第82話 紫色号
休日の王都。
ノエルとルシエは街を歩いていた。
研究を忘れて息抜きをする――はずだったが、ルシエは店を見るたびに魔導具や建物の構造を観察してしまう。
そんな彼女を見て、ノエルは苦笑するしかなかった。
「本当に休める日が来るのか……」
その時だった。
「おや、二人とも」
聞き慣れた声に振り返る。
「ホルトン先生!」
そこには、ホルトン・ラヴォワジエが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「先生」
ノエルも軽く頭を下げる。
ホルトンは二人の顔を見ると、優しく微笑んだ。
「あれから研究の方はどうだい?」
ルシエは少し照れくさそうに笑う。
「まだ完成はしていませんが、一度論文にまとめました」
「ほう」
「火属性魔法の新理論です」
ホルトンは満足そうに頷く。
「順調そうで何よりだ」
その隣には、一人の若い女性が立っていた。
淡い栗色の髪。
ふわりとした雰囲気。
どこか眠たそうな目。
可愛らしい服装に身を包み、片手には食べかけの焼き菓子を持っている。
とても世界最高峰の研究者には見えなかった。
女性はルシエの顔を見るなり、ぱっと笑顔になった。
「あー!」
「この前、研究室に来てた子だー!」
ルシエも思い出したように目を丸くする。
「あ……」
「その節は、お世話になりました」
ぺこりと頭を下げる。
ホルトンは苦笑しながら紹介した。
「私の助手であり、養女でもある」
「フランソワ・ラヴォワジエだ」
フランソワは焼き菓子を持ったまま、ひらひらと手を振る。
「よろしくねぇ」
ルシエも改めて紹介する。
「こちらは共同研究者のノエル・アルヴィンさんです」
「現在、一緒に火属性魔法の研究をしています」
ノエルは丁寧に一礼した。
「初めまして」
「ノエル・アルヴィンです」
そして、改めてフランソワの顔を見る。
講義で一度紹介されていた。
名前も知っている。
それでも、本人を目の前にすると言葉を失った。
「まさか……」
「フランソワ・ラヴォワジエ先生……」
「大魔法師で、紫色号の……!」
ルシエは不思議そうに首を傾げる。
「そんなに凄い方なんですか?」
ノエルは真剣な表情で頷いた。
「凄いなんてもんじゃない」
「普通は、魔術師、大魔術師、魔法師と順番に昇格していく」
「その先にある大魔法師は、何十年も研究を積み重ねた魔法学校の教授たちが、ようやく辿り着く称号なんだ」
ルシエは思わずフランソワを見る。
「そんなに……」
「でも、この人は違う」
ノエルは静かに続けた。
「卒業論文だけで、魔術師、大魔術師、魔法師の三段階を飛び越え、一気に大魔法師へ推薦された」
「しかも、そのまま最高位と実際には言われている紫色号まで授与された」
「魔法学校始まって以来の天才研究者だ」
普通なら、一生を研究に捧げても届かない領域。
それを二十歳で成し遂げた。
しかし――。
目の前のフランソワは、そんな伝説とはまるで結び付かなかった。
「ふわぁ……」
小さく欠伸をしながら焼き菓子を一口。
「今日は暑いねぇ」
あまりにも気の抜けた様子だった。
ノエルは思わず呟く。
「……本当に、この人が?」
フランソワはルシエとノエルを交互に見つめる。
「へぇ」
そして、にこっと笑った。
「二人って付き合ってるの?」
ルシエは首を傾げる。
「付き合う?」
意味が分からないという顔だった。
一方、ノエルは耳まで真っ赤になる。
「ち、違います!」
「共同研究者です!」
「あ、そうなんだ」
フランソワはあっさり頷く。
「研究って、恋人同士でやるものかと思った」
「違います!」
ノエルは即座に否定する。
ルシエは首を傾げたまま尋ねた。
「恋人同士だと、研究は進むのでしょうか?」
「そこ気になる?」
ノエルは思わず頭を抱えた。
フランソワはくすくすと笑う。
「面白い子たちだね」
ホルトンも穏やかに微笑む。
「二人とも、いい共同研究者に出会えたようだね」




