」


 聞き覚えのある声に、ルシエの足が止まる。


 廊下の壁へ背を預けていたレオンが、数人の男子生徒を引き連れて立っていた。


 その口元には、嘲るような笑みが浮かんでいる。


「何か御用ですか?」


 ルシエが尋ねると、レオンは大げさに肩をすくめた。


「ずいぶん面白い話を聞いたからさ」


「面白い話?」


「ああ。昨日、職員室の前を通った時、たまたま聞こえてきたんだよ」


 レオンは周囲の生徒たちへ視線を向けてから、楽しそうに続ける。


「ギデオン教授が、他の先生に愚痴ってたぜ」


 ルシエの指先が、わずかに震えた。


「フローレンスとアルヴィンが、くだらない論文を持ち込んできたってな」


 取り巻きの生徒たちが顔を見合わせる。


「論文?」


「何の研究だよ」


 レオンは待っていましたと言わんばかりに、口元を大きく歪めた。


「火属性魔法で冷房だってさ」


 一瞬の静寂。


 直後、廊下へ笑い声が響いた。


「火属性魔法で部屋を冷やすなんて、そんな非常識な研究を教授へ持ち込むとか、馬鹿じゃないのか?」


「火で冷やすって、どういうことだよ」


「水属性魔法も使えないから、ついにおかしくなったんじゃないか?」


「座学ばっかりしてると、頭がおかしくなるんだな」


 レオンは愉快そうに目を細める。


「お勉強のしすぎで、とうとう頭がおかしくなったのかな? 主席様」


 胸の奥が、ずきりと痛んだ。


 けれど、これまでにも似たような言葉は何度も浴びせられてきた。


 実技ができない。


 四大属性すべてに適性がない。


 座学だけの主席。


 知識しか持たない無能。


 自分が笑われるだけなら、耐えられる。


 ルシエが俯いたまま何も言わずにいると、レオンは隣に立つノエルへ視線を移した。


「それにしても、教授がまともに読まなかったのも当然だよな」


 ルシエの心臓が、大きく跳ねる。


「だって、無能が書いた論文なんだからさ」


「……何だと?」


 ノエルの声が低くなる。


 しかしレオンは気づかないまま、さらに言葉を重ねた。


「ノエルも気をつけろよ。こんな無能と関わってたら、ろくなことにならないぞ」


 親切に忠告しているつもりなのか、レオンはノエルの肩へ手を置こうとする。


 ノエルはそれを冷たく払い除けた。


 レオンの表情が一瞬だけ引きつる。


「お前は実技首席なんだ。将来だって約束されてる。それなのに、こんなくだらない研究へ名前を載せたら、お前の評価にまで傷がつくぜ」


 その言葉が、深く突き刺さった。


 ルシエの耳から、周囲の音が消えていく。


(私が書いた論文だったから……?)


 ギデオンは、論文を一ページしか読まなかった。


 理論を見る前に。


 実験結果を確かめる前に。


 ルシエが書いた論文だと知っていたから、最初から価値がないと決めつけたのだろうか。


(ノエル一人の研究として提出していれば、認めてもらえたのではありませんか?)


 ノエルは四大属性すべてに適性を持つ天才だ。


 実技首席であり、教授たちからの評価も高い。


 彼一人の論文であれば、最後まで読んでもらえたかもしれない。


 完成した魔導冷房機も見てもらえたかもしれない。


 魔法協会へ、研究を届けられたかもしれない。


(私がいたから……)


 視界が滲む。


(私が、ノエルの邪魔をしてしまったから……)


