第94話 大魔法師
王都・魔法協会本部。
世界各国から集められた魔術師や学者、教授たちが、大講堂を埋め尽くしていた。
壇上に立つのは、二人の学生。
フランソワ・ラヴォワジエ。
ブッシャー・モロー。
そして二人の前には、手のひらほどの小さな魔導機関が置かれている。
完全制御型魔核融合体。
かつて魔王ニコラスが作り上げた魔王因子から、あらゆる欠陥を取り除いた永久生命機関。
ホルトンは、集まった者たちを見渡した。
「以上が、二人の卒業論文です」
一瞬。
大講堂が静まり返った。
誰も声を発さない。
誰もが目の前の研究を理解し、その意味を呑み込もうとしていた。
そして、次の瞬間――。
「危険すぎる!」
「何を考えている!」
「この技術が流出すれば、一国どころか世界が滅ぶぞ!」
「兵器へ転用されたら、誰にも止められん!」
「封印すべきだ!」
「そもそも、学生が作っていい代物ではない!」
怒号が飛び交った。
魔導師。
教授。
協会幹部。
誰一人として、この発明を軽く受け止める者はいなかった。
ホルトンは静かに目を閉じる。
(……やはり、この反応か)
人類史上最大級の発明。
無限に近い魔力を生み出し続ける、新たな動力機関。
それは同時に、人類史上最大級の危険物でもあった。
◇
議論が紛糾する中。
フランソワが、のんびりと手を挙げた。
「じゃあ」
騒がしかった講堂が、少しずつ静かになる。
フランソワは目の前の試作品を指差した。
「解体するねー」
場内が完全に静まり返った。
「もったいないけど」
隣に立つブッシャーも、小さく頷く。
「論文だけ残す」
二人は迷うことなく、試作品へ近付いた。
外装を外す。
魔法式を解除する。
循環機構を停止させる。
安全弁を開放し、内部に残っていた魔力を逃がす。
最後に動力炉へ繋がる魔力回路を切断した。
淡い光を放っていた魔核融合体が、ゆっくりと輝きを失っていく。
人類の魔法史を変えるはずだった機関は、瞬く間に無数の部品へと分解された。
ホルトンは思わず尋ねる。
「迷いはないのか?」
フランソワは工具を片付けながら笑った。
「また作れるし」
「危ないなら、持ってても意味ないよ」
まるで、壊れた玩具でも片付けるような口調だった。
ホルトンは苦笑する。
(……だから、この子は恐ろしい)
発明そのものに執着がない。
必要だから作る。
危険だから壊す。
それだけだった。
自らの功績を誇ることもなければ、失われることを惜しむ様子もない。
やがて。
協会長が静かに立ち上がった。
「決定する」
低く重い声が、大講堂へ響き渡る。
「試作品は、ただいまをもって完全に解体」
「設計図ならびに論文は、魔法協会が最重要機密として封印する」
「今後、安全性と管理体制が確立されるまで、原則として閲覧を禁ずる」
誰も異議を唱えなかった。
その危険性を考えれば、当然の判断だった。
しかし。
協会長は壇上に立つ二人へ視線を向ける。
「ただし」
「この理論そのものに誤りはない」
「むしろ逆だ」
ゆっくりと息を吸う。
「これは――」
「人類の魔法史を書き換える成果である」
大講堂が、再び静まり返った。
やがて。
一人の教授が拍手を送る。
続いて、別の魔術師が手を叩く。
拍手は次々と広がり、最後には大講堂全体を包み込んだ。
危険だからこそ、封じる。
しかし。
危険だからといって、その功績まで否定する者はいなかった。
◇
数週間後。
王立魔法学校卒業式。
卒業証書の授与が終わると、ホルトンが壇上へ立った。
「今年度」
「この学校の歴史において、前代未聞の出来事が起こった」
卒業生たちが顔を上げる。
「二人の学生が提出した卒業論文が、魔法協会の最高審査を突破した」
会場が大きくざわついた。
学生の卒業論文が、魔法協会の最高審査へ持ち込まれること自体が異例。
それを突破するなど、これまで一度もなかった。
ホルトンは静かに続ける。
「よって魔法協会は」
「その功績と実力を認め、二人へ大魔法師の称号を授与する」
ざわめきが止まる。
誰もが息を呑んだ。
大魔法師。
魔術師。
大魔術師。
魔法師。
