第92話 魔王因子
王立魔法学校地下特別資料室。
机の上には、何冊もの封印資料が積み上げられていた。
魔王ニコラスに関する研究記録。
古代魔術文明の禁書。
各国が千年以上にわたり収集した魔王因子の観測資料。
どれも通常の学生には存在すら知らされていない極秘資料である。
フランソワは分厚い資料を手に取ると、興味深そうにページをめくった。
その隣では、ブッシャーが紙と筆記具を並べ、必要な箇所を書き写し始める。
ホルトンは二人の向かいへ腰を下ろし、静かに口を開いた。
「まずは、魔王ニコラスについて話そう」
「千年以上前に現れた史上最強の魔王だ」
「同時に、史上最高峰の魔術師でもあった」
ホルトンは一冊の資料を開く。
「現在使われている魔法式」
「魔力回路理論」
「魔粒子の分類」
「魔法陣の体系化」
「現代魔術の多くは、彼が築いた理論を土台として発展してきた」
「当時の魔術師たちは、彼の研究を理解するだけで数百年を費やしたと言われている」
「それほどまでに、彼は時代を先取りしていた」
魔王である以前に、一人の天才研究者。
それが、魔術界におけるニコラスの評価だった。
「そして彼は、精霊眼を持っていた」
精霊眼。
人の目では見ることのできない精霊や妖精、魔粒子の流れを直接観測できる特別な瞳。
ニコラスは、その力によって失われた古代魔法を解析した。
「妖精誘導法」
「竜族や精霊が扱う古代魔法だ」
フランソワが顔を上げる。
「妖精誘導法?」
ホルトンは頷いた。
「通常魔法では、まず魔素を取り込み、魔力回路によって魔力へ変換する」
「その魔力で必要な属性の魔粒子を抽出し、魔法式で制御して魔法を発動する」
「しかし妖精誘導法は違う」
「魔力を介さず、自然界に存在する魔粒子そのものを直接導く技術だ」
少し考え、例えを口にする。
「普通の魔法が、絵の具と筆を使って絵を描く技術だとすれば」
「妖精誘導法は、絵の具も筆も使わず、色そのものを動かして絵を描くようなものだ」
「魔粒子そのものを直接操る」
「だから、魔力の消耗は極めて少なく、制御精度も桁違いになる」
「そんなことが……」
フランソワは資料をめくりながら呟いた。
「便利そう」
ホルトンは苦笑する。
「便利、という言葉では済まない」
「古代文明最高峰の技術だ」
「そして、この技術によってニコラスは一つの魔導機関を完成させた」
フランソワは資料の見出しを見て目を丸くした。
「……あれ?」
「名前いっぱいある」
ブッシャーも別の資料へ目を移す。
「本当」
「全部違う」
ホルトンは静かに頷いた。
「長い歴史の中で、文明や学派ごとに別々の名称で呼ばれてきたからだ」
フランソワは読み上げていく。
「正式名称、『魔核融合体』」
「学術名、『魔素特異点』」
「通称、『魔王因子』」
「古代名、『賢者の石』」
「西方名、『哲学者の石』」
「錬金術名、『霊薬エリクシア』」
「古代錬金術名、『第一物質』」
「神話名、『命の水』」
「ニコラス本人は……『永久生命機関』」
資料を閉じ、思わず笑った。
「名前、多すぎじゃない?」
ブッシャーが肩をすくめる。
「同じ物」
「別々に研究」
「だから名称も増えた」
ホルトンは補足する。
「神話では『命の水』」
「錬金術では『霊薬エリクシア』」
「学者は『魔素特異点』」
「そして教会は、魔王ニコラスが遺した災厄という意味で『魔王因子』と呼んだ」
「現在では『魔王因子』という呼び名が最も一般的だ」
フランソワは笑う。
「確かに、それが一番分かりやすいね」
ホルトンは設計図を机いっぱいに広げた。
「では、その魔王因子の正体を説明しよう」
ブッシャーは図面へ視線を落とす。
「構造は単純」
「妖精誘導法で魔粒子を集める」
「融合」
「魔素生成」
「永久循環」
「無限魔力炉」
フランソワも図面を覗き込む。
「本当に単純だね」
ホルトンは頷いた。
「理論だけなら、魔術史上最高傑作だ」
「宿主へ半永久的な魔力を供給し続け」
「老化を止め」
「肉体を再生し続ける」
「まさしく永遠の命を実現する魔導機関だった」
その時だった。
フランソワが首を傾げる。
「ん?」
「これ欠陥品じゃない?」
研究室が静まり返る。
ブッシャーは設計図を読み返した。
「……本当」
「停止機構なし」
「安全弁なし」
「出力固定」
「制御不能」
「暴走前提」
フランソワは呆れたように言った。
「ニコラスって」
「頭悪かったのかな?」
ブッシャーは首を横へ振る。
「違う」
「頭は良すぎた」
「だから作れた」
「でも」
「止める必要がないと思っていた」
ホルトンも静かに頷く。
「ニコラスの目的は、永遠に生きることだけだった」
「安全性も」
「世界への影響も」
「最初から考えていなかった」
フランソワは設計図を見つめる。
「でも」
「これ、世界まで巻き込んでるよね」
ホルトンは世界地図を広げた。
「その通りだ」
「魔王因子は、自らを中心とした人工的な第二の魔素循環を生み出した」
「本来、星へ戻るはずだった魔素まで引き寄せた」
「その結果」
「魔王領」
「魔物」
「ダンジョン」
「魔素汚染」
「すべてが生まれた」
重苦しい沈黙が流れる。
しかし、その空気を破ったのはフランソワだった。
彼女は設計図を閉じ、にっこりと笑う。
「なるほど」
「じゃあ直せばいいね」
その何気ない一言が。
後に――完全制御型魔核融合体という、人類史上最大の研究の始まりとなるのだった。