 自分が笑われるだけならよかった。


 無能と呼ばれることにも、慣れたつもりだった。


 けれど。


 自分と一緒にいたせいで、ノエルまで笑われる。


 自分の名前があったせいで、ノエルの研究成果まで否定される。


 そのことだけは、耐えられなかった。


「ごめんなさい……」


 ルシエの口から、かすれた声が漏れる。


「ルシエ?」


「ごめんなさい、ノエル」


 涙が頬を伝った。


 慌てて拭おうとしたが、次から次へと溢れて止まらない。


「私が書いた論文だったから、読んでもらえなかったのかもしれません」


「違う」


「私がいなければ、ノエルの研究として認めてもらえたかもしれないのに……」


「ルシエ」


「ノエルの評価まで、傷つけてしまって……」


 胸が苦しい。


 息がうまくできない。


 ノエルが何度も助けてくれたのに、自分は彼へ何も返せていない。


 それどころか、大切な将来まで汚してしまった。


「私さえいなければ――」


「違う!」


 廊下へ、ノエルの声が響き渡った。


 周囲の笑い声が一瞬で止まる。


 ルシエも驚き、顔を上げた。


 ノエルは怒っていた。


 いつも穏やかで、誰に対しても冷静な彼が。


 拳を固く握り、これまでに見たことのないほど険しい表情で、ルシエを見つめている。


「火属性魔法の本質に気づいたのは、ルシエだ」


「でも……」


「火属性魔法は炎ではなく、温度へ干渉する魔法かもしれない。最初にそう考えたのは君だ」


 ノエルは一歩、ルシエへ近づいた。


「研究を始めたのも君だ。何度失敗しても諦めなかったのも君だ」


 試作一号機。


 試作二号機。


 何度作り直しても、思うような結果は出なかった。


 部屋の温度が少し下がっては、すぐに元へ戻った。


 魔力回路が焼き切れたこともある。


 魔石が砕け、実験室を煙だらけにしたこともある。


 それでもルシエは、実験記録を書き続けた。


「実験方法を見直して、失敗も隠さず論文へ残した。条件を統一して、第三者による再現実験まで成功させた」


 ノエルの声には、迷いがなかった。


「君がいなかったら、あの魔導冷房機は完成しなかった」


「……ノエル」


「君がいなかったら、あの論文は存在すらしていない」


 ルシエは何も言えなかった。


 ノエルは、ただ慰めようとしているのではない。


 本気でそう信じている。


 ルシエが研究に必要だったと。


 自分は邪魔ではなかったと。


 ノエルはルシエの前へ立つと、彼女を庇うようにレオンたちへ向き直った。


「それから、レオン」


「な、何だよ」


「教授が論文を読まなかったことと、論文の価値は関係ない」


 ノエルの眼差しが鋭くなる。


「研究結果を見ようともせず、装置を確認しようともせず、他人の評価だけで価値を決める」


 一歩。


 ノエルが近づくと、レオンは無意識に後ずさった。


「無能なのは、そういう人間のことだ」


「俺を無能だと言うのか?」


「ああ」


 ノエルは即答した。


「少なくとも今の君は、ルシエより何一つ研究を理解していない」


 廊下が静まり返る。


 レオンの顔が、みるみる赤くなった。


「ふざけるな! 俺は――」


 その時。


 ゴーン。


 校内へ、大きな鐘の音が響き渡った。


 授業開始を知らせる鐘とは違う。


 通常は重要な発表や、国賓を迎える時にのみ鳴らされる、正門の大鐘だった。


 廊下にいた生徒たちが、驚いて窓の外へ視線を向ける。


 続いて、校内放送用の魔導具から学園長の声が響いた。


『全校生徒ならびに教職員へ告げる』


 普段以上に厳かな声だった。


『本日、魔王討伐を成し遂げた五名の英雄が、我が王立魔法学校を訪問される』


 一瞬の静寂。


 そして。


「えっ!?」


「魔王討伐隊が来るのか!?」


「大聖女ミュゲ様も!?」


「暗黒騎士アデラーン様を見られるのか!?」


 校内の至る所から歓声が上がった。


 先ほどまでルシエたちを囲んでいた生徒たちも、レオンを残して窓際へ駆け寄っていく。


 学園長の声が続く。


『午後より、英雄の方々による特別講義を行う。全校生徒は大講堂へ集合するように』


 再び大鐘が鳴り響く。


 魔王を倒し、世界を救った英雄たち。


 彼らが戦後初めて、王立魔法学校を訪れる。


 その出会いが、自分の研究を大きく変えることになるとは。


 この時のルシエは、まだ知らなかった。

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