大魔法師。
本来なら、長年にわたる研究と功績を積み重ねた者だけが到達できる階位。
卒業と同時に大魔法師へ昇格する者など、過去に一人も存在しなかった。
壇上へ上がった協会長が、二つの証を掲げる。
「フランソワ・ラヴォワジエ」
「大魔法師」
「ならびに、紫色号を授与する」
割れんばかりの拍手が響いた。
フランソワは普段と変わらない表情で、証を受け取る。
「ブッシャー・モロー」
「大魔法師」
「ならびに、黄色号を授与する」
再び、会場が大きな拍手に包まれた。
ブッシャーは少しだけ戸惑いながらも、深く頭を下げる。
史上最年少。
卒業と同時に大魔法師へ到達した、二人の学生。
その日。
二人の名は、魔法史へ深く刻み込まれた。
◇
――現在。
ホルトンは、古びた論文を静かに閉じた。
「これが」
「二人の卒業論文だ」
ルシエは何も言えなかった。
「……こんな研究が」
魔王因子の欠陥をすべて取り除き。
精霊眼を持たないまま、妖精誘導法を数式によって再現し。
史上最強の魔王さえ到達できなかった理論を、二人の学生が完成させた。
信じられない。
そう思いながら、ルシエは隣へ視線を向けた。
当の本人はというと。
恋愛小説を片手に、アイスクリームを食べていた。
フランソワは本から顔も上げずに言う。
「作れそうだったから、作っただけだよ」
「危ないって言われたから壊したし」
あまりにも軽い。
ルシエは恐る恐る尋ねた。
「もし、その論文が悪用されたら……どうするんですか?」
フランソワはアイスクリームを一口食べる。
「たぶん大丈夫じゃない?」
「機密指定された論文を読めたとしても、実際に作れる人は私くらいだと思うよ」
ルシエは目を丸くした。
「そうなんですか?」
「うん」
フランソワはようやく恋愛小説から顔を上げる。
「完全制御型って、完成した後は勝手に永久循環してくれるんだけど」
「最初に動力炉を起動させる時だけ、ものすっごく魔力を使うんだよね」
「私でも、めちゃくちゃ疲れたもん」
ブッシャーが苦笑しながら頷いた。
「起動時」
「魔力消費」
「膨大」
「永久循環に入れば安定」
「でも最初が大変」
フランソワは再び恋愛小説へ視線を戻す。
「それに、私だって妖精誘導法を使えるわけじゃないし」
「魔粒子の位置も流れも、全部計算して無理やり再現しただけだよ」
ホルトンも静かに頷いた。
「論文を読んだだけでは再現できない」
「高度な知識」
「膨大な計算を処理する能力」
「術式を構築する技術」
「そして、動力炉を起動できるだけの魔力量」
「そのすべてが揃って、初めて完成する研究だ」
ルシエは、ほっと胸を撫で下ろす。
「それなら、簡単に悪用される心配はないんですね」
「まあねー」
ホルトンが苦笑しながら尋ねる。
「では、もう一度作ってくれと言われたら?」
フランソワは間髪入れずに答えた。
「やだ」
「面倒臭いし」
「だるいもん」
ブッシャーが小さく吹き出す。
「それ」
「本音」
ルシエも思わず笑った。
しかし。
ノエルだけは笑えなかった。
「……え?」
完全に引いた顔で、フランソワを見る。
「世界の魔法史を書き換えた研究ですよね?」
「それをもう一度作らない理由が、面倒臭いから……?」
「うん」
「アイス食べながら恋愛小説を読んでる方が楽しいし」
フランソワは、さも当然のように答えた。
ノエルは一歩だけ後ずさる。
「この人……」
「本当に、価値観が理解できない……」
ブッシャーが肩をすくめる。
「いつも通り」
ホルトンも苦笑した。
「昔からこういう子だ」
ルシエは再びフランソワを見る。
世界を書き換える理論を生み出した天才。
それなのに。
本人にとっては、歴史に名を残す研究よりも、恋愛小説とアイスクリームの方が大切らしい。
ルシエは小さく呟いた。
「……この人、本当に天才なんだ」
ホルトンは穏やかに微笑む。
「だから私は」
「君の論文も諦めるつもりはない」
ルシエが顔を上げた。
「ルシエ」
「君もまた」
「世界を書き換えられる」
その言葉は。
少女の胸の奥で、小さな希望の灯となって静かに燃え始めた。




